第637話
「さすがに一体だけではウォーミングアップにもならないか。群れで現れてくれたら多少は体も解せたんだが」
「そんな事になったら、お前に全部押し付けて先に行ってたぞ」
目の前で繰り広げられた出来事を、当たり前のように受け止めた俺とは逆に、案内役の獣人のグレイは唖然とした表情で固まっている。
「嘘だろ、おい……毒やら何やら置いといても、あんな簡単にぶっ倒せるようなモンじゃないぞ……何なんだよ地上の人間って……」
「こいつは冒険者の中でもトップクラスだからな。地上の人間を強い順に並べて上から数えたら、あっという間に名前が出てくるような奴だ。普通はあんな風にはできないと思うぞ」
大きな誤解を抱きそうになっているグレイに補足を加え、すぐに移動を再開する。
スワンプオークは完全に昏倒していて、俺達が立ち去るまでは間違いなく目を覚ましそうにない。
さすがに普通の動物と大差ないサイズの魔物程度では、トラヴィスを苦戦させるには到底至らないようだ。
もう十年以上前、俺達が同じパーティーに所属していたときと比べても、格段にパワーとスピードが向上している。
こいつはまだまだ最盛期に至っていない――俺と違って当分は第一線でやっていけるだろう――改めてそう確信させられてしまう一幕だった。
「あのっ……!」
先頭を行くトラヴィスの傍に、レイラが小走りで駆け寄っていく。
「お、お疲れ様でしたっ!」
「あ……ああ。これくらいなら大したことはないさ」
空回り寸前の勢いで詰め寄るレイラに、トラヴィスは気圧されながらもパーティーのリーダーらしい態度を保とうとしている。
今回の探索メンバーには、トラヴィスが率いるパーティー所属の冒険者も何人か加わっている。
普段から一緒に活動している若手の前で、ずっと年下の少女に懐かれてたじたじになる姿は見せたくないのだろう。
この辺りもトラヴィスらしいといえばトラヴィスらしい振る舞いである。
まぁ、こいつのパーティーのメンバーは、リーダーが若い女を苦手としていることなど承知の上で、威厳を保とうと気張っている様を微笑ましく思っているのだろうが。
「それにしても、スワンプオークなんていう魔物もいるんですね。絵物語に出てくるトロールとは別の魔物なのですか?」
「魔物の呼称には地域差もあるからな。北方ならトロールと呼ばれていたかもしれん。まぁ、俺が前に北方のダンジョンで遭遇したトロールは、脚の長さだけで俺の背丈くらいはあったんだが」
森の中を歩きながら視線を上げるトラヴィス。
隣でレイラが信じられなさそうな顔で天井を仰ぎ、ついでにガーネットも半信半疑といった様子で俺に横目を向けてきている。
「……俺は居合わせてなかったけど、それくらいの大物が出たって噂は聞いたことあるぞ」
「マジか。斬り甲斐がありそうだな」
「真っ先に思い浮かべるのがそれか? らしいと言えばらしいけど」
「オレらみてぇな歳で剣を振ってる連中なんざ、だいたいそんな思考回路だろ。サクラもそうじゃねぇか? 今回は第四階層の方に出張ってて不参加だけど」
それは偏見じゃないのかと思ったものの、思い出してみれば前衛志向の若手冒険者も似たようなものだったなと納得してしまう。
いざというときの自衛として武装している連中は、できることなら強い魔物とは戦いたくないと考えるのが普通だ。
しかし積極的に戦闘技術を修めていて、スキルもそういった系統を身につけているような連中となると、むしろ強い魔物の討伐を目的とした依頼や探索を好む傾向にあった。
さすがにドラゴンばかりに執心するセオドアのような奴は例外だが、巨大生物が出現したと聞いていきり立つ奴ならそう珍しくはない。
「テメェもそうだろ、チャンドラー」
ガーネットが足を止めずに振り返り、隊列の後ろ半分を占める白狼騎士団のメンバーに向き直る。
「あん? 俺は魔物とかにはあんま惹かれねぇな。人間並に賢いなら興味もあんだが」
「そりゃもう魔物じゃなくて魔族だろ」
「かもな。どっちかというと、あのAランクと一発やり合いてぇ気分だぜ。このダンジョンの問題が片付いたら、思う存分タイマン張りてぇな」
チャンドラーは好戦的な笑みを浮かべ、先頭を行くトラヴィスの背中を見やっている。
こいつもこいつで中々の戦闘狂だ。
しかし魔獣相手の戦いを『狩猟』に近いものと考えるタイプらしく、人間相手の戦いとは別腹と受け止めているらしい。
他の参加メンバーであるヒルドとアンブローズは戦いに興味がない部類で、スワンプオークの毒性について何だかんだと話し込んでいるようだ。
アンブローズは俺がそちらを見ていることに――フードと前垂れで頭を完全に覆っているというのに――気が付いたらしく、ヒルドと交わしている話題を俺にも振り向けてきた。
「トロールの血には薬効があると聞く。ここは一つ、胡桃街道のエリカの協力を得て、スワンプオークの血も調べてみてはどうだろう。新しい医薬品が生まれるかもしれない」
「……とりあえず、今は目的地に移動するのが優先だな。何なら、帰ってからギルドに素材収集の依頼を出した方が良さそうだ」
今から素材収集の寄り道をするわけにはいかないし、帰ってくる頃にはとっくに目を覚まして逃げているだろう。
帰り道に探して討伐するわけにもいかないから、普通に冒険者への依頼に回すのが一番だ。
という形でアンブローズとヒルドを説得し、ついでに一番後ろを歩くユリシーズにも視線を向ける。
――しかしユリシーズは、どういうわけか憂鬱そうな顔で溜息を吐いていた。




