第160話 まるで男女の言い争い
――レイラから話を聞き終え、ひとまずシルヴィアとサクラには春の若葉亭へ戻ってもらうことにした。
これ以上は立会人が必要な会話をするつもりはないし、そろそろ日も落ちてきてしまうからだ。
「とりあえず、君は本店勤務に回すように調整してみるけど、他のスタッフの希望にもよるから保証はできないぞ」
「ええ、構いません。依怙贔屓は不要です」
レイラは丁寧な態度で俺に応対しながら、ガーネットの様子をちらちらと気にしている。
ガーネットから威嚇するような目で見られている理由が分からず、リアクションに困っているのだろう。
あいつがこんな反応をしている原因の想像はつく。
だがそれは、レイラには決して説明できないものだ。
何なら頭に思い浮かべることすら気が引ける。
本人に確認が取れていない以上は自惚れ同然であり、かといって確認を取る度胸もない。
これまでの人生でそんなことの経験がなかったわけではないが、さすがにガーネットは生まれも年齢差も事情が違いすぎるのだ。
「繰り返しになりますが、私としては婚約を成就させるつもりはありません。竜王騎士団に相応しい人材か、という観点で評価させていただこうと思っています」
「俺としてもそうしてもらった方が気楽だな」
レイラの発言は、さっきからずっと遠慮がなかったが、不快だとは感じなかった。
背丈だけならともかくとして、屈強さとなると高ランク冒険者や騎士達に大きく水を開けられている自覚はある。
そのこと自体の良し悪しではなく、あくまで個人的な嗜好にそぐわないという話であり、なおかつ俺自身もレイラを特別視しているわけではない。
ましてや理想がアルフレッド陛下だというなら、レイラの嗜好に合致しないからといって、気に障ったりするなどありえなかった。
「さて、どうだかな。最初はクソみてぇに思ってても、後で手の平返すことになるかもしれねぇぞ」
「そのときはそのときです。彼を伴侶にしたいと望むようになったなら、潔く方針を変えることになるでしょうね。あくまで仮定の話ですので、可能性は低いと思いますが」
レイラの返答を聞いて、ガーネットはより一層警戒を強めた。
自分で持ちかけた仮の話に返事をされただけなのだから、今のはただの自爆なのではと思わなくもなかったが、あえて言葉には出さなかった。
「一つ、念のために確認しておきます。ここでは私のことをただの『レイラ』として扱ってください。竜王騎士団の縁者であるベアトリクス・レイラ・ハインドマンではなく、ただの『レイラ』としてです」
それは言われるまでもない。
首肯してからガーネットの方に目をやると、ガーネットも無言で頷いて同意した。
「もちろん、私も貴方とは銀翼騎士団のガーネット・アージェンティアではなく、ただの『ガーネット』として接します。先に帰宅なさったお二方にもそうお伝え下さい」
「あいつらなら大丈夫だ。オレのことだって誰にも喋っちゃいないんだからな」
「……信頼なさっているのですね。畏まりました。私もその信頼を信じましょう」
少なくとも、騎士団に関わる者であるという正体を隠すことについては、お互いに納得し合ったようだ。
ふと窓の外に目をやると、もう日没が間近にまで迫っているようだった。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか。宿泊場所はもう決まってるのか?」
「まさか、ここの空き部屋に押しかけようとか思ってねぇだろうな」
ガーネットが冗談交じりで――威圧感はそのままだが――そう言うと、レイラは初めて感情的になって発言を返した。
「なっ! そんな破廉恥なことできるはずないでしょう!」
「はれっ……!? お、お前な! 古い考えに囚われねぇとか言ってなかったか!?」
「それとこれとは話が別です! 殿方に寝床を借りるなど、不用心にもほどがあります!」
「白狼のはんなことしねぇよ!」
「例え友人知人でも避けるべきことです!」
まるで年相応の男女の言い争いだなと、他人事のように傍観する。
……もちろんただの比喩だ。
男女の口論など根本的に成立しないことはよく分かっている。
下手に口を挟んだら余計にこじれてしまいそうだ。
ここは静観の一手が最適解だろう。
それにしても、彼女達が古い価値観を保っているとされる銀翼騎士団と、現実的な変化を望むとされる竜王騎士団の中立派の関係者ということを考えると、何だか妙な気持ちになってくる。
「と、とにかく! 今日はこの辺りで失礼いたします! 今後は一介の従業員として遠慮なくお使いください! ではっ……!」
興奮の残滓を引きずりながらも、レイラは礼儀正しく一礼して家を出ていった。
ガーネットはレイラが立ち去っていった後で、物凄く複雑そうな表情で自分の手に視線を落とすと、絞り出すようにぽつりと呟いた。
「……破廉恥……」
「いや、そういうのじゃないってことは、俺が一番良く分かってるからな?」
このままだと空気が妙なことになりそうだったので、とにかく話題を変えることにする。
ちょうど、すぐにでも尋ねておきたい疑問点があったところだ。
「そんなことより、アルマ嬢ってのは誰のことなんだ? 妹とかいうのは嘘なんだろ」
「んなもん分かりきってるだろ。オレだよ」
やはりそうだったか。
ガーネットも俺が分かったうえで尋ねていたのは承知の上らしく、自分からより詳しい事情を語り始めた。
「性別を偽って騎士団に入るにしても、前騎士団長に娘がいたって事実は消えねぇんだ。いきなり現れた息子のことは隠し子だの何だので誤魔化せてもな」
「……軽々しく言いたいことじゃないんだが、娘は死んだことにするとか、そういう風にはしなかったんだな」
ガーネットはしばらく押し黙り、ぽつりと呟くように「ああ」と応えた。
「父上を納得させるために、条件を付けたんだ。オレが銀翼の騎士として振る舞うのは、母上の仇を……ミスリル密売組織のアガート・ラムを討ち果たすか、オレが十八になるときまで。その後を考えりゃ、前団長の末娘を死んだことにはできねぇんだ」
そう言ってガーネットが浮かべた笑顔は、俺には見せたくない薄暗い感情を覆い隠すようなものだった。
「……ちょっと待った。そうなると、末娘は昔から『アルマ』って呼ばれてたことになるよな。でもお前は子供の頃からガーネットなんだろ?」
「ん? ああ、それな」
ガーネットの表情が普段通りのそれに切り替わり、悪戯の種明かしでもするかのように唇が釣り上がる。
「どっちもオレの名前なんだよ。ガーネット・アルマ・アージェンティアってのが、生まれたときに付けられた名前だ。戦乱のごたごたに乗じて、実はガーネットとアルマの兄妹だったってことで誤魔化して……何だよその顔。オレおかしなこと言ったか?」
ガーネットは訝しげに俺の顔を見上げてきた。
どうやら、無自覚に笑みを浮かべてしまっていたらしい。
「これでまた一つ、お前のことを知れたんだなと思ってさ」
「うっせーな……大したことじゃねぇだろ。そりゃあまぁ、ここまで知ってるのは家族とお前くらいだけどさ……」
ガーネットはごにょごにょと言葉を濁し、誤魔化すように俺の足を軽く蹴りつけてきた。




