第172話 君がいない町 後編
時間は過ぎて、昼下がり。
皆に昼食休憩を順番に取ってもらい、最後に俺が休憩に入ることにする。
どこで食べるのかは少し悩んだが、結局は通い慣れた春の若葉亭に足を運んでしまう。
幸いにも飲食店の昼間のピーク時間は過ぎていたので、春の若葉亭の食堂はさほど混んでおらず、少しばかり緩んだ空気が流れてすらいた。
空いている席に案内されて注文を考えていると、トレーを抱えたシルヴィアが不思議そうに話しかけてきた。
「あれっ? 今日はガーネットさんと一緒じゃないんですね。何かあったんですか?」
「ガーネットなら里帰りだよ。今日からしばらくは休暇だ」
「なるほどー……ルークさんとガーネットさんが一緒にいないって、ちょっと不思議な感じがしますね」
シルヴィアに屈託のない笑顔でそう言われ、言葉にしにくい複雑な気持ちになる。
「俺ってそんなに、あいつとワンセットになってる印象なのか?」
「え? 護衛だから当たり前じゃないですか」
「……確かに」
言われてみればそのとおりだった。
元々、ガーネットは俺の護衛として派遣された騎士であり、俺を一人にせず行動を共にするのは当然で、シルヴィアとサクラの二人はその事実を把握している。
俺達の関係性に変化が……端的に言えば歪みが生じてきたことは、俺達自身しか知りえないことなのだ。
常に行動を共にしているという事実すら、シルヴィアにとっては護衛として当然の振る舞いなのである。
ではシルヴィアとサクラ以外の人間はどうかと考えると、これもやはり二人と変わらないはずだ。
ガーネットが騎士であることは明かしていなくても、ろくな実戦的スキルを持たない俺のボディーガードのような仕事も任せていることは、一般人も冒険者も含めて多くの人間が知っている事実だ。
とりわけ、魔王戦争を通して護衛役を貫いていたことが、その事実の周知に一役買っている。
結局のところ、ガーネットがいつも隣にいることに対し護衛以上の意味を感じてしまうのは、他でもない俺だけなのである。
「(……傍から見れば、あいつがいないのも『護衛が休暇を取っただけ』なわけだ)」
ひとまず昼食を注文し、大窓の外に何気なく目を向ける。
グリーンホロウは今日も何一つ変わらない。
銀翼騎士団の尽力もあって、護衛の必要が危ぶまれるほどに平穏無事で、大通りにも活気が満ちている。
いつもの護衛がいないせいか、妙な意図を持って俺に声を掛けてくる奴が普段よりは目についたが、それも些細なことだ。
大抵は適当にあしらうだけで終わり、しつこい場合も巡回の騎士がすぐに追い払ってくれるので、何かしらの問題に発展する余地すらない。
なのに――言い知れない空白感が胸を埋め尽くしている。
向かい側の席にガーネットがいないだけなのに、我ながら大袈裟な感傷だ。
「おまたせしました、ごゆっくりどうぞ」
「ルーク殿。御相席してもよろしいでしょうか」
シルヴィアが料理を持ってきたのと一緒に、サクラも俺のテーブルにやって来た。
別に構わないのでテーブルの向かいに座るよう促すと、サクラは俺から見て斜め前の椅子に腰を下ろした。
お互いの仕事に関する話をしながら少し遅めの昼食を取り始め、もう少しで食べ終わりそうになったところで、サクラが何気ない態度で話題を変えてきた。
「ところで、ガーネットは里帰りをしているそうですが、彼の故郷はどの辺りなのでしょうか」
「それ私も気になります。はい、お水どうぞ」
たまたま水を注ぎ足しに来たシルヴィアも質問に同調する。
単純にガーネットの故郷がどこかと考えると、実家の領地か王都のどちらかになるのだろうが、この場合は今現在向かっている場所を答えるべきだろう。
「行き先は王都らしい。だから今はまだ移動中なんじゃないか?」
「王都! 私も武者修行の旅を続けて長いですが、かの都市にはまだ赴いたことがありませんね……」
「俺もだ。あそこには冒険者ギルドの本部もあるし、ミスリル加工師も大陸で一番多いから、一度は行ってみたいと思ってるんだけどな」
大陸の大部分を統一したウェストランドの首都というだけあり、王都はあらゆる面で最先端を行く都市だ。
特定分野で匹敵あるいは凌駕する都市はもちろんあるが、総合的に評価すれば間違いなく王都が頂点だろうと広く言われている。
「やっぱり行ってみたいですよね、王都。おばあちゃんのお誘い、受けようかなぁ」
「ドロテア殿の?」
「おばあちゃんの商会の本部も王都にあるの。それでたまには遊びに来なさいって手紙がね。今なら交通費も出すぞって」
「ははは。孫を甘やかしたくて仕方がなくなったと見える。せっかくだから誘いを受けてみたらどうだ。孝行は出来るうちにした方がいい」
シルヴィアとサクラが歓談する傍ら、俺は再び向かいの空席に視線を向けた。
いつもならきっと、ガーネットも話題に混ざって騒いでいたことだろう。
そんなことを逐一考えてしまうあたり、この状況に慣れるのはなかなかに難しそうだ。
その日の営業は全て終わり、後片付けを終えて店を閉める。
半ば事務室を兼ねたリビングに一人で佇み、静まり返った室内を眺めていると、まるでここが見知らぬ場所のように思えてくる。
以前、俺は魔王軍との戦いの中で、必要に駆られて片腕を自ら切り離したことがある。
後で【修復】することを前提とした作戦だったが、それでも喪失感は凄まじく、二度とやるものかと心に誓ったものだ。
今の喪失感はその瞬間を上回っているかもしれない。
そんな意味のない感傷を破ったのは、家の裏口を強くノックする音だった。
開けてみれば、さっき帰宅したはずの四人――ノワールとアレクシア、エリカとレイラが揃ってそこにいた。
「す、すみませんっ。忘れ物しちゃったみたいで……調合レシピなんですけど見てませんか?」
用件を切り出したのはエリカだった。
恐らく四人で帰宅中にエリカが忘れ物に気付き、夜道は危険だからと全員で引き返してきたのだろう。
ひとまずエリカ達を家に上げ、ポーションの調合レシピを手分けして探してみるが、それらしきものはなかなか見つからない。
「確かリビングの作業机に置いたような気がするんですけど……」
「……もしかしたら、誰かが間違えて不要な書類と一緒に裁断して捨てたのかもな。ちょっと待ってろ」
作業机横の廃棄書類用の屑籠に手を入れて【修復】スキルを発動させる。
破かれたり細かく裁断されたりした書類の残骸が、屑籠の中であっという間に形を取り戻していく。
俺はそれらを全て取り出して、間に挟まった手書きのレシピを見つけ出した。
「ほら、あった」
「あ、ありがとうございます! よかったぁ……」
俺も大事なレシピが見つかったことに一安心しつつ、【修復】した不要な書類をもう一度【分解】しようとしたのだが――
「――これ、もしかして」
その書類の束に、威厳ある装飾的な模様が施された手紙が混ざっていることに気がついた。
間違いない。ガーネットが実家から受け取った手紙だ。
本当なら、見なかったことにして再び廃棄するのが、人間として正しい行いなのだろう。
しかし、俺は胸の奥底から突き上げるような衝動に抗いきれず、手紙を開いてその内容に目を通してしまった。
「――――――――」
「ごめんなさい、迷惑かけちゃって。それじゃ、おやすみなさい」
用件を終えたエリカ達が立ち去ろうとする。
俺はほとんど反射的に、彼女達を――正確にはその中の一人を呼び止めていた。
「レイラ。悪いけど少し残ってくれ。相談したいことがある」




