第636話
――翌日の朝、俺達は予定通りに突入経路の下見に向かうことにした。
フラクシヌスから紹介された道案内役は、狼のような身体的特徴を持つ獣人の魔族だった。
革のジャケットを着込んだ猟師風の容姿をしていて、かなりの力を込めなければ引けなさそうな弓を背負っている。
狼そのものな顔や、毛皮と爪を有する手といった魔族らしい外見を除けば、地上の人間と大差ない印象を受ける見た目である。
「あんたがルーク・ホワイトウルフか。白い狼なんて名乗ってるもんだから、一体どういう人間なんだろうと思ってたんだが、少し予想と違ったな」
「トラヴィスみたいに屈強な人間でも想像してたのか?」
「いや、白髪に白髭で毛むくじゃらだ」
案内人の魔族は冗談めかした態度でそう言うと、毛皮の手袋を嵌めたような素手を差し出して握手を求めてきた。
彼みたいな種類の魔族に握手の風習があるのかは怪しいが、きっと人間側の習慣に合わせた挨拶をしてくれているのだろう。
「俺のことはグレイと呼んでくれ。本名は俺達の部族の言葉で『灰色』という意味の単語なんだが、覚えにくいだろうから地上の言語で構わないぞ」
「分かった、よろしく頼む」
とりあえずの挨拶を済ませてから、さっそく現地へ赴くことにする。
予定としては、朝に出発して夜に戻ってくる一日がかりの遠征だ。
土地勘のある猟師という優れた道案内人がいてこれなので、もしも地上の人間だけで行こうと思ったら、適切で安全なルートを見つけ出せるかどうかも怪しかったに違いない。
「あんたらが行きたがってる場所はな、俺らが普段からよく使ってる狩場の近くなんだ。そりゃあもうでかい湖で、陸地の魔物も水ン中の魔物もたくさんいる、結構いい狩場なんだが……」
グレイは緑豊かな未開拓の土地を先陣切って歩きながら、絶えず饒舌にお喋りを続けていたが、唐突に口ごもって聞きにくそうに目元を歪めた。
「……あんたらの言ってることは本当なのか? フラクシヌス様が仰るなら間違いは無いんだろうが……」
「言ってること……と、言うと?」
「第三階層に乗り込む経路が、あの湖にあるって話だよ。あの辺はガキの頃から足を運んでたけど、そんな話は聞いたことがねぇんだ。うちの爺様も首を傾げてたな」
魔王ガンダルフが俺達に提供した情報は、どうやら第二階層の魔族にとって周知の事実というわけではなかったらしい。
「それはまぁ、大昔から生きてるダークエルフが情報源だからな。現代に伝わってないことを知っててもおかしくないんじゃないか?」
「あー、エルフか。連中の寿命、俺達の百倍やそこらじゃ済まないっていうしなぁ。肉のある生き物なのに、フラクシヌス様みたいな樹人並に生きるなんて、ホントどうかしてるぜ」
グレイはここにエルフがいないと思っているからか、遠慮なくそんな事を言って笑った。
実際は白狼騎士団の一員として、北方エルフのヒルドも一行に加わっていたのだが、当のヒルドは後ろの方で苦笑するだけで特に反論しようとはしなかった。
しばらくそうして和やかな雰囲気が続いていたのだが、不意にグレイが顔をしかめて立ち止まり、俺達に物音を立てないようにジェスチャーで示した。
そして牙を剥きながら鼻を鳴らし、両耳を神経質そうに動かして、声を潜めて警告を発する。
「沼オークだ。こいつは厄介だぞ」
「再生力がやたら強い魔物だったな」
「ああ、いくら矢をぶち当てても致命傷になりやしない」
ガーネットが剣に手をかけようとしたのを、俺は無言で制した。
ただ斬り裂くだけでは無意味に時間が掛かるだけの泥仕合だ。
魔獣スコルの力を使えば容易に倒せるだろうが、こんな森の只中であの灼熱の塊を解き放つわけにはいかない。
「一瞬で首を斬り落とせば死ぬだろ」
「死ぬには死ぬが、奴らの血は猛毒だ。他の連中も通る狩場にばらまきたくない。あんたらの中に魔法使いはいるか? 物理的な手段で挑むよりも、そっちの方がいくらか……」
「ここは俺に任せておけ」
トラヴィスがおもむろに前へ進み出て、ミスリルコーティングされたガントレットを右腕に嵌めた。
「ちょっと待て、素手でやる気か!?」
慌てるグレイに、トラヴィスはにやりと笑ってみせた。
「スワンプオークとはこれまでの探索で何度も遭遇してきた。その度に色々と試してみたんだが、どうやら一番シンプルな手段が最適らしい」
特に気配を消す様子もなく、トラヴィスが真正面からスワンプオークに近付いていく。
俺は不安そうにするレイラの肩に手を置いて、心配するなと囁きかけた。
あいつなら間違いなく勝てる相手だ。
せっかくだから活躍を目に焼き付けるくらいの気概でいた方がいい。
スワンプオークがトラヴィスの接近に気が付き、折れた細木をそのまま握っただけの棍棒を振りかざした。
大柄なトラヴィスが小さく見えるほどの体格差――背丈だけ見ても三割増はあるだろうか。
力任せに棍棒が振り下ろされる。
しかしミスリルの篭手は容易くそれを防ぎ、逆に折り砕いてしまう。
トラヴィスはスワンプオークが動揺した一瞬の隙を突き、凄まじい速度の踏み込みで懐に潜り込んだ。
「ふっ!」
顎の真下から叩き込まれる神速のアッパーカット。
スワンプオークの巨体が軽々と宙を舞い、空中で力なく反転して頭から落ちていく。
トラヴィスはすかさずその着地点に回り込み、墜落寸前の頭に真横から蹴りを叩き込んだ。
水飛沫を上げて落ちるスワンプオーク。
自慢の再生力も、脳を直接揺さぶる強烈な打撃に成す術もなく、一滴の流血も漏らすことなく完全に昏倒してしまっていた。
わずか数秒で一仕事を終えたトラヴィスは、額に汗すら流すこともせず、こちらに向かって白い歯を見せて微笑んだ。




