第425話 変哲もない一日の幕開け
店舗側のメンバーは割と久々なので、章始めに軽くおさらいを。
「開店準備もあるでしょうし、私はこの辺りでお暇しますね」
「宿舎に戻ったら仮眠くらい取っておけよ」
用件を済ませたヒルドを送り出してから、俺はホワイトウルフ商店の開店準備に取り掛かることにした。
久々なので手順を忘れていないか少し不安だったが、さすがにちゃんと身体が覚えていたようで、詰まることもなく進めていくことができた。
そうしているうちに従業員の皆も出勤してきて、来客を迎える準備が順調に進んでいく。
「おはよ、ルーク君。ふわぁ……」
「ああ、おはよう。アレクシアも寝不足か?」
「機巧技師の仕事の方でちょっと。いったん図面を引き始めると、なかなか止めどころが見つからないんですよね」
あくびを噛み殺しながら、アレクシアは釣り銭用の貨幣をカウンターに移し始めた。
アレクシアの本業はこの店の従業員ではなく、ギルドに籍をおいてある冒険者でもなく、若い頃から修行を積んでいるという機巧技師の方だ。
彼女が冒険者になった理由は、希少素材の獲得と試作品の実戦テストを行う機会が欲しかったためである。
そしてまだ駆け出しだった頃に俺と出会い、何だかんだと世話を焼いた縁もあって、人手不足だったこの店の従業員になってくれたわけだが、機巧技師の仕事も以前と変わりなく続けている……という経緯で今に至る。
実際は、魔王軍の虜囚となっていた幼馴染――勇者ファルコンの恋人である剣士ジュリアの救出も、グリーンホロウに来た大きな理由の一つだったが、それが果たされた後も自分から進んで町に残ってくれている。
アレクシアの機巧技術で作られる装置や商品は、グリーンホロウ・タウンのみならず、ギルド支部や他の騎士団支部からも高い評価を得ていて、町の発展に大きく寄与していた。
それどころか、知人の機巧技師をこんな山奥に呼び集めてくれたおかげで、町の住民も冒険者もより快適な生活を送ることができるようになっていた。
「あんまり無茶するなよ。エリカが調合してくれた眠気覚ましのハーブティーなら、まだ台所に残ってるけど……」
「じゃあ仕事の前に一杯もらっちゃいますね」
「でもすっごく不味いですよ、あれ」
話題に上った本人のエリカが、カウンターを拭き掃除しながら話に混ざってくる。
そのわざとらしい顔のしかめっぷりは、まさしく例のハーブティーを飲んだときの俺の心境と合致していた。
「効き目はバッチリなんですけど、味の改良がどうにもうまくいかなくって。嗜好品というより飲み薬に近いかもですね」
「うん、その説明は最初にしておいてほしかったかな」
「ガーネットには『美味しくないぞ』って伝えて渡しましたよ?」
「……『美味しくないお茶』と『不味い薬』の間には越えられない壁があるもんだ」
今になって思えば、シルヴィアではなくエリカが調合したという時点で、味の基準が『薬』であると気付くべきだったかもしれない。
エリカは薬師、あるいは薬術師と呼ばれる職業の家系に生まれ、自身もその道を進むべく学んできた少女だ。
しかし将来的に自分の店を持ちたいと夢見るエリカと、それを好ましく思わない両親の間で軋轢が生じてしまったという。
ちょうどその頃、武器屋を開いたばかりの俺は店員を雇って人手を増やすことを考えていた。
エリカは隣町に住む友人であるシルヴィアからそれを聞きつけ、グリーンホロウに移住して独立資金を貯めることを思いつき、この店で働くことになった。
このとき、俺の提案でエリカが作った薬を店で売ることになったのだが、今やそれらは町になくてはならない定番商品となっていた。
「ええと、今日は確かレイラは休みなんだっけか」
開店準備が一段落したところで、従業員の今日のスケジュールを再確認しておく。
ベアトリクス・レイラ・ハインドマン。
ホワイトウルフ商店の本店、つまりこの店舗で働く面々の中で、最も特異な経緯で働くようになった少女。
魔王ガンダルフとの戦争が終わり、俺を騎士に叙任するだの、銀翼騎士団や黄金牙騎士団が加入を要請しているだのといった、身の丈に合わない一悶着が起きようとした頃のこと。
王宮は昔から不仲な銀翼と黄金牙の関係が更に悪化することを警戒し、十二個ある騎士団の頂点に位置する近衛兵団、竜王騎士団に俺の身柄を預けるという代案を考えた。
しかし竜王騎士団は、親族からしか団員を採用しないというルールを敷いている。
普通に俺を受け入れることはできないので、一族の誰かと婚姻関係を結んで婿入りするのなら、という条件を突きつけてきた。
その候補としてやって来たのがレイラだったのだが、お互いに同意できなければ提案をなかったことにするという前提の顔合わせであり、そして案の定、俺もレイラもこのプランを成立させるつもりにはなれなかった。
本来なら、ここで話が終わっていたはずだった。
用件を終えたレイラは王都に帰り、提案がなされる前の状態に戻るはずだったのだが……とある理由からレイラはグリーンホロウに残ることを選び、その間の仕事として引き続きここで働くことになったのだった。
「……ルーク、と、ガーネット、が……いるから、な……」
ノワールが会計カウンター裏の椅子に腰掛けながら、ぽつりと俺に向かって呟いた。
「ああ、それもそうか。俺達がいない間は人手も少なくなってたから、休みも取りづらかったよな」
「騎士団、の……公務……だから、仕方が、ない」
「当面はこっちの仕事に注力するつもりだから、これまで休みにくかった分、きちんと休んでくれよ。体調でも崩されたら大変だ」
こくりと小さく頷くノワール。
ダンジョン第二階層の中立都市に赴き、冒険者を統括する騎士団のリーダーとして――ごく少人数の小規模組織だが――管理者フラクシヌスと様々な話をつける。
そんな役目を果たすために、俺とガーネットはしばらく店を皆に任せっぱなしにしていた。
だからしばらくは、その間の穴埋めをしなければ。
「ところで、魔道具の部品の外注は上手く行きそうか?」
「う、うん……質も、ペースも……問題ない……」
「ならよかった。魔道具製品は需要が上がる一方だけど、お前ばかりに負担が偏ってたからな。これで少しは楽になればいいんだが」
ノワールは嬉しそうな、あるいは気まずそうな、一言では表現できない複雑な感情が込もった微笑を浮かべた。
その理由については……ここであえて持ち出す理由はないだろう。
「よし、それじゃ店を開けようか。久し振りだから気合い入れていくぞ」




