第638話
「ユリシーズ、どうかしたのか」
さすがに様子が気になったので声を掛けてみると、ユリシーズはすぐに態度を取り繕っていつもの態度に戻ってしまった。
「おや、どうかしました?」
「どうしたも何も……憂鬱そうに見えたんだが、やっぱり今回の仕事、自信が持てないのか?」
あえて取り繕わずに直球で問いかけてみる。
無駄に遠回しな聞き方をしても誤魔化されてしまうだけだろう。
しかしユリシーズは、いつも通りに気の抜けた笑顔を浮かべながら、ひらひらと手を振って俺の懸念を否定した。
「いやいや、違いますってば。この歳になると三日連続の陸路の移動は体に来ちゃいましてね。憂鬱に見えたんなら、昨日と一昨日の疲労が抜けてないだけだと思いますよ」
何とも否定しにくい理由付けだ。
ユリシーズは俺よりも年配であり、なおかつ普段から山歩きやダンジョン歩きに慣れているわけでもない。
肉体的な疲労のせいで精神的にも消耗しているのだ、と説明されてしまったら、それを殊更に否定するのは少々難しそうだ。
「まぁ、心配してもらえたのは嬉しいですよ。ちゃんと部下の様子に気を配ってくれてるってことですからねぇ。皆がそうならいいんですけど、そういうわけにもいかないのがままならないというか……」
長々と溜息を吐くユリシーズ。
今度はこの作戦とも長距離移動の疲れとも違う、俺達とは関係のない理由での嫌気を思い返してしまったらしい。
「おっと! こんな面してたら余計に心配させちまいますか。嫌な上司の愚痴なら無限に湧いてきますけど、こっちの騎士団は快適で助かりますよ」
「お世辞と思って受け取っておくよ」
心にもないことを言っているのか、それとも能力が活かされないことへの残念さとは別口で、これ以外の環境については充分に満足しているという意思表示なのか。
俺は心を読むスキルなんてものは持ち合わせていないし、仮に『右眼』を使っても頭の中までは見通せないが、個人的には後者であってほしいとは思っている。
騎士になってからの年数だけでいえば、ユリシーズは白狼騎士団のメンバーで一番のベテランだ。
本音を包み隠して上官と接することに慣れていても不思議はない。
「……少なくとも、疲れが取れてないのは本当ですよ? この階層、せっかく水が豊富なんですから、ガッツリ運河でも引けませんかねぇ。船便なら荷物も効率的に運べますし、目的地まで休みながら移動できますよ」
「その辺は管理者とも要相談だな……これまでにやってない理由があるかもしれないし」
ユリシーズは表情こそ笑顔を形作っていたものの、提案の内容自体は割と本気であるように感じられた。
そうこうしているうちに、森の合間を縫った移動も終わりを迎え、目的地の湖を臨む高台の上に出る。
眼下に広がる光景は思わず息を呑まずにはいられないものだった。
天井の光を反射する鏡のような湖面が、この場所から見える地平の果てまでを埋め尽くしている。
高台だからこそ辛うじて対岸部分が視界に収まっているが、もしも湖畔から眺めていたなら、向こう岸が水平線の下に来てしまっていたかもしれない。
対岸まで歩いても一時間は掛かるに違いなく、岸辺に沿って徒歩で一周するにはそれこそ何時間も掛かるだろう。
「こいつは凄ぇな。まさかこんなにデカい地底湖だったとは」
ガーネットも感心した様子で高台の麓を見下ろしている。
観光目的なら存分に見惚れていたいところだったが、残念ながら今回の目的は別にある。
眺めのいい高台を惜しみながら、俺達は湖の畔を目指して緩やかな坂道を下っていった。
その途中で、いつの間にか先頭付近まで進み出てきていたアンブローズが、ちょっとした質問をグレイに投げかけた。
「失礼。あの湖の水深は分かるか?」
「水深? いや……詳しく調べたって話は聞いたことがなかったな。少なくとも馬鹿でかいサーペントが泳いでるところは見たことあるぞ」
「なるほど。ルーク団長、ひょっとしたら水棲の魔物との交戦も考えられる。警戒はしておいて損はないだろうね」
「ああ……何が出てきてもおかしくないつもりで挑まないとな」
アンブローズは魔物や魔獣――ダンジョンに棲まう野生種とメダリオンを核に生成される人工生命の違いだ――を用いた人体改造を得意分野としている。
なので魔物については、冒険者とは違う角度からの知識を豊富に蓄えていて、何かと参考になる意見を出してくれることがある。
今回は最初から俺も考慮していた可能性を、専門家の立場から補強してくれた形だと言えるだろう。
「……さて、ようやく到着したわけだけど、さっそく指定された座標に行ってみようか」
湖畔に着くなり、俺はここに来た目的をすぐに達成することにした。
魔王軍から提供された、第二階層から第三階層へ繋がる水路――それがこの湖に存在するわけだが、大まかな位置だけは分かっていても、具体的に周囲がどうなっているのかまでは分からない。
なので実際に現地へ赴いて情報を収集し、必要ならば突入作戦を円滑に進められるように、土木工事や機巧技術の投入による補助を用意する――それが今回の遠征の目的。
いくら物珍しい環境だったとしても、他のことを優先する理由はない。
「ユリシーズ、頼めるか?」
「はいはい。これから突入するってんならまだしも、辺りを見て回る程度でトチるほど衰えちゃいませんからね。小船ですけど大船に乗ったつもりで任せてくださいよ」
そしてユリシーズは湖畔に進み出て、グリーンホロウで唯一無二のスキルを発動させる。
「んじゃ、気を付けてくださいよっと。召喚系スキルなんで、出てきたときにはド派手に水飛沫が飛び散りますからね!」




