第158話 ベアトリクス・レイラ・ハインドマン 前編
後はこの鍵を役場に返せば全て完了――と思った矢先、新規スタッフの一人である少女が声を掛けてきた。
「申し訳ありません。少しよろしいでしょうか」
――何故かそのとき、俺は騎士達に混じって『魔王城領域』を駆け回っていた頃のことを思い出した。
この少女の立ち振舞いから受ける印象が、どういうわけか騎士達のそれと似通っているように感じられたのだ。
「ええと……名前は確か、レイラ、だったよな。どうしたんだ?」
「実は、地上の本店での勤務を希望したいのです。ご一考いただけないでしょうか」
レイラは短い黒髪で、集会の間も言葉数が少なかった、落ち着いた雰囲気の少女だ。
髪色は似ていても、ノワールの内向的な雰囲気とは反対に、意志の強そうな気配を漂わせて微笑んでいる。
特に赤い瞳が印象的で、気を抜いたら腹の底まで見透かされそうな気がしてくる。
「何か理由でもあるのか? 理由がないといけないわけじゃないけど、一応参考までに聞かせてくれ」
「いえ、本当に大した事情ではないのですが……」
「ちょっと待て。テメェの面、どっかで見たことあるぞ」
ガーネットが威嚇するように一歩前に踏み出し、俺を庇うかのように片腕を拡げる。
レイラはわずかに驚いたような素振りを見せたが、すぐに何かを思い出した顔で頷いた。
「もしかして貴方は……」
「テメェ……黒竜騎士団の人間だな」
「竜王騎士団です。古い名称で呼ばないでいただきたいですね」
二人が放った発言はまさしく不意打ちそのもので、思わず言葉を失ってしまう。
「貴方こそ、アルマ嬢とよく似たその容貌。噂に聞くガーネット卿とみました。よもや銀翼が先に騎士を派遣していようとは……いえ、考えてみれば当たり前だったかもしれません」
黒竜、もとい、竜王騎士団。
その名は俺にとっても決して聞き流せるものではなかった。
アルフレッド陛下の即位直後から従っていた騎士軍団。
大陸統一の戦乱を制した勝者の軍勢。
現在は陛下の近衛兵として王都を守護する騎士団の頂点。
「正体に気付かれてしまった以上、こちらの目的を隠し続けるわけにはいきませんね。私は……」
「待った。ここだと誰か来るかもしれねぇし、後で言っただの言わなかっただので揉めるのも面倒だ。場所を変えて、信頼できる他の奴にも立ち会ってもらおう」
「私は構いませんが、あなたの素性も知られてしまうのでは?」
「俺が銀翼の騎士だって知ってる奴らに頼むつもりだ。口の堅さは折り紙付きだぜ」
ガーネットの提案をレイラが受け入れたことで、会話の場は町の集会場からホワイトウルフ商店の居住スペース……つまり俺達の家に移ることとなった。
グリーンホロウの町並みからそれなりに離れ、一番近い隣家も会話の声が届くことはない。
家の前には『日時計の森』へ通じる唯一の道があり、通行人自体は決して少なくないが、今日はそもそも定休日なので誰かが立ち寄ることもなかった。
「悪いな、いきなり呼び出したりして」
「気にしないでください。私は無理やりついてきたようなものですから」
「近頃はお役に立てておりませんでしたから。こういうときにお力添えしなければ」
ガーネットが声を掛けた立会人とは、シルヴィアとサクラだった。
二人ともガーネットが銀翼騎士団の騎士であることを以前から知っており、なおかつその秘密を今も守り続けている。
両騎士団の人間が語り合う場の立会人としては、まさにこれ以上ない人選である。
厳密には、直接ガーネットに声を掛けられたのはサクラだけだった。
たまたまそこに居合わせていたシルヴィアも同席を志願し、二人が同時に立ち会うことになったのだ。
「どっちもオレ達の知り合いだが、構わねぇな」
「結構です。では順を追ってお話しましょう」
レイラは俺達を見渡すように目線を動かしてから、落ち着いた態度で語り始めた。
「まずは改めて自己紹介をいたします。私はベアトリクス・レイラ・ハインドマン。騎士叙勲を受けていない身ではありますが、竜王騎士団の主要家門の一角たるハインドマン家の末席に身を置いております」
自分自身は騎士ではない。レイラはそう語った。
言われてみれば、ガーネットも『黒竜騎士団の人間』と呼んでいたが、騎士だとは一言も口にしていなかった。
騎士を思わせる物腰は、恐らく家柄から影響を受けて身についたものなのだろう。
「そちらの彼、ガーネット卿が銀翼騎士団の騎士であると気付いた理由は、かの騎士団の指導者一族たるアージェンティア家の御令嬢、アルマ嬢と相貌が酷似していたからです」
レイラは喋りながらガーネットの様子を伺っている。
そしてガーネットが何も言わないのを、このまま語ってもよいという無言の肯定だと解釈したのか、ガーネットに関するレイラ自身の視点からの説明を続けた。
「私は幼い頃に一度だけアルマ嬢と面識を得たことがあり、その双子の兄君が銀翼騎士団に加入している、というお話も伺っておりました。アルマ嬢は滅多に人前に現れないお方……私が気付くことができたのは幸運の賜物といえるでしょう」
ちょうどそのとき、シルヴィアが何かを察した顔で口元に手をやった。
シルヴィアが考えていることは手に取るように分かった。
以前、ガーネットから寄せられた『妹が直面している恋愛問題の相談』のことを思い出し、その妹のことだと考えるに至ったのだろう。
あのときシルヴィアとマリーダは、相談内容を『実はガーネット本人のことに違いない』と解釈していたので、本当に妹がいたことに驚いているのだ。
――いや、違う。
シルヴィアがそう考えたのは間違いないけれど、ガーネットに双子の妹などいるはずがない。
ガーネット本人から家族構成について聞いたのは、ついこの間のことだ。
そのときの話に妹なんか出てこなかった。
兄が三人、うち一人は故人。姉は一人。
この四人は父親の前妻の子供であり、後妻の子供はガーネット一人だけ。
双子の妹が存在する余地はなく、既に亡くなった兄も数に入れていたことからも、妹は既に世を去ったという可能性もない。
「(つまり、こいつも偽の情報なんだ……外部に真相を知られないための……)」
そんなことを考えながら、レイラに違和感を気取られないよう気をつけて、あえて素知らぬ顔を貫き通す。
レイラは一呼吸を挟み、ようやく本題に言及し始めた。
「何故、栄えある竜王騎士団が私をこの町へ派遣したのか。ご説明いたしましょう」




