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第173話 アージェンティア・ファミリー

 グリーンホロウ・タウンを発ってから数日。

 ガーネット・アージェンティアは久方ぶりに王都の土を踏んだ。


 岩盤の如き堅牢な城壁。地平線の果てまで広がる都市。

 道路は美麗な石畳によって舗装され、地方の町では最大足りうる規模の建物が無数に建ち並んでいる。


 隣接する大河川から引き込まれた運河が、枝分かれをして都市を巡り、水流制御の魔法で操られた貨物船が絶え間なく行き来する。


 運河によって運び込まれる大量の物資。

 これは取りも直さず、王都の人口が規格外に膨大であるということを意味する。


 名実共に世界の中心たる王都の威容を前にしても、ガーネットは気圧されることもなければ絢爛ぶりに目を奪われることもなく、無愛想な顔をして大通りを闊歩していた。


 反乱を防止する方策として、一年のうち数ヶ月の間、有力な騎士は正式な住居を王都の別邸に移すことが義務付けられている。


 このため、該当する騎士の子弟は王都を第二の故郷と認識することが多く、ガーネットもその一人であった。


 あくまで王都は住み慣れた故郷。

 緊張や好奇心を覚える道理などないのである。


 ガーネットは黙々と大通りを歩き続け、やがて一軒の邸宅に入っていった。


 門番も彼女を呼び止めず、むしろ敬意を込めてそれを見送った。


 そのまま一切の迷いなく廊下を通り過ぎ、高価な木材で造られた扉を無遠慮に開け放つ。


「……お久しぶりですね、父上。ガーネット、只今到着しました」


 まるで感情の籠もっていない声色で、形だけの無意味な挨拶を述べながら、ガーネットは室内にいた三人の姿を睥睨(へいげい)した。


 敬意を帯びているのは単語選びだけに過ぎず、態度は全くの()()()()であり、本音ではすぐにでも踵を返したがっているのが透けて見える。


「遅かったな、アルマ。王都に着いたと連絡を受けてから、しばらく待たされたぞ。迎えの馬車は使わなかったのか」

「はい、悪目立ちしてしまいますから。それと今はガーネットと呼ぶ約束でしょう」

「ふむ……そうだったな」


 部屋の中央に座る男が威圧するように目を細める。


 レンブラント・アージェンティア。銀翼騎士団前団長にして、アージェンティア家の実質的な家長。


 伊達男として知られる現団長カーマインから軽薄さをなくし、数十年分の重責と苛烈な戦争の残り香を加えれば、このような人物が出来上がるだろうか。


 年齢的には中年期ではあるが、心身共に衰えはまるで見受けられず、今すぐにでも戦場に立てるのではと思わせるほどの気迫を纏っている。


「ところで、兄上はおられないのですか」

「兄ならここにいるぞ」


 今度はレンブラントの隣、くぐもった声がした方に視線を移す。


 屋内でありながら手袋と外套で肌を隠し、穴の空いていない白い覆面で首元までも覆い隠した青年。アージェンティア家次男、ヴァレンタイン・アージェンティア。


 ガーネットは物心がついて以来、この男の素顔を見たことがなかった。


 そもそもあの格好では前が見えているかすら怪しいが、何かしらのスキルで対処しているのだろうか。


「ヴァレンタイン兄様ではなくカーマイン兄様のことですが」

「あの子は公務で来られないそうよ。騎士団長は大変ね」


 くすくすと笑いながらそう答えたのは、この部屋でガーネットを待っていた三人の中の最後の一人、スカーレットだった。


 服飾も仕草も騎士というより貴族を思わせ、そして実際にそのとおりである女だ。


「これはこれは伯爵夫人。ご機嫌麗しゅう」

「他人行儀ね。昔みたいにスカーレット姉様と気軽に呼んでもいいのよ?」


 お互いに言葉の上では穏健に聞こえなくもないが、その裏には攻撃的な非難がましい感情が見え隠れしている。


 ガーネットにとって、スカーレットは歳の離れた姉妹ではあるものの、母親違いということもあってか、顔立ちは全く似ていない。


 むしろそれが喜ばしく感じられるのは、お互いの生き方と価値観があまりにも違いすぎるからなのだろう。


「さて……お前を呼びつけた理由は理解できているな」

「手紙に書いてあったとおりでしょう? 伯爵が主催する夜会に出席して結婚相手を見繕えと。ったく、馬鹿馬鹿しい」


 思わず漏れ出た本音に三人が威圧を増すも、ガーネットはまるで堪えていない様子で受け流した。


 スカーレットが横目で視線を、ヴァレンタインが無貌の白覆面の前面を、それぞれ父であるレンブラントに向ける。


 それはこの場の仕切りを任せるという無言の委任であり、レンブラントはそのとおりに三人を代表してガーネットに語りかけた。


「古来より、婚姻とは繁栄の礎だ。格の高い家と結べば後ろ盾となり、格の低い家と結べば子々孫々の配下を得るに等しい。スカーレットが歴史ある伯爵家に嫁いだように、お前にも役目を果たすことを期待しているに過ぎん」


 ガーネットは反吐が出そうになるのを、罵倒の言葉と一緒に飲み込んだ。


 何より理解に苦しむのは、当事者であるスカーレットが心底誇らしげに笑みを浮かべていることだった。


 生理的な嫌悪感の度合いでいえば、望まぬ婚姻を強要する父よりも、理解不能な姉の方がずっと上であった。


「ですが、父上。自分が十八になるまでか、あるいはミスリル密売組織(アガート・ラム)を討つまでは騎士を続けてもよいという約束では?」

「その後から準備をしたのでは遅すぎるだろう」


 レンブラントは、こんな当たり前のことも分からないのか、とでも言いたげに首を横に振った。


「ひとまずは婚約者という形を取り、お前がガーネット・アージェンティアとしての活動を終え次第、アルマ・アージェンティアとして婚姻を結んでもらう。今回の夜会はそのためのちょうどいい下準備だ」


 騎士として活動している限りは、前騎士団長の娘としての立場を忘れられる猶予期間(モラトリアム)だと思っていた。


 しかし、どうやら父の認識は違っていたらしい。


「……もしも嫌だと言ったら?」

「事の真相を騎士団に明かす。さすればカーマインも貴様を免職せずにはいられまい」


 たったそれだけの一言で、ガーネットは言葉に詰まらざるを得なかった。


「女人禁制の掟を支持する団員は今も多い。真相を明かしたところで、カーマインが騎士団の実権を握り続けることは変わらないだろうが、お前は間違いなく団にいられなくなるはずだ」

「…………」

「これまでにそうしていないのは、お前との約束を重んじているからだ。分かるな?」


 反論の余地はなかった。

 確かに銀翼騎士団の団員の多くは、女人禁制男子限定の古色蒼然とした決まりを支持している。


 さもなければ、とっくにカーマインがルールを変えてしまっているだろう。


 カーマインが騎士団の実権を握ってもなお、古臭い採用基準が維持されているのは、それが多くの構成員に好まれているからに他ならない。


 騎士団長は独裁者ではない。

 無理を押し通そうとすれば、構成員の離反を招く結果が待っているだけだ。


 そして、ガーネットはこの場にカーマインがいない理由を察した。


 公務があるからと言っていたが、恐らくはわざとカーマインの公務に日程をぶつけてきたのだ。


 自分(ガーネット)に味方する唯一の肉親を、この場から排除するために。


「夜会は明後日(みょうごにち)の夜だ。それまでに準備を整えておけ」

「……気に入る相手がいるとは限りませんけどね」

「一度や二度で決めずとも構わん。決まるまで回数を重ねるだけだからな」











 ガーネットは無言のまま部屋を後にし、嫌悪に顔を歪めたまま大股で廊下を歩いていた。


 ハッキリ言って何もかもが不愉快だ。

 婚約? 婚姻? 考えるだけで吐きそうになる。

 前々から人の生き方に干渉したがる奴らだとは思っていたが、これほど不快になったのは初めてだ――


「……あれ?」


 そこでふと、ガーネットは自分の心に生まれていた違和感に気がつき、歩調を緩めて廊下の真ん中で立ち止まった。


 確かに、父親と姉とあちらの兄は昔から好きではなかった。


 母の仇を討つため騎士になりたいと訴えたとき、彼らは問題外だと否定して、婚姻に向けた準備をするように圧力を加えてきた。


 嫌だった。許せなかった。受け入れられなかった。


 しかしそれは、仇を討ちたいという願いを踏みにじられそうになったことへの嫌悪感であり、前騎士団長の娘として嫁ぐことへの嫌悪ではなかったはずだ。


 だからこそ、父親を説得し納得させるためとはいえ、ガーネットとアルマの『架空の双子』という欺瞞を演じることを受け入れたのだ。


 首尾よく母の敵を討つことができたなら、父の望み通りの結婚をしても良かったと考えていたからだ。


 それが今はどうだ。


 冷静になって思い返してみれば、父の主張は自分の目的を阻害しない範囲で、約束が果たされた後の準備をしておけというだけのものだった。


 アルマとして婚約者を作っておくことは、ガーネットとして騎士の職務を全うすることに何の影響もない。


 以前の自分なら、婚姻そのものをここまで嫌悪することはなかったはずだ。

 父の提案も、時代遅れの思想だが手順自体は合理的だと受け止めていたはずだ。


「(一体、どうして――)」


 そのとき、不意に一人の男の姿が頭に思い浮かんだ。


 ガーネットは顔が焼けるように熱くなるのを感じ、激しく首を横に振った。


 どうしてあいつの顔が浮かんできたのか。

 理由は分かる気がする。

 分かる気はするけれど、明確に意識してしまったらどうなるか分からない。


「(駄目だ、駄目だ駄目だ……! こんなことに、あいつを巻き込んだりするなんて……!)」


 ガーネットは胸の奥底から湧き上がる思いを必死に振り払い、自分の部屋へと駆け込んだのだった。

ちょっと長くなりましたが、これは一話に収めたかったので一気に投稿しました。

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