第406話 アンブローズを名乗る者
現状を頭の中で可能な限り迅速にまとめ上げ、最適と思われる選択を考える。
状況からして猶予時間はほとんどない。
この判断が戦局を変えるであろうことは、誰に尋ねるまでもなく明白であった。
「(ノルズリが戻るのを待つ必要は……多分なさそうだな。そもそもあいつが律儀に戻ってくるわけがないか)」
魔将ノルズリは自動人形と交戦しながら遠ざかってしまい、もう音も聞こえないほど距離が開いている。
奴との合流はひとまず考えないことにして、
恐らく俺達の友軍は駐屯地の冒険者パーティと、大議事堂の白狼騎士団の二箇所に別れている。
やはりどちらかとの合流を考えるべきだが――自動人形達がこんなにも大規模な破壊活動に及んだことを考えると、危険度は大議事堂の方が遥かに大きい。
投入したコストに対するリターンの大きさを考えれば、狙いは冒険者の駐屯地などではなく、管理者や他の評議員が集まっている大議事堂である可能性が高いはずだ。
そう考えると、選ぶべき行動は自ずと決まってくる。
「チャンドラーは道案内としてそこにいる樹人を連れて、大議事堂の白狼騎士団と合流してくれ」
「樹人? ああ、こいつか! 南にいる奴より人間っぽい見た目してんな!」
「それと、ナギ。お前にも同行してほしい。チャンドラーは他の団員の顔を知らないからな。自動人形と間違えて攻撃なんかされたら大惨事だ」
軽やかに樹上から降り立つナギ。
すかさずそこにメリッサも駆けつけてくる。
「分かりました。依頼内容にはありませんが、追加料金で手を打ちましょう。俺と貴方の付き合いだから安くしますよ」
「ナギが行くなら私も! 魔法使いが役に立たないとは言わせないからね!」
今は一人でも手伝ってくれる人が欲しい状況だ。
自主的に同行してくれるというなら断る理由はない。
そして、すぐさま四人を送り出してから、残るマークとユリシーズにも指示を出す。
「俺達は避難民を島外に連れ出そう。さっきの船はまだ出せますか?」
「出す分にはいくらでも。魔力を食うのは動かすときだからねぇ。帆で風を受けて進むんじゃなくて、魔法で水流を操って動くのよ、アレ」
ユリシーズは踵を返して湖の方へ向かおうとしたが、ふと足を止めてこちらに振り返った。
「ところで、さっきから一人姿が見えないんだけど。着地の衝撃で気絶とかしてないよな?」
「あっ! 確かに!」
「そいつの件はお前さんに任せたぜ。胡散臭すぎてあんまり関わりたくないんだよなぁ。結局一言も喋らなかったし」
マークが慌てた様子で声を上げ、もう一人とやらについて俺に説明する。
その間に、ユリシーズは船の準備をするためにこの場を離れ、湖の畔へと移動していった。
「翠眼騎士団のアンブローズ卿です! ガーネット卿の兄君からのメッセージを預かっていると言っていましたが……」
「兄上から? 騎士団長の伝言を他所の騎士が預かってんのか?」
「いや、銀翼の騎士団長ではない方なんだが」
「なっ……! ヴァレンタインか!」
目を剥いて驚きの声を上げるガーネット。
「本当に突然だったんですよ。アンブローズ卿を連れていきなり現れて、ガーネット卿に伝えたいことがあるからこの階層に連れて行けとか言い出したようでして」
マークはガーネットにちらちらと視線を向けて反応を気にしながら、俺に対して地上で起きた顛末を説明し始めた。
存命している二人の兄のうち、三男のカーマイン卿は銀翼騎士団を率いる騎士団長だが、次兄のヴァレンタインは怪我だか病気だかで人目を避けて暮らしていると聞いている。
そんな男が預けたメッセージとやらの内容は、とてもじゃないが予想できる代物ではなかった。
「断ったら勝手に侵入しかねないというソフィア卿の判断で協議をしてですね。代理人のアンブローズ卿と他の二人を連れて、新団員の顔合わせも兼ねて引き合わせようということになったんです」
「ナギとメリッサは道案内とギルドへの義理立てか。それで……お前は?」
「顔も知らない新人騎士と、部外者の冒険者だけ送り込むわけにはいかないでしょう。俺とソフィア卿のどちらが地上に残るかと考えたら、消去法でこうなるしかありませんでしたよ」
マークはうんざりだとばかりに首を横に振った。
確かに、こいつが自分から進んでダンジョン深部に派遣されるとは到底思えない。
やむを得ない事情があったのは間違いないし、本人が説明した理由は充分に納得できるものだった。
「……それよりアンブローズ卿を探さないと。何かあったら後でソフィア卿にどやされて……」
そのとき、物陰から奇妙な風体の人影が姿を現した。
厚いローブのような装束で全身を包み、深く被ったフードと瞳を図式化した模様が染められた前垂れで顔を隠した、不審者としか思えない風体だ。
警戒心を露わにするガーネットとは対照的に、マークはほっとした顔でその人物に声を掛けた。
「いたいた! まったく、どこに隠れていたんですか? ほら、こちらが団長のルーク卿と銀翼のガーネット卿です」
「そいつがアンブローズか? いくら何でも怪しすぎる野郎だが――」
「――ああ、よかった。お誂え向きの舞台が整っているじゃないか」
聞き覚えのない男の声が、アンブローズを名乗る人物の方から聞こえてくる。
今のがアンブローズ卿の声なのかと納得する俺とは異なり、ガーネットとマークは揃って驚愕の表情を浮かべていたが、驚きの原因はそれぞれ別物のようだった。
「喋れたんですか、貴方! 出発してから一言も話さないから、てっきり……」
アンブローズが言葉を発したことに驚くマーク。
しかし一方のガーネットは、全く違う理由で驚愕に打ち震えていた。
「……その声、まさかお前……ヴァレンタインか……!」
「歳上には敬意を払うべきと教わっただろう? 親しき仲にも礼儀ありだよ、ガーネット」
ヴァレンタイン・アージェンティア。
その名で呼ばれたことを、アンブローズを名乗る者はさも当然のように受け入れた。
「ヴァレンタイン、だって……!?」
「え、ええっ!? ア、アンブローズ卿! 何を言っているんですか!」
翠眼騎士団のアンブローズ卿――否、銀翼騎士団を率いるアージェンティア家のヴァレンタインは、小首を傾げるような仕草で、前垂れに隠された顔をこちらに向けた。
「騙していたことを謝罪するよ、マーク・イーストン。どうしてもこの場で彼と直に会いたかったものでね。俺とアンブローズ卿はお互いに素顔を隠さなければならない者同士だったから、同意の元ですり替わるのは簡単だったよ」
全く悪びれていない様子でそう告げられ、マークは愕然と言葉を失って固まっていた。
本物のアンブローズ卿があの服装で一言も喋らない人物だったなら、それはもう容易に入れ替わることができたに違いない。
あるいはヴァレンタインは、この入れ替わりすら計画のうちで、あえてアンブローズ卿を協力者として同行させたのだろうか。
「何のつもりだ、ヴァレンタイン!」
「マーク卿に説明してもらった通りさ。ガーネット、君に伝えておきたいことがある。父上はまだ焦らすつもりだったようだけど、俺としては君がこのダンジョンにいる間に知らせておきたかったんだ」
ヴァレンタインは手袋に包まれた人差し指を立てて、前垂れ越しに口元のあるべき場所の前へ持っていった。
まるで、これは秘密の情報だと言外に告げているかのように。
「アガート・ラムが地上で流通させた不正ミスリル。夜の切り裂き魔が用いていたミスリル製凶器――そして、あの人が殺められた現場の遺留品。それら全てのミスリルに、同じ不純物が混ざっていることが判明したのさ」




