第338話 安らぎの宿屋
「お疲れ様です。ダンジョンで大変なことがあったそうですね」
――ダンジョンから帰還した翌日、普段と同じように春の若葉亭で食事を取っていると、給仕中のシルヴィアがこっそりと話しかけてきた。
一緒に食事をしていたガーネットと顔を見合わせ、どんな返答をするべきかしばし思案する。
考えるまでもないことだが、どんな仕事にも守らなければならない秘密がある。
冒険者の仕事についてはどこまで話せるか熟知しているし、武器屋の仕事の場合もかれこれ一年続けているから慣れてきた。
だが騎士団の任務は、話してもいいボーダーラインがすっと思い浮かんで来ず、喋る前にどうしてもワンクッション必要になってしまう。
「公務だから詳しくは話せねぇぞ」
何かと不慣れな俺の代わりに、騎士の先輩にあたるガーネットが無難な対応をしてくれた。
「もちろんですよ。私も普通の冒険者さん達が知ってることしか知りませんし、それ以上は聞いたりしませんとも。サクラやエリカからも無理には聞いてませんよ?」
当然だとばかりに胸を張るシルヴィア。
町一番の宿屋の看板娘はさすがに心構えも一人前だ。
「ですけど、やっぱりどうしても色々と耳に入ってきちゃいますし、そういうのを繋げて考えたら、すっごい大変なことになってるんだなぁとは分かります。特にサクラがあの刀を手放すなんて一大事でしょう?」
「あー……それは喋らなくても一目で分かるよな」
思わず納得して頷いてしまう。
秘密厳守にも限度というものがある。
例えば他言無用の仕事中に武器を紛失したとして、いつどこで武器を失くしたのかは誤魔化せても、愛用の武器を失った事実そのものは隠せない。
サクラの場合は、白狼騎士団の要請で新たな階層に同行したことまでは既に知られているので、その任務中に大事な刀を手放さなければならないほどの事件があったことは、誰でも簡単に悟ることができてしまう。
こればかりは回避不能な問題なので、今はまだ教えられない、の一点張りで伏せ続けるしか方法がないのだ。
「悪いな、シルヴィア。俺がここに来てすぐからの付き合いなのに、言えないことばかりで」
「仕方ありませんよ。大事なお仕事をしてるなら当然です。でも完全な部外者じゃなくなったら、今よりちょっとは詳しいお話も聞けますよね?」
「あん? 何の話だ?」
意味深に聞こえなくもないシルヴィアの発言に、ガーネットが何やら引っかかりを覚えたような反応をする。
聞きようによっては妙な勘ぐりをされそうな表現だったが、何ということはない、これも『仕事の上の秘密事項』という奴だ。
「もしかしてあの話、請けてもらえるのか?」
「はい! お母さん達とも相談しまして、是非ともうちに任せてもらいたいって」
「ありがとな、大助かりだ」
会話に置き去り気味のガーネットがひどく不服そうな顔をしているので、この機会に情報共有を済ませておくことにする。
「ほら、建築中の騎士団本部には宿舎も併設する予定だろ? 食事やら清掃やらの仕事を町の誰かにお願いしようと思って、まずは春の若葉亭に声を掛けてみたんだ」
「そのお仕事を、うちが引き受けることになったんです。いわゆる業務委託ですね。これで私も、晴れて騎士団と無関係じゃなくなったわけです」
満足気というか自慢気というか、シルヴィアはとにかく嬉しそうにしている。
「ふぅん、なるほどねぇ。オレも事務的なあれこれを全部把握してたわけじゃねぇけど、そんな話が進んでたってのは驚きだな。ちっとはシルヴィアの気持ちが分かったぜ」
「相談しなかったのは悪かったって」
「別に怒っちゃいねぇぞ? ま、何にせよ。宿舎でも春の若葉亭の旨い飯が食えるんなら大歓迎だ。飯の良し悪しは士気と忠誠心に直結するからな」
ガーネットはテーブルに頬杖を突き、隣に座った俺の方を見やってにやりと笑った。
この案件を町の宿屋に持ち込んだ理由は、まさにガーネットが言ったとおりのものだった。
白狼騎士団には他の十二の騎士団から一人ずつ人員が派遣される予定で、現時点ではガーネット含め三人が着任している。
近衛兵団の竜王騎士団は当面派遣を見合わせるとのことで、これからやって来るのは最大で八人。
彼ら全員が好き好んで派遣されるとは到底思えない。
ヒルドのように自分の目的と合致しているとか、マークのように仕事とは別の部分に魅力を見出したとか、そういった形の納得を前提とするのも期待のし過ぎだろう。
命令だからという理由で受け入れた奴が大部分になると思っておくべきだ。
ならば、出来る限り受け入れ環境を整えておいて、少しでも快適に活動できるようにした方がいいに決まっている。
「そうだ! これはうちのお母さんからの提案なんですけど、宿舎にもお風呂を付けたらどうですか?」
「宿舎に? 出来るのか? ……ああ、いや、技術的にじゃなくて、制度とか許可とかそういう意味でさ」
グリーンホロウ・タウンは数多くの温泉宿を抱える温泉郷だが、自宅に浴室を持っている住人はほとんどいない。
理由は主に二つあり、一つは日頃の維持の手間を考えれば、安価な公衆浴場を利用する方が効率的という合理性の問題。
もう一つは、水路ならぬ温水路や排水路を自宅まで引き込む必要があり、その工事のための費用や手続きが大きな負担になってしまうという問題だ。
「工事に掛かる費用はどうとでもなるとして、確か業務として温泉を利用するには町の許可が必要なんだよな。税金も掛かるとか何とか」
「最終的には町長さんと話し合わないと分かりませんけど、騎士団の宿舎の大浴場っていうことなら問題なく許可が降りると思いますよ。お手入れはうちに任せていただければ問題ないですし」
「なるほど、相変わらず商売上手だな」
騎士団の宿舎に浴場を設ける――なかなか悪くない提案だ。
福利厚生の充実という面では最適だと思えるし、春の若葉亭としても報酬額が増えるので喜ばしいといったところか。
「工事計画に変更が必要だから、町長や業者の担当と相談してみないことには始まらないけど、個人的にはその方向性で進めたいところだな」
「でしょう? それにあの場所まで温泉を引き込むなら、ルークさんのご自宅にもお風呂場が用意できるかもしれませんよ」
「それもいいな。大浴場の魅力もそれはそれで捨てがたいけど、汗だけ流したいときには――」
話の流れでそこまで喋ったところで、自宅に風呂場を用意することの別の意味に思い至る。
自宅の風呂場が個人の専用になるはずもなく、当然ながら同居人も利用することになる。
そして俺の場合、同居人というのは――
「あん? 何だよ、言いてぇことでもあんのか?」
隣の席に視線を落とした俺に向けて、ガーネットはにやにやと笑いながら、テーブルの下で何度も軽く足を蹴りつけて来たのだった。




