第643話
――魔獣ダゴンの巨体が崩壊していく。
胸の中央にぶち込まれた拳は、その分厚い肉体を容易く貫き、たったの一撃で勝負を決めてしまった。
上半身の崩壊に伴い、無数の巨大なサーペントによって構成された下半身も機能を停止し、崩壊を続ける腹部を巻き添えに湖の底へと沈んでいった。
「マジかよ……一体どんなスキル使ったらあんな……」
「あれはただの【魔力撃】だ。基本を極めたら規格外になる好例だな」
「……さすがに限度ってもんがあんだろ、おい」
唖然とするガーネットに答えながら、眷属の半魚人達が湖に姿を消したのを『右眼』で確かめる。
連動して消滅することはなかったようだが、新たに生み出されて数を増やすこともなくなったので、後は冒険者達が遭遇するたびに討ち取って後始末をしてくれるだろう。
「はははっ! 本当に一撃でやりやがった! 半端ねぇな!」
船上の面々が軒並み驚きに言葉を失う中、チャンドラーだけは喜色満面で笑っていた。
「なぁおい、大将! Aランク冒険者って奴はどいつもこいつもあんなもんなのか!?」
「まさか。ぶん殴りの強さでいえば、トラヴィスがぶっちぎりで頭一つ抜けてるよ。それにミスリルコーティングの効果で、普段よりもちょっとは威力が底上げされてたみたいだしな。通常装備ならどうだったか」
チャンドラーが過剰に戦いたがらないようにこんな言い方をしたが、実際は素手でもダゴンを討伐できた可能性は充分にある。
確かにミスリルコーティングされたガントレットを装備したトラヴィスは、全力の【魔力撃】でダゴンを打ち倒したが、それは『この装備でもダゴンを倒すのが限界』という意味ではない。
先程の打撃は明らかにオーバーキルだ。
魔獣ダゴンを打ち倒してなお余りある破壊力が背中を突き抜け、虚空に霧散していた。
仮にもっと強靭な肉体を持つ魔獣――あるいは神獣であってもトラヴィスの拳は有効打になりうるだろうし、素手による威力低下を加味してもダゴンに通じるだけの性能は保てるはずだ。
もちろん、全身全霊全魔力を投じた【魔力撃】を撃った人間がどうなるかを考えれば、軽々しく使うわけにはいかない切り札とせざるを得ないのだが。
「ユリシーズ。すぐに船を戻してくれ。トラヴィスを回収してやらないと」
ダゴンが消滅して静けさを取り戻した戦場に船を進める。
案の定、トラヴィスは波一つない湖面に立ち泳ぎの要領で浮かび、困り顔でこちらに手を振ってきていた。
「おーい! こっちだこっち!」
「やっぱりな。ユリシーズ、横付け頼む。ガーネット、ロープを下ろしてやってくれ」
皆に指示を飛ばしてトラヴィスを船に引き上げてやる。
トラヴィスは甲板にどっかりと腰を下ろし、心からスッキリした様子で天井を仰いだ。
「いやぁ……久々に全力の拳を振るうと気分がいいな」
「その代わりに魔力切れで泳ぐ余裕もなくなるとか、本末転倒にも程があるだろ。筋肉達磨のくせに沈まなかっただけ御の字か?」
「こんな良い船があるのだから、回収されない心配などする必要はないだろう」
ひとまず軽口を叩き合い、回収されたトラヴィスが負傷していないことを確かめてから、さっそく本来に話を戻すことにする。
しかし確認しておきたいことは山程あるので、まずは人命に関わりうることを優先しよう。
「ところで、うちのアンブローズが見当たらないんだが、まさかそっちに行ってたりしてなかったか?」
「さすがに気付いていたか。想像通りこちらを見学しに来ていたぞ」
「やっぱりか。吹き飛ばされてるわけがないとは思ったんだ」
「雑魚掃除を手伝った後はメダリオンを回収して、一足先に本当の目的地に向かっておくと言っていたな」
報告なしの行動に対する呆れと、無事が確認できたことへの安堵を合わせて、ふぅと短く息を吐く。
「仕方ない。俺達もすぐに合流しよう。ユリシーズ、頼む」
「あいよっと。少し急ぎますかね」
ユリシーズの船が本当の目的地へ舵を切った直後、ヒルドが遠慮気味に進言してきた。
「あの、ルーク団長。ひとまず岸辺に戻った方がいいのでは? トラヴィス氏も魔力を著しく消耗しているようですし、待機チームに無事を伝えて休息を取ってからでも遅くはないのでは」
俺だって待機組との合流を考えなかったわけではない。
諸々の状況を考慮した上で、迅速な目的達成を優先すべきだと考えただけだ。
「多分あの魔獣は、アガート・ラムが仕込んだ防衛システムだ。完全なメダリオンなんて代物を持ってるのは奴らくらいだろうからな。俺達に反応した条件までは分からないが……とにかく、このルートから第三階層へ攻め込もうとする敵を迎撃する目的だったのは間違いない」
第二階層から光を奪った魔獣スコル。
管理者フラクシヌス暗殺の切り札として投入された魔獣ムスペル。
これまでにも、アガート・ラムはメダリオンの魔獣を戦略的に活用している。
俺達が陽動作戦のために用いようとしている経路は、第三階層に水資源を供給する役割を担うが故に封鎖不可能だった水路であり、アガート・ラム側も侵入ルートに使われることを想定している。
ならば、これまでのどこかのタイミングで魔獣ダゴンを仕込み、外敵を第二階層の段階で排除しようとするのは当然の発想だろう。
「だけど防衛システムが魔獣一体だけとは限らない。侵入者がダゴンの始末に追われている間に、別のシステムが準備を進める作戦だってこともありうるからな。仮想敵が魔王軍なら、魔獣一体で片がつくとは思えないだろ」
「な……なるほど。ひょっとしたらアンブローズ卿も、そう考えたから一足先に目的地へ……?」
「多分だけどな。意図は理解できるんだから、ちゃんと説明しておいてもらいたいものなんだが」
これは秘密主義が基本の研究者だからだろうか。
ギルドを介した情報共有が基本の冒険者とは、根本的なところで価値観がズレている気もする。
「とにかく先を急ごう。俺の考えすぎならそれでいいんだ。連中があんなデカブツを投入してまで守りたかった侵入経路……陽動作戦のためにもしっかり確保して帰らないとな」




