第558話 溶岩の帳を潜って
やがて広大な溶岩の海が見えてきたところで、フロスティが足を止めて俺達に向き直る。
「ここだ。魔王陛下の御所……第五迷宮は目と鼻の先にある」
「第五迷宮だって!?」
「第五迷宮だと?」
図らずも俺とノルズリの声が重なる。
しかし発言に込められた感情は正反対で、驚きの理由も全く別物だ。
俺とノルズリは無言で視線を交わしてから、お互いが考えていることを察し合い、俺がノルズリに発言の順序を譲る形で身を引いた。
「……フロスティ、本気で言っているのか。第五迷宮はこの階層における陛下の居城だ。そんな場所に地上の人間共を招き入れるなど……別の無難な場所を用意することもできただろう」
「私も驚いたのですが、これは陛下ご自身の御聖断です。私はそれに従って役目を全うしたに過ぎません」
苦々しく表情を歪めるノルズリ。
その反応を見る限りだと、このダンジョンには俺達が知らなかった五番目の迷宮階層が存在し、そこが魔王軍の現在の拠点になっていることは間違いないようだ。
「陛下が仰っていたのなら致し方ない。人間共、陛下の居城を目の当たりにできる栄誉に歓喜するがいい」
「そいつはいいんだが……アスロポリスの管理者は、五番目の迷宮があるなんて言っていなかったぞ」
「当然だ。我らが第五階層を発見したのは、魔王フラクシヌスが地位を捨てて第二階層へ移った後のことだからな」
ノルズリの説明の通りであれば、俺達が第五迷宮の存在を把握できなかったことも、当然としか言いようがなくなる。
唯一の好意的な情報源が知らなかった以上、俺達が知ることなど根本的に不可能だったのだ。
「だけど目の前には溶岩の海しか……」
「『右眼』を使え。それで視れば分かるはずだ」
「……仕方ない」
本来なら濫用はしたくなかったが、これは間違いなく適正な使用だろう。
俺は右眼球に左手をかざし、過剰な性能を引き出さないように意識しながら、普段通りに『叡智の右眼』を発動させた。
「これは……!」
「どうした、白狼の!?」
視界が切り替わった瞬間、俺はノルズリが言っていたことの意味をすぐさま理解した。
「あの溶岩は幻影だ。見た目だけの偽装工作なんだ。本当はただの陥没した地形になっていて……奥の方に大きな門と階段がある……」
「視えたようだな。あれが第五迷宮の入口だ。幻影は視覚だけの誤魔化しだが、いちいち解除することはできん。このまま進むぞ」
「ちょっと待ってくれ。他の連中にも事情を説明する。そうしないとついて来てくれそうにない」
呆れきった様子のノルズリをひとまず納得させてから、俺はひとまず『叡智の右眼』を解除して、他のグループのリーダーに対する説明と説得に取り掛かる。
とはいえ、大した時間は掛からなかった。
冒険者パーティを率いるセオドアは二つ返事で納得し、黄金牙騎士団は護衛対象である使節団次第と表明し、肝心のキングスウェル公爵も部下達を納得させると約束してくれた。
「……終わったか?」
「ああ、待たせた。それじゃあ行こうか」
ノルズリとフロスティの先導で、俺達白狼騎士団を先頭に、広大な溶岩の幻影の中へと足を踏み入れていく。
まずは『叡智の右眼』で幻影だと確信できていた俺が先陣を切り、間髪入れずにガーネットも後に続く。
俺とガーネットが膝まで脚を浸しても平然としているのを見て、サクラとチャンドラーが普通の歩みでなだらかな坂を――溶岩の幻影に隠されて見えないが――下りていく。
ナギとメリッサはそれを見て安全が保証されたと判断したらしく、溶岩など最初からないかのように歩き出した。
残るメンバーはすぐには追いかけてこなかったが、警戒心から二の足を踏んでいるのはマークとエディの二人だけだ。
魔法使いであり研究者でもあるヒルドとアンブローズは、幻影の仕組みに興味を示して足を止め、勇者エゼルは屈み込んで溶岩の幻影に手を付けて、その表面が本物のように波打つ様子を面白がっていた。
「……それは帰りにしてくれるか?」
「おっと、すまない。これほど大規模な幻影なら、地面にも魔法的な措置が施されているのだろうと思って、つい探してしまった」
「ごめんごめん! 待ってってば、ガーネット!」
良く言えば恐れを知らず堂々としているが、悪く言えばマイペースを貫き過ぎている。
ある意味で大物めいた振る舞いの数々を、マークとエディだけでなく、使節団の面々も驚きの混ざった眼差しで見やっていた。
そのまま歩を緩めることなく前に進み、目線が溶岩の幻影の表面を通過したところで、視界に広がる風景が一変する。
溶岩は跡形もなく視界から消え失せ、アーチ状の屋根に覆われた石畳の道が、俺達の足元から壁面の門に向かって一直線に伸びている。
まるで古城の庭先だ。
ノルズリとフロスティは観光気分に浸る暇すら与えることなく、このままついて来るよう俺達に促して、門の向こうに広がる第五迷宮へと踏み込んでいった。
第五迷宮――それは洞窟などとは似ても似つかない、人工的な地下迷宮であった。
端的に言えば城そのもの。
窓のない城が丸ごと地中に埋没したかのような内装で、魔力を光源とする照明が点々と配置されている。
通路は幅広く、天井は地中と思えないほどに高く、それらの全てが歴史を感じる装飾で彩られている。
そして、ここが遺跡などではない証拠として、そこかしこに軽装備のダークエルフの警備兵が配置され、現在も用いられている軍事施設であることを物語っていた。
「こいつは……凄いな。第一階層の魔王城と比べても遜色ないんじゃないか?」
「当然だろう。あちらの城は前線基地に過ぎん代物だ。こちらこそが我らの本拠。故に、よもや貴様らを招き入れることになろうとは、夢にも思っていなかったわけだがな……」
やがてノルズリは、廊下の奥に設けられた豪奢な扉の前で立ち止まった。
「ここが謁見の間だ。ガンダルフ陛下はこの中でお待ちになっておられる。まかり間違っても無礼のないように気をつけろ」




