第556話 使節団の道中
そうして俺達はホロウボトム要塞を出立し、岩山地帯の奥に存在する大穴へと向かっていった。
第一階層は『元素の方舟』の中でも比較的安全な階層だが、それでもドラゴンという強大な魔物の生息地であることに変わりはなく、初めてダンジョンに踏み込んだような貴族を連れ歩くのは神経を使ってしまう。
「ふぅむ、これがダンジョン……『奈落の千年回廊』の奥に広がる世界か。不気味なくらいに地上と変わらんな」
馬車の窓からキングスウェル公爵が身を乗り出して、興味深そうに地下空間の天井を見上げる。
さすがに老人も加わっている使節団を延々と歩かせるわけにもいかないので、使節団は途中まで馬車に乗って移動させることになっていた。
速度は徒歩と変わらない程度。
歩きで大穴を目指す白狼や黄金牙の面々は、普段から体を動かし慣れているのもあって、大した苦労もなく馬車に追随できている。
「現地の魔族から得られた情報を信じるなら、ダンジョンとは地上の環境を保管するためのものだったようですから。まぁ大陸全体を見れば、単なる洞窟や地下建造物に過ぎないものが大部分ですけど」
「このダンジョンこそ、かの知恵者が生み出した最初の一つ、全てのダンジョンの原型とのことだったな」
使節団の他の貴族達は、遠方にドラゴンの影が横切るだけでも身を竦めているというのに、キングスウェル公爵はどこ吹く風といった様子で平然としていた。
それどころか、いつ馬車を降りると言い出すか分かったものではない雰囲気だった。
「迷宮を抜けた我が愚兄がこれを目の当たりにしたのなら……今まで以上に我を忘れてのめり込んだに違いあるまい」
「……興味がおありなのは構いませんが、素人の探索はお勧めできませんよ」
「いやいや、そこまでは思っておらん。名目上、今回のグリーンホロウ訪問は現地視察ということになっているからな。最低限それらしい素振りは必要だろう」
相変わらず本音の読めない老人だ。
政治的な駆け引きをするには、むしろこういう性格こそが適任なのかもしれないが。
――ともかく、そうこうしているうちに何事もなく岩山地帯を抜け、第四階層へ通じる大穴へと辿り着く。
螺旋通路の手前に来たところで、使節団の面々が驚きに言葉を失う。
何体ものドラゴンが悠々とすれ違える巨大な縦穴は、俺達冒険者が見ても気圧されてしまう光景であるが、ダンジョン慣れしていない面々にとってはなおさら衝撃的だったようだ。
「この大穴は目的地である第四階層まで直通しています。壁面の内側に古代の通路が螺旋状に彫り抜かれていて、大穴の最下端まで安全に移動することができます」
俺は使節団を先導する騎士団の代表者として、大穴の螺旋通路について改めて説明をした。
「大穴の下端は第四階層の天井に口を開けていまして、そこから先は天井と壁沿いに建築された後付の通路を利用します。ちなみに螺旋通路の壁には窓のような穴が空いていますが、身を乗り出さないようにしてください」
最後に付け加えた一文が、場を和ませるジョークだと受け止められたのか、使節団メンバーの一部が笑みをこぼす。
だが俺としては割と本気の忠告だ。
大穴から転落すればリカバリは不可能。
セオドアのように空中を移動するスキルか、墜落のダメージに耐える手段でもなければ即死は免れえず、そうなってしまえば俺の【修復】でもどうしようもない。
「では、出発いたしましょうか」
白狼騎士団を先頭に、使節団と直接の護衛兵が続き、最後尾を黄金牙の部隊が固めるという隊列で、螺旋通路を下っていく。
第一階層を目指すドラゴンの姿が見えるたびに、使節団の方から悲鳴とも歓声とも付かない声が上がり、その度に歩みが遅くなってしまう。
ガーネットと顔を見合わせて苦笑を交わす。
普段から現場の騎士や冒険者とばかり行動していると、こんな当たり前の反応にも新鮮味を感じてしまう。
――やがて螺旋通路を下り終え、第四階層の天井に沿って設けられた空中回廊にたどり着いたところで、使節団の面々から露骨な恐怖心が伝わってきた。
「大丈夫ですよ。通路の柱は天井と【融合】していますから、相当な負荷が掛かっても抜けたりはしません」
それでもなお空中回廊に下りるのを渋る使節団の貴族達。
ガーネットの顔に微かな苛立ちが浮かんだところで、使節団の面々の奥からキングスウェル公爵が姿を現した。
「まったく……戦争を知らん若い貴族ならまだしも、お前達が怯え竦んでどうするのだ。こんなもの、矢と魔法が降り注ぐ戦場と比べれば、愉快な遊具のようなものだろうに」
キングスウェル公爵は率先して耐熱装備に身を包み、平然と空中回廊に足を進めると、急に「おおっ!」と声を上げた。
「これは想像以上に面白い光景だな。地上……と言っていいのか? とにかく地面を魔物が這い回っているのもよく見えるぞ。あの赤く光っている池は溶岩か? よもや溶岩を泳ぐ生き物がいようとはな……」
使節団で最も地位の高いキングスウェル公爵が、怯むどころか楽しげに空中回廊を歩いていくのを見て、他の貴族達もお互いの顔色を窺いながらぽつりぽつりと後に続く。
渡る者が増えるにつれて安全だという認識も深まったらしく、全員が移動を再開するまでにさほど時間は掛からなかった。
俺は歩幅を調節してキングスウェル公爵の隣に付き、何気なく頭に浮かんだことをそのまま言葉にした。
「閣下もダンジョンがお気に召したようですね」
「……閣下も、か。確かにな。我が愚兄が迷宮の調査に魅せられたことを、他人事のように呆れた眼差しで眺めてきたが、どうやら血は争えんらしい」
キングスウェル公爵の年老いた顔に自嘲めいた笑みが浮かぶ。
「私と愚兄の違いは、ダンジョンという神秘の宝庫に目を向けたか否か……ただそれだけだったのかもしれん。だとしても、私の成すべきことは何も変わりはしないのだがな」
そうして第四階層の地上に到着した俺達を、セオドア率いる冒険者パーティが迎え出る。
「やぁ、ご苦労様。ここから先の案内は我々にまかせてくれたまえ。代わりに君達には……彼の監視をお願いしようか」
セオドアがそう言って視線を向けた先には、何重もの魔法的な拘束を受けた魔将ノルズリが、無愛想な態度で佇んでいた。




