第519話 若き日の思い出 後編
そうして家の中に入るなり、ガーネットはソファーに座るよう俺に促して、自分は手早く飲み物を用意してきた。
いつものハーブティかと思いきや、注がれていたのは買い置きの葡萄酒であった。
酒が入った方が話しやすくなるとかいう考えなのだろうか。
「何度も言うけど、別に怒っちゃいねぇんだぜ。オレの知らないお前の一面って奴を知りたくなっただけでさ」
ガーネットは俺の内心の動揺を目ざとく感じ取ったらしく、器用に背もたれ越しに顔を覗き込み、からかうような口調でそんなことを言ってきた。
まったく……どうやら適当に終わらせてはもらえないようだ。
俺は葡萄酒で唇を濡らしてから、これまで詳しく話した覚えのない思い出話を語ることにした。
「……故郷の村を十五歳で飛び出して、かれこれ十五年ほど冒険者を続けてきたんだが、個人的には五年ごとに状況が変わったと思っているんだ」
「最初の五年と次の五年、それと最後の五年ってことか?」
「ああ。最初の五年はよくいる新人冒険者だ。サクラみたいに即行でCランクまで上がって、もうすぐBランク昇格も秒読み段階なんて奴は本当に珍しいんだよ」
年齢が十代後半程度のEランクは、文字通り掃いて捨てるほどの数がいる存在だ。
まともなスキルをまだ獲得していない奴も珍しくなく、運が悪かったり昇格を焦ったりしていなければ、年単位でDランクに昇格できないことも、決してありえないわけではない。
「同期のトラヴィスに差をつけられたのは気にしてたけど、まさか十年経っても状況が変わらないとは夢にも思わなかった時期だった。トラヴィスへの劣等感はあっても、極端に焦っていたわけじゃなかったんだ」
「黒沼谷のヴェラってのと遊んでたのもその時期か」
「とっくにお前よりも歳上だったけどな。それに長続きもしなかった。俺なんかと一緒にいても先がないって、早々に見限られたんだろうな」
「見る目がねぇ奴だぜ」
ガーネットはいつの間にかソファーの背もたれを乗り越えて、俺の隣に座って葡萄酒をあおっていた。
「その時期っつーと、確か支部長のフローレンスにも気があったけど、他の冒険者に負けちまった頃だっけか」
「よく覚えてるな。同じ街を拠点にしてた新人の半分は、フローレンスに気があったんだ。最終的に勝ち残った奴も本当に良い奴だったから、ただのいい思い出さ」
けれど奴は、俺が街を出て十年と経たずに命を落としてしまった――ということは、改めて語らないことにした。
そのことはガーネットも知っていたはずだし、今はそれについて語る空気でもない。
「で、フローレンスとヴェラはどっちが先だったんだ?」
「フローレンスの方が先だったな。ヴェラと会ったのはその後の……とにかく、当時の俺は本当に人並みなんだよ。派手に遊んでたわけじゃなくて、人並みの冒険者としての青春があっただけで……」
「青春ねぇ……よく分かんねぇや」
どこか自嘲気味な呟きを耳にして、俺はようやくガーネットが抱いている感情の正体に勘付いた。
過去に交際相手がいたという事実への嫉妬心ではなく――それも否定はしきれないのだが――どうしようもない距離感、あるいは疎外感。
ガーネットは幼い頃に母を失い、復讐を志して銀翼騎士団に加入した。
それだけでも、世間の『普通』から隔絶した幼少期を送ったことは想像に難くないが、ガーネットの場合は銀翼騎士団が女子禁制であることが更に事情をややこしくする。
銀翼は構成員を男性に限るという、古い方針を堅持した騎士団だ。
騎士団長が実兄であり、職務内容も復讐相手を追うために最善である点は好都合だったものの、ガーネットが所属するためには性別を偽るより他になかった。
――もちろん騎士には騎士なりの青春があるのだろう。
しかしガーネットは、性別を偽らなければならない関係上、そういった騎士の間での人間関係を築くことも難しかったに違いない。
故に昔の俺の話題が出ても、それに共感を抱くことができず、疎外感のようなものを感じてしまっていたのかもしれない。
つまるところ、先程ガーネットが口にした『オレの知らないお前の一面って奴を知りたくなった』というのは、まさしくそのままの意味だったわけである。
ならば、俺がするべきことは決まっている。
ガーネットに満足してもらえるまで、若い頃の思い出を語り続けるだけだ。
「……次の五年は各地を転々とし続けた。結果的には見聞を広めることになったから、これも無駄な時間ではなかったんだと思う」
「その前は遠出とかしなかったのか」
「もちろん、たまに遠征することならあったさ。だけど全体としては、最初の五年は特定の都市を拠点にして、腰を据えて経験を積んだ時期だったな」
葡萄酒をちびちびと飲みながら、思い出話の年代を少しずつ先へと進めていく。
「だけど俺は街を出た。被害妄想かもしれないけど、いつまで経ってもDランクに昇格できず、新しいスキルも得られなかったから、居心地が悪くなったんだ」
「他所の土地でも変わらないんじゃねぇのか?」
「変わるんだな、これが。冒険者を何年やってるのかなんて、普通はわざわざ調べたりはしないから、黙っていれば二十歳を越えてから冒険者に転身した奴と区別がつきにくいんだ」
今度は俺が自嘲の笑みを浮かべる番だった。
今になって言葉にしてみれば、情けないことこの上ない。
知り合いがいない土地に逃げ込んで、自分のダメっぷりを誤魔化していたに過ぎないのだから。
「この時期にもトラヴィスとはちょくちょく一緒に探索していたし、ダスティンやセオドアと会ったのもこの頃だ。知識もかなり身についたから、結果的には得る物が多かったかもしれないな」
「真ん中の五年間はどれくらいモテたんだ?」
「やっぱりそこも気にするのか……最初の五年と比べたら全然だったさ。俺も割とそれどころじゃなくなってきたしな」
興味津々といった様子のガーネットに、思わず苦笑を浮かべてしまう。
「で、最後の五年は色恋沙汰とは縁がなかった。完全に自他共に認める落ちこぼれで、そろそろ最後のチャンスだと思ってみたり、もう無理なんじゃないかと諦めてみたり……そんなときに勇者ファルコンの依頼に飛びついて、後は知っての通りだ」
「アレクシアやAランクのロイの世話をしたのも、確かこの時期だったんだよな。あれはどういう心境だったんだ?」
「ああ、それか」
さすがに直近の五年程度ともなると、具体的な心境もそれなりに覚えている。
「放っておけなかったのはもちろんなんだが、きっと『何か残したかった』ってのもあったんだろうな。当時は無自覚だったけど、今思えば多分そうだ」
「自分自身が最底ランクのままで終わったとしても、育てた後輩が出世すれば無意味じゃない……か。相当追い詰められてたんだな、お前」
「全くだ。冷静だったら、あんな条件の依頼を受けて、ファルコンについて行ったりしてないさ」
こんな話、ガーネット以外にはとてもじゃないが打ち明けられたものじゃない。
昔馴染みのトラヴィスともできないだろう。
むしろあいつに対しては、強がりというか格好つけのような態度を取ってしまいがちなので、口が裂けても言えないかもしれない。
素顔も弱さも全て曝け出せる相手だからこその昔語り。
俺にとってはガーネットただ一人との思い出話だ。
「こういうのは言葉にしないと伝わらないかもしれないから、ハッキリ言っておくぞ。確かにこれまで色んな奴と付き合いを持ってきたけど――やっぱり一番はお前だよ、ガーネット」
「ぶはっ……!」
ガーネットは飲みかけていた葡萄酒を吹き出しかけ、真っ赤な顔で目を丸くして俺を見上げた。
「お、おまっ……! そういうこと素面で言うか!?」
「生憎と誰かさんのおかげで、ついさっき素面じゃなくなったところなんだ。恨むならこの葡萄酒を恨んでくれ」
ガーネットの動揺ぶりを横目に、してやったりとばかりに笑みを浮かべる。
俺だってやられっぱなしというわけじゃない。
可愛い反応を見せてもらえたから、ここまで手玉に取られた分の反撃としては充分だ。
「それより、お前の思い出も聞かせてくれないか。俺ばっかりが話してるんじゃ不公平だろ」
「むぅ……あんまり詳しいことは話せねぇぞ。銀翼の外には漏らせねぇ話が山ほどあるからな。それでも構わねぇっつーなら……そうだな、まずは……」
ガーネットは銀翼の騎士として活動してきた日々を思い返しながら、さり気なく俺に肩を寄せてきた。
その微かな重みすら、俺にとっては愛おしく大切なものに感じられるのだった。




