第171話 君がいない町 前編
ホロウボトム支部の開店から数日が経った、とある朝。
目を覚まして自室を出た俺は、リビングの異様な静けさに思わず面食らった。
俺の家はこんなに静かだったのかと驚かずにはいられない。
朝日が差し込むリビングはまるで無人のような静寂に満たされ、リビングを歩く俺のあらゆる動作が、思った以上に大きな音を響かせる。
「(ガーネットがいないってだけで、こんなに変わるのか……)」
以前に約束したとおり、ガーネットは実家の会合に顔を出すために長期の休暇を取り、グリーンホロウを離れている。
夜明け前に出発するとのことだったから、俺がまだ眠っている間に町を出たわけだ。
俺も同じ時間に起きて見送るべきかとも思ったが、今生の別れというわけでもなし、大袈裟すぎるということでやめにした。
ガーネットの本来の役割である俺の護衛――もはや必要なのかどうかも疑問だが――については、休暇中は銀翼騎士団が周辺の巡回を増やすことで代替するようになっている。
指揮官であるフェリックスからは、住み込みの護衛と比べると確実性に劣ると謝られたが、そのために人員を捻出する余裕がないのだから仕方がない。
俺としても、見ず知らずの騎士といきなり二人きりで暮らすのは、流石に色々な意味で抵抗があるので、こういう形に落ち着いたのは歓迎である。
「(ん? あれは……)」
朝食の準備でもしようかと思ったところ、テーブルの隅に布巾を被せられた皿が置いてあることに気がついた。
その中身は簡単な朝食であった。
誰がいつ用意したのかは考えるまでもない。
「まったく……自分も忙しかっただろうに……」
苦笑を浮かべてみたつもりが、つい普通に口元が綻んでしまう。
きっとガーネットに言わせれば『自分が食べたかったからついでに多めに作ったんだ』といったところだろうが、それでも嬉しく思ってしまうことに変わりはなかった。
やがて開店時間になり、客がちらほらと入り始める。
今日の従業員はノワールとアレクシア、エリカ、レイラに俺を加えた計五人。
しかしそれでも何ら問題なく店を回せる程度の客入りである。
「……やっぱり……これくらい、が……ちょうど、いい、な……」
ノワールがほっとした様子で呟く。
俺もそれについては全面的に同意である。
「支店がオープンしてからは、地下に潜る冒険者が軒並みそっちを利用してるからな。店の大きさを考えたら、これまでが詰め込みすぎだったんだ」
店舗の広さはこの建物よりも、ホロウボトム支店の方が二倍は大きく、従業員数もほぼ倍を用意してあった。
裏を返せば、本来であればそれくらい必要なくらいの客が、このささやかな店に押しかけていたわけだ。
「前は、ほんとに、忙しくて……魔道具の、研究も……全然で……試したい、アイディア……パンクしそう……」
「悪い悪い。前々から働いてくれてた皆には、後で何か埋め合わせしないとな」
ノワールは人付き合いも喋るのもとにかく苦手だが、魔道具に関してはかなり口うるさく、こだわりが強いタイプだ。
仕事一辺倒でそちらに時間を割けない日々は、彼女にかなりのストレスとフラストレーションを与えていたのかもしれない。
「埋め合わせって例えば何ですか?」
「そうだな……いわゆる賞与って奴とか、ガーネットみたいに里帰りでもできる長めの休暇とか……って、何だアレクシアか」
「何だとは何ですか。それより言質は取りましたからね」
「いくらでも取ってくれていいぞ。破る気はさらさらないからな」
「楽しみにしてますので! ではっ!」
アレクシアは裏から持ってきた商品を抱えたまま、下手な鼻歌交じりに店舗の奥の商品棚の方へ立ち去っていった。
実のところ、うちの店で働いているメンバーの中には、グリーンホロウ・タウン出身の人間は全くいない。
俺はもちろんとして、ガーネットとレイラは騎士の一族の出身……つまり領地と王都が故郷に相当し、アレクシアはここから遠く離れた複層都市の出身である。
ノワールの故郷がどこなのかは知らないが、少なくともここではないことだけは確かで、支店メンバーは全員がサンダイアル商会の仲介でやって来た他地域の出身者だ。
唯一、エリカだけは山を下った隣町にあたるウォールナット・タウンの出身なので、地元の人間と言っても間違いではない。
エリカは将来的に薬師として独立するため、それに反対する実家を飛び出してきたという立場だ。
となると、彼女だけは『里帰りのための長期休暇』を喜ばしく思わないかもしれない。
そんなことを考えていると、エリカの作るポーションの常連客が店にやってきた。
「よう、白狼さん! 空きビン持ってきたから引き取ってくれ!」
グリーンホロウの山で働く男達が、ポーションの空きビンが詰まった木箱をカウンターにずんっと置いた。
「空きビン回収ですね。エリカ、こっち頼んだ!」
「はいはーい!」
陳列直しをしていたエリカが駆け足で戻ってきて、綺麗に洗われた空きビンの数をカウントしていく。
ポーションの販売価格にはガラス製のビンの価格も上乗せされており、十本二十本と大量購入するとなると、これがなかなか無視できない額になってくる。
ガラスが貴金属並みに貴重だった一昔前ほどではないにせよ、無造作に使い捨てられるほど安くもない。
そこで、うちで買ったポーションの空きビンを綺麗に洗って持ってくれば、ガラスビンの代金に相当する金額を返金するというシステムを採用したのだ。
これを提案したのはもちろんエリカだった。
ウォールナット・タウンの実家でも試験的に運用していたシステムで、薬師側が損をせずに実質的な割引ができるということで割と高評価だったそうだ。
更にうちの店の場合は、割れてしまったビンでも重量に応じて買い取りできることになっている。
当然、こちらは俺の【修復】スキルを前提としたサービスである。
「空きビン二十本だから小銀貨二枚ですね」
「おっと。後で五人で山分けにするから銅貨でくれ」
「じゃあ大銅貨二十枚で。疲労回復のを調合したばっかりですけど、買っていきますか?」
「それじゃ、また一箱頼む。夕方くらいに配達してもらえるか?」
「ポーション一箱と配達手数料と……端数はオマケして大銀貨一枚にしときますね」
「いつも悪ぃな!」
エリカはすっかり熟れた様子でテキパキと接客をこなしている。
この調子なら、自分の店を持つ夢も数年のうちには実現できるのではないだろうか。
客が帰っていったので、とりあえず空きビン入りの箱を店の裏に運んでしまうことにする。
「ガーネット! こいつを裏に……って、調子狂うな」
やれやれだ。どうしてもガーネットがここにいるという前提で動いてしまう。
ノワールとエリカがきょとんとした顔で見てきているが、適当に笑って誤魔化すことしかできなかった。




