第424話 非日常から日常への渡船
ダンジョン『元素の方舟』第二階層、中立都市アスロポリス――様々な種類の魔族が肩を寄せ合って暮らすその町を舞台とした、自動人形の群れとの戦闘は無事に終結を迎えた。
俺達は一人も欠けることなく戦いを乗り越え、地上に戻って久々の地上を謳歌している。
もちろん俺自身も例外ではなく、騎士団長としての役目ばかりに注力してきた日々に区切りを付け、しばらくは本業に……武器屋の店主の仕事に力を注ごうと考えているところだ。
――けれどその前に。
アスロポリスを巡る一連の出来事について王国に報告するという、大事な役目だけは果たしておかなければならない。
「おはようございます、団長。朝早くお邪魔して申し訳ありません」
「こちらこそ。こんな時間じゃないといけなかったのは、俺の都合だしな」
自宅兼職場のリビングに、普段ここでは見ない顔の女性が一人。
虹霓鱗騎士団から派遣された騎士であるヒルドが、報告書の件で俺と話し合うためにやって来ていた。
ヒルドはいつもフードを深く被ってエルフ特有の耳を隠しているが、初対面の頃から正体を知っている俺の前では、遠慮なくフードを外して素顔を晒している。
「……ひょっとしてお前、睡眠不足だったりするか?」
「あはは、やっぱり分かりますか」
近頃の不健康ぶりをヒルドは笑って誤魔化した。
フードのせいで他の騎士からは気付かれていないのかもしれないが、素顔を見れば睡眠が足りていないのは一目瞭然だ。
「中立都市アスロポリスの管理者……樹人のフラクシヌス殿から提供された情報は、私にとって……いえ、虹霓鱗騎士団にとって興奮せざるを得ないものばかりでしたから」
「古代魔法文明とダンジョンの秘密だな。まぁ、気持はよく分かるよ。冒険者だって同じようなもんだ」
リビングのテーブルを挟んでそんな会話をしていると、ガーネットが二人分のハーブティーを持ってきてくれた。
礼を言おうとして、思わず言葉に詰まる。
濃厚過ぎる色合いに鼻腔を刺激する匂い……よく飲んでいるものとはまるで違う種類だ。
「眠気覚ましのハーブだとさ。エリカが調合してくれた奴だから、安全で効果抜群だと思うぜ」
「……で、味は?」
「知らね」
コップを持ったまま躊躇する俺とは対照的に、ヒルドは平然とコップに口をつけて、香りを楽しむように口の中で味わっている。
ひょっとしたら味は悪くないのだろうか。
そう思って俺も一口飲んでみる。
「ごふっ……!」
形容し難い味覚に思わずむせ返る。
良薬、口に何とやら。
確かに眠気は吹き飛びそうな味だったが、心の準備もなしに直撃を受けるのは少しばかりダメージが大きかった。
けれど、ヒルドは味の悪い薬を飲んでいるような素振りすらなく、ただのハーブティーを味わうのと変わりなく、コップの中身を飲み干していく。
これはヒルド個人の好みの問題なのか、それともエルフという種族全体の嗜好なのか。
気にならないと言ったら嘘になるが、今日の用件はそこではない。
「……それで、報告書は仕上がったんだよな」
「はい、もちろんです。書き写して複製を作る余裕はなかったので、一部しか用意できませんでしたけれど」
ヒルドが差し出してきた大きな封筒を受け取る。
想像以上の重みがずしりと手に掛かった。
どうやらなかなかの大作が仕上がったらしい。
報告書は物理的に厚ければ良いというものではなく、むしろ要点を纏めている方が好ましいとされることが多いが、それをヒルドが知らないとは到底思えない。
恐らく、必要な記述をくまなく記入したら、自然とこうなってしまったのだろう。
「まずはその封書を王宮に送っていただきまして、王宮の方で虹霓鱗騎士団と冒険者ギルドに情報を共有していただければ」
「まぁ……情報の内容が内容だからな。俺の判断で取り扱いを決められる代物じゃないから、王宮の判断に任せるのが一番か」
管理者フラクシヌスが開示した情報のうち、俺が詳細に理解できたものだけを思い返しても、世界の常識を塗り替えるには充分すぎる破壊力を持っている。
古代魔法文明滅亡の理由――ロキという名の男が生み出し、世界中にばら撒いた災厄。
魔力によって肉体を構成する強大な怪物、魔獣とも神獣とも呼ばれる存在を生み出すアーティファクト、メダリオン。
ダンジョン誕生の秘密――複数の神獣の猛威による文明滅亡が避けられないとの判断から創造された、地上の環境を再現した広大な地下空間。
俺に『叡智の右眼』の力を与え、とある地方では神と崇められる男……アルファズルもその両方に深く関わっていた。
滅亡の元凶であるロキは、生前のアルファズルとは盟友といえる関係にあった。
そしてアルファズルは盟友の暴挙の責任を取るために奮闘し、文明滅亡に対する次善の策として、現在ではダンジョンと呼ばれる地下空間を開発。
世界中にその製法を広めることで、決定的な破滅の回避を試みたのだという。
このグリーンホロウ・タウンの最寄りダンジョンである『元素の方舟』――地上では部分ごとに『日時計の森』『奈落の千年回廊』『魔王城領域』と呼び分けられていた――は、他ならぬアルファズルが直々に創造したダンジョン。
故に、アルファズルの仲間であった樹人のフラクシヌスや、ダークエルフのガンダルフ、ドワーフのイーヴァルディが管理にあたっていたという――
「まったく、未だに信じられないことだらけだよ。自分が直接聞いたんじゃなかったら、想像たくましい夢物語だと一蹴してたかもしれないな」
「私にとっては『あの仮説が当たっていたのか!』っていう驚きですよ」
口元に手をやってくすくすと笑うヒルド。
「でも、夢みたいだというだけなら、私も同じです。眠るときに見る夢じゃなくて、いつか叶えたいと思った夢想が目の前にあるという意味ですけど」
「そうか。お前にとっては、故郷を飛び出してまで叶えたかった夢を掴んだことになるんだな」
「尻尾を掴んだ程度ですけどね。研究はまだまだこれからです」
ヒルドはこのウェストランド王国に属さない北方樹海連合の出身だが、そこに住まうエルフの長老的存在であるハイエルフ達は、古代魔法文明の詳細を若いエルフ達に秘密にしていた。
それに反発し、自由な研究を求めて王国に逃げてきたのが、このヒルドという女性なのだ。
夢を叶えるために無茶を押し通し、そして実現の一歩手前まで迫った……そんな人の笑顔を見ると無性に嬉しくなってしまうのは、俺という人間のどうしようもない性のようであった。




