第408話 ヴァレンタインの述懐
――ヴァレンタイン・アージェンティアにとって、その女性との出会いは言いしれない幸福でもあり、筆舌に尽くしがたい不幸でもあった。
初めて出会ったのは、父親であり銀翼騎士団の前身を率いていた男でもあるレンブラント・アージェンティアが、再婚相手を見繕ったと言って紹介したときだった。
亡き長兄ともども、父親に酷似していると言われてきたヴァレンタインだったが、よもや女の好みまで似ていようとは夢にも思っていなかった。
つまるところ、出会ったばかりの女性に恋慕の情を懐くと同時に、それが報われないと確定してしまったわけである。
至極残念ではあったものの、縁がなかったと割り切るより他になく。
父の後継者としての責務を果たすことに意識を傾け、未練を振り切ることに努めるのみだった。
――それから数年が経ったある日のこと。
大陸全土を巻き込んだ統一戦争の最中、祖国と父がウェストランド王国のアルフレッド王の軍門に降り、旧来の幹部の引退と引き換えに王国の公務を担うということで協議が進んでいた頃。
国内で不審な動きをしていた闇商人が検挙され、出所不明の希少金属……ミスリルの入手経路についての取り調べを、新たに発足する騎士団の長に内定していたヴァレンタインが担うことになった。
検挙と取り調べ自体に過ちはない。
あの闇商人は違法な商品を数多く取り扱っていたうえ、ミスリルをどうやって入手したのかについて、異常なまでに固く口を閉ざしていたのだから。
不運があったとすれば――闇商人を捕らえていた城塞に、あの女性と彼女の幼い娘も滞在していたことだろう。
きっかけはほんの些細な偶然だ。
父はアルフレッド王との交戦中に妻子を安全な場所へ逃したが、講和と合併が決まったので呼び戻すことにして、その途中でヴァレンタインが駐在する城塞に宿泊する運びとなった――ただそれだけだ。
その夜、城塞は正体不明の集団の急襲を受け、甚大な被害を被った。
――兵の死傷者数は膨大で、城塞の機能は実質的に喪失。
――闇商人は原形を留めないまでに惨殺。
――レンブラント・アージェンティアの若妻も殺害され、幼い娘も軽傷を負った。
――部隊を指揮し、あの女性を守るべき立場にあったヴァレンタイン・アージェンティアもまた、死んでいないのが奇跡だと言われるほどに肉体を破壊された。
表向きには、この事件は国家合併に反対する元貴族の襲撃と発表され、再起不能となったヴァレンタインに代わり、当時は家を出ていた不肖の弟のカーマインが騎士団長として呼び戻されることになる。
隠蔽の判断を誰が下したのかまでは、ヴァレンタインも把握していない。
正体不明の組織に対する敗北は身内の恥と考えた父なのか、もしくは当時の国王が――アルフレッド王ではなく吸収される側の王だ――徹底抗戦派の粛清の口実に利用したのか。
ヴァレンタインにとってはどちらでもいいことだ。
後にカーマインの指揮下で秘密裏に事件の調査が進められ、襲撃の黒幕がミスリル密売組織のアガート・ラムという集団で、密売に深く関わっていた闇商人の口封じのための犯行であったと判明。
そして、その女性の娘は母の敵を討つことを望み、性別を偽り銀翼の騎士となって戦いに身を投じ、今に至るのだが――
「――ガーネット。お前は忘れているのかもしれないけれど、あの日、あの時、あの場所にいたのは、お前達母娘だけではなかったんだ」
アスロポリスの一角、とある大樹の枝の上から、ヴァレンタインは混乱の最中に叩き落された町並みを独り見下ろしていた。
町のそこかしこから黒煙と炎が立ち上り、水棲の魔族によって操られた水流が消火を試みては、また別の場所で火柱が上がる。
しかしヴァレンタインの意識はそんな惨状などではなく、大通りを脇目も振らずに駆け抜ける、ガーネットとルーク・ホワイトウルフの姿にだけ傾けられていた。
「復讐……ああ、そうだね。これはアガート・ラムへの復讐だ。けれど俺の復讐じゃあない。指揮官として無様に敗北しただけの俺に、復讐なんて高尚なことをする権利はないさ」
誰も話を聞く者などいないというのに、ヴァレンタインは演技掛かった話しぶりで心情を吐露している。
普段から白い覆面に覆われた顔は、魔法使いのフードと奇怪な前垂れに隠されて今も表情を伺えず、しかし声色だけはそれを補うかのように豊かな抑揚が付けられていた。
「この復讐はあの女のものだ。彼女に殺される謂れなどなかった。あの場所に居合わせたというだけで命を奪われたんだ。俺にできる償いがあるとすれば、彼女の復讐を成就させることだけ――そうは思わないかい?」
陽気とすら受け止められかねない語り口の裏から滲み出る、不気味な妄執と錯乱の気配。
もしもこの場に他者が居合わせていたなら、言いしれない怖気を感じずにはいられなかったことだろう。
果たして、あのときに壊れたのは肉体だけだったのか。
精神すらも打ち砕かれ、歪んだ形で繋ぎ合わさってしまったのではあるまいか。
……そうした感覚に陥って、ヴァレンタインの正気を疑わずにはいられなかったに違いない。
だが、この男の異様を見咎める者は誰もおらず、感情の暴走も悪化の一途を辿り続ける。
「お前はまさしく母親の生き写しだ。彼女の復讐を代行する者として、これ以上に相応しい存在などいやしない。だから俺は、他の誰でもなくお前に動いてほしかった……この瞬間に是が非でも立ち会いたかった……!」
故にヴァレンタインは、アガート・ラムがダンジョン内に潜んでいると伝えるにあたり、ガーネットの地上帰還を待とうとは思わなかったのだ。
かの女性の復讐を代行するに相応しい少女が、アガート・ラムへの報復に手を掛けるその瞬間に立ち会いたかったがために。
論理も効率も度外視した妄念と呼ぶより他にない。
無論、ダンジョンに潜ってもアガート・ラムの手掛かりが見つからない可能性もあった。
ある意味、ヴァレンタインは賭けに勝ったのだと言えるだろう。
勝利しても満足以外は何も得られない賭けに。
「……ルーク・ホワイトウルフ。アレをここまで連れてきてくれたこと、心から感謝するよ。全てが終わったらきっといい義兄弟に――」
その瞬間、一条の熱線がヴァレンタインの胸部を背後から貫いた。
「――――」
光芒であるが故に音もなく。
拳大の焼け焦げた孔が胴体に穿たれた。
「正体不明人物、排除完了。冒険者ギルドか騎士団の関係者、といったところか……」
ヴァレンタインは気付くことがなかったが、一体の自動人形が樹上で喚き立てる人間らしきものを発見し、腕に仕込まれた熱線機巧によって背後から撃ち貫いたのだ。
それも標的として付け狙っていたわけではなく、偶然にも見かけたから殺しておこうという乱雑さで。
「よく分からんことを喚いていたが、気でもおかしくなったのか……やはり生身は脆いな。肉体も精神も……」
男性型の自動人形が樹上で踵を返し、幹と一体化した建物に戻ろうとした直後――ごきりと鈍い音がして、首から下だけの人形が崩れ落ちた。
首無し人形はバランスを崩して落下し、何度も枝にぶつかりながら地表に激突して、四肢をおかしな角度でなげうって動かなくなる。
「――狙うべきは頭だったね」
そして失われた首から上は、胸に風穴を穿たれたヴァレンタインの手中に収まっていた。
「命を繋ぐために昔から色々な手段に手を出していてね。魔法使い達の人体改造にまで縋ったおかげで、簡単には死ねない体になってしまったのさ。とはいえ、ここまで遠出ができるようになったのはごく最近の……おや?」
ヴァレンタインは、両手で抱えた人形の頭部がとっくに機能を停止していることに気が付いて、つまらなそうに力を込めてそれを圧砕した。
そして胸に穿たれた穴に手をやり、憂鬱そうな溜息を吐いて首を横に振った。
「この服、友達からの借り物なんだぜ? 後でアンブローズになんて言われるか。あいつ意外と服に拘る質だからなぁ」




