第336話 神なる者との死闘が終わり
――地上に顕現した太陽は人間達の手によって鎮められ、周囲一帯に静寂と暗黒が蘇る。
灼熱の残滓は大気中に残る熱気のみ。
しかしそれすらも、やがてこの階層の冷暗な空気に溶けて薄まっていくだろう。
神の撃退という大役を果たした脆弱な人間達が、代償として負わされた深い傷の治療に右往左往する様を、一人の魔族が山中の大樹の頂点から見下ろしている。
暗い色の肌に長く尖った耳という容貌。
長身痩躯な体格に合わせた軽量の金属鎧。
他種族からダークエルフと呼ばれる魔族の少女――否、このダークエルフの肉体に収まっている人格を『少女』と呼称するのは、あらゆる意味で相応しくなかった。
「戻ったか、スズリ」
大樹の幹を挟んだ反対側の枝を揺らし、魔将スズリが軽やかに降り立つ。
スズリは小脇に抱えていた炎の塊を、炫日女によって切断された頸部の断面に据えた。
「貴様が人間に手を貸すとはな。珍しいこともあるものだ」
炎の塊が、首との接合点の側から沈下していき、ドラゴン混じりの人間の頭部の形を少しずつ取り戻していく。
「……ノルズリ。貴様こそ、愛用の肉体を破壊した人間を前にして、随分と大人しいものだな」
「はっ! 分かりきったことを聞くな!」
ダークエルフの少女、この肉体を仮初めの器とした男、魔将ノルズリ。
炫日女を退けたあの人間達は、かつてノルズリの肉体を破壊せしめた者達でもあった。
「アウストリの奴ならいざ知らず、この私が死肉漁りの獣のような真似をすると思ったか? 私自身の沽券に関わる!」
「だろうな。貴様はそういう奴だ」
露骨に不快感を露わにするノルズリとは対象的に、スズリは表情一つ変えることなく地表の光景を見やっていた。
氷のノルズリは効率的な破壊を好む嵐のアウストリを無粋と評し、逆にアウストリは氷の能力を駆使すれば不要なはずの武具を好むノルズリを、非効率的な武人気取りと揶揄している。
ダークエルフでありながら全身が老化するほどの高齢である土のヴェストリは、そんな彼らを若く青いと評して笑い、火のスズリはさしたる興味も示さない――それが四魔将の相互の関係性であった。
ノルズリもそれは承知しており、スズリの冷めた返答に対して大した反応もせず、先程の死闘について話題を切り替えた。
「問題はカガヒメだ。ガンダルフ陛下のかつての同志の中では最も脆弱とのことだったが、よもや貴様が剣でも炎でも遅れを取るとはな」
「言い訳をするつもりはない」
「必要なのは客観的な分析だ。我らの不在中に繁殖した臓腑樹海の新芽を焼いて回って、相応に疲労と魔力消費が蓄積していたようだが、それを差し引いても些か……まさかとは思うが」
にわかにノルズリの声と表情が険しくなる。
「貴様、器の女に情でも移ったのはあるまいな」
「面白い冗談だ。そう思った理由も聞こうか」
「地表でのやり取りを把握していないとでも思ったか。あの女は今の貴様の器の娘だろう。悪影響を受けた可能性は否めまい」
肉体の影響で無意識に殺傷を避けたのではないか――ノルズリの憶測に対し、スズリは一切動じることなく別の推測を返す。
「手を抜いた可能性を論ずるならば、むしろ器と繋がっている『神』を疑うべきだろう」
「ふん……否定はしないか。しかし道理だ。確かカガヒコだったか? 第二拘束まで解放すれば一瞬で片が付くものをと思っていたが、生前の肉親相手ではそうもいかんかもしれんな」
そんな風に納得を口にしてから、ノルズリは苦々しげに表情を歪めた。
「しかし『神』か。人間共の欺瞞の極みだな。滅んだ文明の最後の悪足掻きとでも言うべきか。哀れなものだ」
「諦めの悪さは人間から学ぶべき数少ない美点だ」
「ほう? 貴様がそんなことを言うとはな」
「少なくとも陛下はアルファズルに学んでいる。だからこそ、忌まわしき人形共を討ち滅ぼすことを諦めていないのだ」
「……違いない」
スズリはここで一方的に会話を打ち切り。足場としていた太い枝を蹴って姿を消した。
ノルズリはその身勝手さに閉口しつつ、もう一度だけ地表の人間達に目をやってから、自身もまたその場から消えたのだった。
――炫日女との戦いが終わった後、俺は疲労と魔力消費に負けてすぐに気を失った……というわけにはいかず、ぼろぼろの体に鞭を打って皆の治療に奔走することになった。
炫日女の灼熱に焼かれたガーネット。
限度を超えた動きで体中を痛め、背中に矢弾を撃ち込まれたサクラ。
脇差による反撃を受けて深手を負ったナギ。
誰も彼も放置しておけない重傷であり、加えて俺自身も、ガーネットから何度も「さっさと自分の体を治せ」と言い続けられてしまうほどだった。
尽きかけた魔力は残りの魔力結晶でどうにか補い、急いで治す必要があるダメージを【修復】し終えたあたりでキャンプ地からの応援が到着。
すっかり疲れ果てた俺達は、揃ってキャンプの救護スペースに運び込まれ、半ば強引に休息を取らされることになった。
俺は質の悪いベッドに寝かされてすぐ眠りに落ち、気がつけば仲間内で最後に目を覚ました男になっていた。
「やーっと起きやがった。ったく、いらねー心配掛けやがって。地上ならとっくに夜が明けてるとこだぜ」
「……ガーネット。悪いな、また魔力の使い過ぎで意識が飛んでたみたいだ」
上半身を起こして首を軽く横に振る。
ガーネットはベッド脇の小さな椅子に腰を下ろして、呆れ顔で俺を見やっていた。
魔力の急激な大量消費は意識を失う原因になる。
肉体に溜め込んだ魔力を使い切るのは当然で、魔力結晶の魔力を一度に使うのもリスクが高い。
発生源が魔力結晶だろうと、その魔力を外部へ送り出すときは肉体を通すことになる。
なのでどちらにせよ、肉体への負荷は避けられない問題となるのだ。
もっとも、気を失ったからといって命に関わるわけではないし、体力も魔力もしばらく休めば元に戻り、後遺症を負ったというケースも聞いたことがない。
「まぁ、オレとしては起きたんならそれでいいんだ。どっちかっつーとあっちが本題だな」
「あっち……?」
何事だろうと思いながら、ガーネットが親指で示した方に視線を向ける。
そこには心底気まずそうな表情を浮かべたサクラが佇んでいた。




