第488話 千年回廊を暴く光 後編
「次は虹霓鱗騎士団の話を聞こうか。察するに、お前達も『奈落の千年回廊』に関わる報告なのだろう?」
「かしこまりました。ヒルド、お願いできる?」
「はい、お任せください」
アンジェリカ団長から指示を受け、ヒルドが資料を手に椅子から立ち上がる。
「私共、虹霓鱗騎士団は『元素の箱舟』および、該当ダンジョンの第一迷宮である『奈落の千年回廊』に関しての研究分析を行ってきましたが、今朝ようやく報告可能な程度の見解が纏まるに至りました」
フードの下でハキハキとしたよく通る声が発せられる。
研究が本来の役目というだけあって、やはりこうした発表の場にも慣れているようだ。
「キングスウェル公爵閣下から提供された資料の分析。翠眼騎士団のアンブローズ卿による『奈落の千年回廊』の現地調査。それらの情報を騎士団所有の王都の研究施設に送付し、魔法的な観点からの分析と検討を行い、結果……」
やはりアンブローズも一枚噛んでいたか。
本人としては、個人的な調査の結果を虹霓鱗に提供したという言い分なのだろう。
しかしこの些細な驚きが一瞬で消え失せるほどに、ヒルドが告げた分析結果は想像の範疇を越えていた。
「……恐らく『奈落の千年回廊』は、それ自体が巨大な防御的魔法陣なのだと思われます。それこそ並大抵の都市であれは軽く内包できる、極めて広大な面積の対空防御です」
「は……?」
「ほう?」
俺は唖然と、陛下は興味深そうに驚きの声を漏らす。
ヒルドの口から飛び出してきた単語の一つ一つが、どうしても俺が知る『奈落の千年回廊』……ひいてはダンジョンのイメージと結びつかない。
地中に埋没した迷宮が対空防御の魔法陣だって?
頭の中で情報に整理をつけるよりも先に、ヒルドがより詳細な解説を付け加える。
「アルジャーノン氏が残した資料には、迷宮の全体像を描いたものはありませんでしたが、断片的な情報を繋ぎ合わせることで大部分の構造を地図に書き起こすことができました」
「我が愚兄の雑多な資料をよくぞ纏めたものだ。最悪、ファルコンめを超法規的措置で送り込んで【地図作成】を使わせるべきかとも思っておったが」
キングスウェル公爵が感心するのも無理はない。
白狼騎士団の資料室に運び込まれた資料の山は俺も確認しているが、種類別で分類するだけでも終わりが見えないのではと思えるほどの有様だった。
「原理自体は単純です。ホワイトウルフ商店で取り扱われている魔道具にも、ミスリルの金属線を用いて魔法的な模様を構築し、特定の効果を発揮させる商品があったはずです」
「……まさか、迷宮の石壁に偽装されたミスリル製の壁が、その金属線と同じ働きをしていたっていうのか?」
「恐らくは。構造が不明な部分を補った縮小模型を作成したところ、魔法陣として正常に機能したとの報告を受けています」
ミスリルの取り扱い量に上限があるため、大量にミスリルを使った製品はほとんど受注生産にならざるを得ないが、その手の商品も確かに取り扱っている。
例えば、戦闘や大規模な【修復】の必要が想定されるときに常備するポシェット型の魔力供給器なども、収納した魔力結晶から取り出した魔力をミスリルの金属線を介して体に流し込む構造になっていた。
「迷宮そのものが魔法陣……上方に対する防御……まさか……」
俺は思わず頭に浮かんだ想像を口走ってしまった。
「神獣の攻撃から『元素の方舟』を守るための盾か!」
何故あんなにも迷宮が広大だったのか?
何故ミスリルを惜しげもなく投入して壁を作ったのか。
どちらに対する回答も、そうする必要があったからだと説明できる。
迷宮の面積が広大だったのは、第一階層以下の全域をカバーし尽くす必要があったから。
ミスリルを大量に用いたのは、要求される強度と自己修復機能を実現するために必要だったから。
かつて垣間見た遥かな過去の情景には、あまりにも巨大極まりない獣が跋扈する地獄のような光景が含まれていた。
あれらが人類に敵意を振り向け、地下の避難所の試作品たる『元素の方舟』にすらも攻撃を加えていたとすれば、地上から地下へ叩き込まれる絶大な物理攻撃に対する備えが必要不可欠なはずだ。
「虹霓鱗もルーク団長と同じ仮説に至っています。単なる巨大な金属回路ではなく、人間が通行可能な中空の金属回廊としたのは、防御機構のメンテナンスを考慮してのことでしょう」
「自動修復機能では対応しきれぬ可能性も考慮したわけだな。創造主のアルファズルの先見性もさることながら、そこまでせねばならなかった神獣の強大さも凄まじいものだ」
国王陛下が顎髭を撫でながら興味深そうに頷く。
その間にも、俺の頭の中では既知の複数の情報が組み合わさり、まさかと思えるような想像が広がっていた。
「ルークよ、何か思いついた顔をしているな。遠慮せずに聞かせてみろ」
「……これは単なる想像なのですが……」
陛下に促されるままに、思いついたばかりで何の裏付けもない考えを言葉にする。
「……『奈落の千年回廊』には、内壁の損傷に連動して隠し通路が開き、第一階層のドラゴンが解き放たれるギミックが仕込まれていました。侵入者に対する防御機構だろうと考えられていましたが、正直なところ、さほど効率的とは言えない代物だと感じておりました」
あれの発見は俺がホワイトウルフ商店を始めた直後にまで遡る。
迷宮から脱出するときと、ミスリル密売の疑いを晴らすために銀翼騎士団の前で実践してみせたとき――これら二回の破壊に連動してドラゴンが解き放たれ、『日時計の森』の第五階層で想定外の戦闘が繰り広げられることになってしまった件だ。
侵入者に対する防御だろうという説は最も有力ではあったが、どうしても解消できない疑問点もあった。
何故なら、迷宮に忍び込んだ者が内壁を破壊し、それに連動してドラゴンを解き放ったところで、ドラゴンは大きさの問題で迷宮に入れないため、侵入者を攻撃することができないのだ。
「ドラゴンは迷宮内の侵入者を攻撃できず、迷宮に手を出せばドラゴンが現れると印象付ける迂遠な防御であると説明されてきましたが……『奈落の千年回廊』が神獣に対する防衛であるなら話は別です」
我ながら発想のスケールが一回りも二回りも大きくなってしまった感がある。
しかし、こう考えるのが最も自然だとしか思えなかった。
「あのギミックは、大地を砕きかねないほどの攻撃を地表越しに加え、迷宮状の魔法陣を破損させるに至った神獣に対し、ドラゴンの大群を差し向けて対応する仕組みだったのではないでしょうか」
もちろん神獣がドラゴンの群れでどうにかできたのかは分からない。
けれど可能性としては、攻撃の手を緩めさせる初期対応と割り切っていたというのもあるはずだ。
「興味深い仮説だ。アンジェリカ、検討する価値はあると思うか?」
「はい。こちらでもその方向性で分析を続行したいと思います」
ただの思いつきが国王と担当騎士団の団長の両方に受け入れられてしまった。
困惑する俺の背後で応接室の扉がノックされ、侍従が最も重要な客人の訪れを報告する。
「北方樹海連合議員、エイル・セスルームニル様がご到着なさいました」
応接室に緊迫感が満ちる。
けれど陛下だけは悠然とした態度を崩すことなく、扉の向こうの侍従に返事をした。
「お通ししろ。くれぐれも丁重にな」




