第549話 敵対ならぬ対面 中編
――それから間もなく、俺達は予定通りの時刻に『日時計の森』の第五階層に到着した。
もうすっかり通い慣れたホロウボトム支部を通過し、隅々まですっかり整備された広大な地下通路を下りきり、ホロウボトム要塞に足を踏み入れる。
本来ならこのまま敷地内を通過してダンジョン探索に乗り出すのだが、今回は冒険者が立ち寄らない建物の中へと入っていく。
「待て。ここから先は関係者以外……」
近くにいた女性騎士が俺達を呼び止めたが、すぐに部外者ではないと気がついたらしく、安心した様子で表情を緩めた。
「ライオネルか、久しいな。それにルーク殿も」
「お久し振りです、ヘイゼル隊長」
その女性騎士は出向前のライオネルが所属していた部隊の隊長で、俺にとっても顔馴染みの騎士だった。
魔王城のど真ん中で脱出作戦を敢行したことは、まるで昨日のことのように思い出される。
「連絡は既に承っております。魔将ノルズリとの面会ですね。こちらにどうぞ」
「お世話になります」
俺はヘイゼル隊長と簡単な挨拶を交わし合ってから、彼女の案内で要塞の奥へと進んでいった。
「正直に申しますと、魔将ノルズリの身柄を引き渡されると聞いたときは驚きました。しかも捕虜ではないから丁重に扱えとのことで。受け入れ体制なんて整ってもいませんでしたから、色々と大変でしたよ」
「厄介事を押し付けてしまって申し訳ないです。それにしても、収容先は魔王城ではなかったんですね。地上から遠い方が選ばれるかと思ったのですが」
魔王戦争が集結して軍事力の多くが引き上げられた現状、ノルズリを収容できるような陣地は、このホロウボトム要塞か占領済みの魔王城のどちらかだった。
この要塞は通路を挟んで『日時計の森』と隣接しており、グリーンホロウ・タウンの住人が出入りするような場所の目と鼻の先にあるので、選ばれる可能性は高くないと思っていた。
「ええ、魔王城は彼らが長年に渡って使用してきた拠点です。可能な限りの調査はされていますが、見つけられていない抜け道やトラップがないとも限りませんから」
「なるほど。ここに入れておけば安全だと思った部屋に、実は抜け道が隠されていたってこともあり得ますね」
魔王城は奴らの本拠地だから理解度はノルズリの方が上だが、ホロウボトム要塞なら奴にとっても未知の施設。
確実に身柄を確保することを重んじるなら、魔王城よりも効果的だ。
理由を聞いて納得しているうちに、半地下の階層の最奥にまで到達する。
「お待たせしました。魔将ノルズリはこの部屋に収容されています」
「ヘイゼル隊長。ここは確か捕虜を収容する牢獄のフロアでは。収容条件に合致しないと思われますが」
ライオネルの疑問に対し、ヘイゼルは困ったように首を横に振った。
「他に適切な場所がなかったんだ。しかし、元のまま使っているわけじゃない。牢の扉を全て撤去して、フロア全体を一つの部屋として運用している形だ。それに……いえ、これはルーク殿の目でご確認していただきましょう」
ヘイゼルは何やら意味深なことを言いながら、牢獄フロアの扉の鍵を開けた。
そして重い扉が押し開けられると同時に、冷たい空気が扉の隙間から噴き出してくる。
「……なんだぁ、こりゃ」
ガーネットが困惑の声を漏らす。
扉の向こうに広がっていた光景は、俺も言葉を失わずにはいられないものだった。
半地下の牢獄とは思えないほどに豪華な内装――ただし、全てが氷で構成されている異様な空間。
床も天井も壁も全て硬い氷に覆われ、表面には石材を真似たような幾何学的な氷の溝があしらわれ、装飾目的としか思えない氷細工がそこかしこに取り付けられている。
牢獄の檻は尽くが氷にコーティングされて隙間のない壁となり、まるで高級ホテルのスイートルームのような、複数の部屋が連結した構造へと作り変えられていた。
「足元にご注意ください。部屋の主以外が足を滑らせないような配慮はなされておりませんので」
ヘイゼルの先導で、フロアの一番奥にある大部屋の牢獄……であったはずの氷の部屋へと足を運ぶ。
「――何の用だ。貴様らに語って聞かせることなど、何もないと言ったばかりだろう」
そこには雪のクッションを並べた氷のソファーがあり、その上には薄い部屋着を纏ったダークエルフの女が身を横たえていた。
魔将ノルズリ――普段は金属甲冑を纏った姿で対峙しているので、頭に思い浮かぶ格好と眼前の有様がすぐには一致しなかった。
「誰かと思えばルーク・ホワイトウルフか。こんな場所で何をしている」
「なっ……何をしてるってのはこっちのセリフだ! テメェ何やってんだよマジで!」
大声で困惑を吐き散らすガーネット。
正直な話、言葉にしないだけで俺も同じ感想を抱いている。
何なんだこの部屋は。何なんだその寛ぎようは。大胆不敵にも程があるだろう。
「私は氷の二つ名を背負うもの。これくらいは苦労のうちにも入らん。スズリの奴が自分の炎で焼け爛れぬように、私にとっては冷気など苦痛を与える現象足りえんからな」
「んなこと聞いてんじゃねぇよ! テメェ自分の立場とか分かってんのか!?」
「理解しているからこそだ」
ノルズリは雪と氷のソファーからおもむろに身を起こし、気だるげな眼差しを俺の方に投げつけてきた。
「私は貴様の右腕と、お互い十全に交換されるべき質草だ。心身を万全に保つのは義務であり、それを成さぬのは陛下への裏切りに他ならん。貴様らがもっとマシな部屋をよこせばいいだけの話で、私はその不足を善意で補っているだけだ」
当然のように並び立てられる耳慣れない理論武装の前に、ガーネットはぐぬぬとでも言いそうな顔で押し黙った。
実際、ノルズリは捕虜でもなければ囚人でもなく、一連の取引が実を結ぶか物別れに終わるかの結果が出るまでの間、お互い不用意に手を出さないことの証明として差し出された人質である。
虜囚のような扱いはしないようにと王宮からも念を押されたのも事実だが、それにしてもこの大胆不敵っぷりは、一周回って尊敬に値しそうになってしまう。
「さて……ルーク・ホワイトウルフ。わざわざ貴様が出向いたということは、私と話がしたいということだろう。ちょうど退屈していたところだ。こちらの気が済むまでは付き合ってやろう」




