第674話 第二幕の終わり、第三幕の始まり
「仕方ない。とりあえず今日のところは、魔物が発生した原因を探して終わりにするか」
アルファズルは戦闘に関わりきれなかった不完全燃焼さを口惜しがりながら、気を取り直して仕事を次の段階に進めた。
「それじゃあエイル、いつもの頼んだ」
「了解っ!」
びしりと気合を入れてから、エイルは長銃を俺に投げ渡し、自由になった両腕を広げて呪文のような呟きを繰り返す。
「……、……、……」
呟きはうまく聞き取れなかったが、果たして聞き取れても理解できたかどうか。
エイルの足元に魔力の波紋が浮かび、それがエイルの周囲を取り囲むようにして立体的に広がっていく。
ワイルドハントにおけるエイルの役割は後方支援――そんな話は前にも聞いていたが、具体的な仕事内容まではまだ把握していなかった。
球状にエイルを包み込んだ魔力の波紋は、呟くような詠唱に呼応して表面を波打たせている。
やがてその波紋が幾何学的な模様を描き出し、魔力の球もろともに音もなく弾けて消えた。
「どうだ?」
「うーん……建物内に、それっぽい魔力の滞留は見当たらないかな。というか導管が死んでて魔力流れてないし。魔物になった後で、他所から迷い込んで来たんじゃない?」
「それなら周辺で目撃情報があるはずだ。今回の情報は『今まで魔物が出てこなかった場所に強力な奴が現れた』っていう内容だったんだからな」
アルファズルはしばし考え込み、それから何かを思いついた顔で視線を下に向けた。
「……地下、だな」
「地下ですか? この建物に地下階はないはずですけど」
「ああ。だけど、建物の下を通る魔力管は生きているのかもしれない」
「それは、まぁ……こっちに流す分岐だけ止められて、太い導管は生きてるってことはあるかもですね。周りも廃墟だらけですけど、可能性としては」
炫日女はアルファズルと軽く問答をして、納得した様子で同意を示した。
他のメンバーも異論はなかったようで、最上階から最下階まで一気に引き返すことになる。
「ふぅ、ふぅ……エレベーターが生きてりゃよかったんだが」
階段の途中で息を乱すイーヴァルディに、ガンダルフが冷徹な言葉を返す。
「そんな大鎚を持ち歩いていることが疲労の原因だ。携行性に秀でた武器に変えるか、あるいは携行を容易にする魔法を習得すればいい」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。単純明快に大質量を叩き込む! これ以上に信頼性のある攻撃手段なんかありゃしねぇよ」
「まったく……保守的なのか革新的なのか分からん男だ」
「こういうのは車の両輪っていうんだぜ。故きを温めて新しきを知るってな!」
「片輪だけ重量過多で難儀しているようにしか見えんのだがな」
ぐぬぬ、とイーヴァルディが悔しげな声を漏らす。
本当にこんな声を出して悔しがる奴は初めて見たかもしれない。
魔法を習得するという選択肢に言及しなかったあたり、イーヴァルディは魔法の習得が不得手なのだろうか。
もちろんこの場合の魔法とは、現代の人間が知っているスキルとしての魔法ではなく、古代魔法文明を支えた本来の意味の魔法なのだろう。
「(……ところで、エレベーターって昇降機のことだよな? そんなの見当たらなかったんだが……)」
そういえば、誰も中を確かめようとしなかった扉が、各階に一ヶ所ずつあった気がする。
ひょっとしてあの扉の向こうに昇降機があったのだろうか。
漠然とそんなことを考えているうちに、いつの間にか全ての階段を下りきっていて、裏口から建物の外へと出てしまっていた。
「正面から入ったときに気が付かなかったなら、多分こっちだと思うんだけどな……どうだ、エイル」
「劣化した導管が魔力漏れを起こして、それが道路の下に滞留して……ってところかな。だけど思ったより大規模じゃないし、猫が地面の下に潜ったりする?」
「ネズミではありませんか?」
そう言ったのはフラクシヌスだ。
「最初に魔力溜まりの影響を受けたのはネズミで、この段階では一匹一匹の魔力蓄積も大したものではなかったのでしょう。ネズミなら僅かな隙間からでも入り込めます」
「ありうるな。きっと、そのネズミを食い続けた野良猫の体内で魔力が凝縮されたんだ。生物濃縮の魔力版だな。とりあえず路面をひっぺ剥がして導管を修繕しておくか」
「ちょ、ちょっと待ってアルファズル!」
エイルと炫日女が二人揃って勢いよく距離を取る。
申し合わせたわけでもないだろうに、見事なまでの呼吸の合いっぷりだ。
「それネズミがどばーって出てくる奴ですよね、どばーって!」
「結界! 結界張るから!」
「あーはいはい」
アルファズルは呆れ顔でしばらく間を置き、少女二人がネズミの出現に備えるのを待ってから、裏路地の一角に片腕を振り向けた。
「創造術式、起動。垂直穿孔」
次の瞬間――路面が突如として円形にくり抜かれ、鋭利な表面の大穴が穿たれた。
穴が生じた部分にあった土や舗装は消滅したわけではない。
見上げるほどの高さに、円筒形を保ったままの道路の一部が浮かび上がっていて、裏路地に大きな影を落としていた。
「……っ!?」
驚愕に言葉を失ったのは俺一人だけで、ワイルドハントの面々はアルファズルの絶技に何ら反応を示していない。
エイルと炫日女は縦穴から溢れ出てきたネズミの群れに悲鳴を上げ、ガンダルフはそんな二人の反応を不快そうに睨み、イーヴァルディはフラクシヌスが作った蔦のロープを使ってすぐさま大穴に飛び込んでいた。
「どうだ、イーヴァルディ!」
「大当たりだ! 導管が完全に終わってやがる! だがこいつは……うむ、単純に直しただけじゃ、またすぐに元の木阿弥だな! 当局に連絡入れて元から閉じさせた方が手っ取り早い!」
あんなことができるアルファズルでも直せないのか? 俺の【修復】ならどうなんだ?
……なんてことを考えながら大穴を覗き込み、すぐにイーヴァルディの判断が正しかったと納得する。
いるというよりは、かつていたと言った方が正確だろう。
俺の頭越しにアルファズルも穴を見下ろし、呆れた声で呟いた。
「こいつはひでぇ。導管から魔力が漏れてるってより、導管があった穴に魔力が吹き込んでるって感じだな。だが……いくら長年放置されてたからって、ここまで崩壊するか?」
「む? おおい! ネームレス! 何か妙なもんがあったぞ!」
大穴の底のイーヴァルディが、掌サイズの何かを放り投げる。
本当はアルファズルに投げ渡すつもりだったのだろうが、たまたまアルファズルが俺の背後にいたため、その何かは俺の手の中に飛び込んでくるように収まった。
金属とも石ともつかない歪な固体。
魔力結晶のようでもあり、全く違う物体であるようにも感じられる。
アルファズルは俺の両肩に手を置いて、頭越しにそれを見やった。
「何だこれ。見覚えはないな……よし、ルーク。持ち帰って調べてみてくれ」
「ええっ! お、俺が!?」
「最近、熱心に錬金術を勉強してるんだろ? 免許皆伝も近いそうじゃないか。腕試しと思ってやってみたらいい」
違う――俺は錬金術など学んでいない。
だとしたらそれは、本来この場面に居合わせた記憶の主のことに違いなかった。
錬金術を学んだ身元不明の何者か――ああ、それはきっと、間違いなく――
視界が砂嵐のように歪み、聴覚が雑音に塗り潰される。
笑顔のアルファズルも灰色の砂嵐に呑まれて見えなくなり、俺に期待を寄せる声も遠ざかり、そして――新たな記憶の場面が再現され始める。




