第482話 そして夜会の幕が上がり
竜王騎士団のウィリアム卿とのやり取りは、特に問題もなくささやかな雑談のように終わりを迎えた。
俺がトラヴィスに対する主観的な評価を述べて、ウィリアム卿がそれを大真面目に聞いているという奇妙な構図だったが、少なくともドレイク家が納得できるだけの情報は提供できたようであった。
レイラがトラヴィスに思いを寄せているのが竜王騎士団まで伝わっていたという事実は、俺を驚かせるに足る程度には衝撃的だった。
まぁ、伝わっているのは当然といえば当然なのだが。
本人は騎士になっていなくとも、近衛兵団の中核を担う一族の令嬢であることに変わりはなく、そんな少女が地方に滞在し続けたいと希望したなら、実家も理由を把握せずに放っておくわけにはいかないわけで。
そこから同じく騎士団の中核を担う一族に情報が伝播するのは、至って当然の顛末であると言えるだろう。
「(トラヴィスの奴も大変だな。ま、俺も他人のことは言えないわけなんだが)」
何のためにこういう活動をしているのかと考えれば、忙しさもまた充実感を生むきっかけだ。
待合室の扉を開けると、騎士団長としての役目の大変さを何もかも嬉しさに変えてくれる相手が、待ちくたびれたと言わんばかりの眼差しを投げてきた。
「おせーぞ、ルーク。オレ一人だけで会場入りとか、悪い意味で目立っちまうところだったぞ」
「ご安心ください、お嬢様。私もご一緒させていただきますから」
「お前、分かってていってるだろ……こういう場合に従者はノーカウントなんだよ」
ガーネットとアビゲイルのやり取りに思わずくすりと笑ってしまう。
俺が間に合わなかったら二人で会場に行くよう申し合わせてあったのだが、どうやらガーネットはできることならそれを避けたいと思っていたらしい。
しかし、ガーネットがこういう場で格好をつけたがるとは考えにくいので、恐らく嫌だと思っていたのは周囲の目ではなく――
「……何じろじろ見てんだよ。どっか化粧でも崩れてんのか?」
「いや、何でもない。ちゃんと綺麗にできてるぞ。それじゃあ、そろそろ行こうか」
「お、おう……バレねぇようにちゃんとリードしろよ?」
「分かってるって。善処はするさ」
ガーネットの手を取り、アビゲイルを引き連れて夜会の会場へと足を運ぶ。
そこは王宮内部に設けられた豪華絢爛な大広間。
陛下の趣味というわけではなさそうだが、ウェストランド王国の首都に座する宮殿の舞踏場ともなれば、やはり相応の規模と格式が求められてしまうものなのだろう。
高い天井はきらきらしく飾り立てられ、楽団が奏でる生の演奏が壮麗に響き渡る。
用意された酒と料理は口をつけるまでもなく最高級品だと理解でき、床の一部を覆う赤い絨毯は一歩踏み出すごとに上品な質感を伝えてくる。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚に味覚。
来賓の五感全てに王宮の力を知らしめようという意図がひしひしと伝わってくる。
「凄いな……この前の夜会よりもずっと大規模だ……」
「そりゃ、あのときは伯爵が私的に開いたパーティーだったからな。王宮主催の奴は格が段違いだぜ」
周囲に聞こえないよう小声で言葉を交わし合う。
会場の広さと集まった人の多さもあり、ガーネットが普段の言葉遣いで喋っても、他の誰かに聞き咎められることはなさそうだった。
「やっぱり、こういう大袈裟なパーティーも、王国をまとめ上げるには必要不可欠なんだろうな」
「分かってんじゃねぇか。つい最近までバラバラだった連中をまとめて従わせてる以上、王宮に大陸を統治する力がねぇと思われたら、マジで面倒なことになっちまう」
「かと言って、武力を振るって分からせるわけにもいかないから、こういう形で力を知らしめると……」
大規模な夜会を開催できる経済力。
外国勢力も含めた各地の要人を招くことができる影響力。
どちらも軍事に転用すれば、膨大な軍事予算を捻出しつつ多くの勢力を味方につける、という形で軍事力を増大させられる要素である。
再び大陸に戦乱をもたらそうとするのなら、これほどの力を持つ大勢力を敵に回すことになるのだと、来賓に対して言外かつ明確に伝えているわけだ。
提供されている酒と料理すらも、よくよく見れば大陸各地の製品が幅広く取り扱われており、大陸の隅々までが王宮の支配下にあるというアピールになっている。
今回の夜会のために多くの資金が投じられていることは想像に難くないが、平和を保つための投資であると考えるなら、一概に無駄遣いだと考えることもできなさそうだ。
「とりあえず、国王にご挨拶といこうじゃねぇか。今なら順番待ちも短そうだぜ」
「そ、それもそうだな」
ガーネットに促され、綺羅びやかな人々の合間を縫って、国王陛下が座す席へと向かう。
途中ですれ違った人々も、きっとその多くが高い地位と権力を持つ面々なのだろうと思うと、思わず息を呑まずにはいられない。
幸か不幸か、陛下への挨拶の順番待ちがちょうど減ってきたタイミングだったので、数人分の待機だけで陛下の前へと進み出ることができた。
「次の方、どうぞ前へ」
従者の呼び出しを受けて前に進み出て、すぐさま片膝を突いて頭を下げる。
ガーネットも普段の振る舞いからは想像もできない優雅さで礼をして、見た目通りの役割を見事なまでに全うしている。
「白狼騎士団団長、ルーク・ホワイトウルフ。ここに参上しました」
事前にガーネットから教わったとおりに挨拶をすると、やはり事前に聞いていた型通りの言葉が陛下から投げかけられる。
「よく来てくれた。面を上げよ」
緊張を何とか抑え込みながら、指示されるがままに顔を上げる。
ここまでは丸暗記でどうとでもなる手順。
後のやり取りはその場で何とかするしかない即興劇だ。
威厳ある装束を身にまとった陛下が椅子に座し、その隣の席には国王陛下と同年代の美しい女性――言うまでもなくこの王国の王妃陛下だ。
彼女もまた、一時は冒険者の肩書を背負っていた身……それも、先王が出した難題を解決した者に嫁がせるというお触れをなかったことにするため、自ら難題に挑んだという傑物だ。
更に隣の席に目をやると……一回り小さな椅子に腰掛けた少女が、何故か露骨なまでに目を……いや、顔全体を背けていた。
俺はあまりにも奇妙な反応に困惑してしまい、説明を求めてガーネットに目を向けたが、当のガーネットもさり気なく顔を伏せて笑いを堪えていた。
何なんだこれは。俺にどうしろというのだ。
国王陛下も同席した少女の異様な反応に気がついたらしく、困ったような声で少女に声を掛けた。
「何をやっているんだ、エゼル。お前もきちんと挨拶をしなさい」
「……えっ?」
その名を聞き、更にしぶしぶ向き直った少女の顔を見て、俺は大声を挙げなかった自分自身を褒めてやりたくなった。
陛下に叱られたその少女は、他でもない勇者エゼルであったのだった。




