シンサック・ジューヌガン
早く帰ってこい!どスケベ小説家!!
酒臭い呼吸がもう忙しない。
その息の臭さが、恐ろしく俺の気分を悪くする。
そもそもこの白人がジムに入ってきた時から、俺はこの男の体臭に我慢がならなかったんだ。
でもそんな気持ちを、俺はおくびにも出さない。
下手くそなパンチに、ちゃんとミットの角度を合わせてやり、いい音がジム内に響くように細工している。
「オー、ベリーストロング、ストロングパンチね」
ミットを着けた手をぶるぶる振って、大げさに痛がってみせる。
調子に乗ってこの白人は、さらにパンチに力を込め始めた。
始動からインパクトまで、肩に思い切り力が入っている。そんな打ち方じゃあ早いパンチなんて出せっこない。
まあいい。さっさとバテテもらって、この下らないミット打ちを早く終わらせるとしよう。
案の定、1分もしないうちに、このガタイだけはいい白人は、膝に手を置いて休んでしまった。
「ナイスパンチね、ユーはストロングね」
心にもないことを英語にして口にする。
このジムで、それなりに英語が話せるのは俺だけなので、全く下らない観光客のミット打ちの相手は、いつも俺の仕事となる。
この近くの歓楽街で羽目を外し、酔っ払った外人が、乗りに任せてジムに入ってくるのを、俺が相手する。3分も気持ちよくミットを叩かせれば、気の大きくなった金持ちの外人は、500バーツくらいの金は躊躇もせず置いていく。普通の家庭なら一カ月の食費をたった3分だ。多少の嫌な思いも、そう割り切れば我慢できるというものだ。
膝を駄目にして、ムエタイ選手としてもうリングに上がることがない俺には、この程度のムエタイとの付き合い方がお似合いなのかも知れない。
6才からリングに上がった。17才になった時には戦歴は100戦を超えた。
22才の時に大きなチャンスが巡ってきた。その試合に勝てば、ルンピニーのリングに俺は上がることができる。そんな大切な一戦で、俺は膝を壊してしまった。
2ラウンドまではお互い探り合いに徹した。3ラウンドに入って、この対戦相手が相当手強いことが、俺には分かった。
どちらが勝つにせよ、僅差の判定決着になると俺は考えた。
やけにスタミナのある奴で、手数と足数がとにかく多い。
1ラウンドの間に50発はキックを蹴ってきた。クリーンヒットの数は俺が勝っていると思ってはいたが、そこらの所をちゃんとジャッジが正確に見てくれているか心許ない。
4ラウンド中盤、相手が首相撲で俺を振り回しにきた。蹴り合いでは分がないと判断した奴が、中間距離を避けて首相撲に逃げたんだ。でもそれは戦っている俺だからこそ分かることで、ジャッジがどんな捉え方をするか分からない。あまり印象の悪い姿を見せるのは、判定に悪影響を及ぼしかねない。俺は大きく右足を前に出して、崩れかけたバランスを立て直そうとした。
(ギチッ)とも聞こえたし(ミシッ)と響いたようにも感じた。
骨と骨とが擦れたような音と、筋肉の繊維がちぎれる音とが混じり合い、何とも不快な感触が、俺の脳に直接届いた。
痛みはそれほど感じなかったが、それでも俺は踏ん張り切れず、リングの上に転がった。そして俺は立ち上がることができなかった。
その日のリングだけでなく、再び試合のリングの上に立つことが一生出来なくなったんだ。
復帰を考えなかった訳じゃない。まだ二十代前半だ。怪我さえ治れば、まだまだやれるという自信もあった。親父の経営しているレストランを手伝いながら、俺はあのリングにもう一度上がる日のことを、ずっと考えていた。
だけど膝は良くならなかった。幼い頃からリングに上がり続けてきたダメージのツケもあったのだろう。
27才になった時、俺はリングに立つことを、遂に諦めた。
誰の伝手だったか、どんな契約交渉だったのかすら、もう忘れた。
そもそもそんなことに興味がなかった。何にせよ、シラチャーの小さなこのジムで、俺はトレーナーを務める事になったんだ。
フルタイムではない。その頃には、俺は親父のレストランのメインシェフとして、自分で言うのもなんだが、必要不可欠な立場にあった。
本音を言えば、もうあまりムエタイと関わることにも気が乗らなかった。
10人くらいの子供達を指導した。
一体これまで、誰がどんな教え方をしていたんだと、正直呆れてしまった。
全く基本ができちゃいない。こんなレベルの低いジムで細々とムエタイにしがみ付こうとするかのような自分の現状が、だんだんと許せなくなっていた。
それでも俺が指導をした何人かの子達が、そのうちに試合で勝ち始めた。
オーナーが上機嫌で俺に言う。
「この子達の中から、将来ラジャやルンピニーに上がる子が出てくるかも知れないな」
馬鹿なことを言うんじゃない。オーナーがそんな馬鹿だからこのジムはいつまでも弱小なんだ。
ラジャやルンピニーのリングは、1000人の神童が集まって凌ぎを削り、その中の一握りの選手が、長く厳しい鍛錬を経て、時には運も味方に付け、そしてやっと足を踏み入れることのできる場所なんだ。どうやらこのジムに明るい未来はなさそうだ。
トレーナーの仕事をどんなタイミングで辞めようか、そんなことを考えていたある暑い日の夜のことだった。
何やらジムの入口付近が騒がしい。
目をやると、チャイニーズだかコリアンだかジャパニーズだか知らないが、明らかに酒に酔った4人の東洋人が、ずかずかと無遠慮にジムに入り込んできた。
その不躾な態度に、かなり俺は腹が立ったが、所詮一トレーナーである俺が文句を言う筋合いでもない。
オーナーが見るからに困惑している。
酒臭い息と一緒に奴らが吐き出している英語が、オーナーには理解できないらしい。
救いを求める視線を俺の方に向ける。
確かに俺は少し英語ができるが、観光客の相手は俺の仕事じゃない。そんな事は契約書にも一切書いてないはずだ。いや、どうだったかな。そもそもこのジムとの契約書に、俺は一度だって真剣に目を通しちゃいない。俺が気にしたのは月々の給料だけだ。
このオーナーのことは、好きでもないが嫌いでもない。好きでもなく嫌いでもないというのは、俺にとっては毒にも薬にもならないからだ。
まあ、そんな目をされちゃあ、しょうがない。
俺は4人の東洋人に笑顔で歩み寄る。
一番顔の赤い奴が、酒臭い息を吐きながら興奮気味に英語で話す。
「おい、シン、何て言ってんだい?この人達」
何をおどおどしてるんだい。そんなオーナーの態度が俺には意味不明だが、仕方がないので答えてやる。
「キックミットを蹴らせろと言ってるよ。よく知らないがテコンドーとか言う格闘技をやってたんだってさ、この人達」
「何だって?こんな時はどう対応すればいいんだろう」
そんなことを俺に聞くなよ。あんたがオーナーだろう。しっかりしろよ。
それは俺に意見を求めているのかい?だったらリングに上げてぶちのめしてやればいいだろう。
俺がオーナーなら迷わずにそうするね。
何?俺がミットを持ってやるのかい?冗談じゃない。酒に酔った人間のキックなんか受けれるかよ。俺にだって多少のプライドは残っている。
そこを何とか頼むって?そうかい、そうかい。それがこのジムでの俺の立ち位置ってことかい。分かったよ。今の俺にはある意味お似合いの役回りだ。金?ああ、存分にふんだくってやるよ。適当にこの酔っ払い達を煽て上げてね。
そうやって俺は、1人につき3分ミットを構えて、合計2000バーツの金を巻き上げてやった。そのうちの4割が俺の懐に入った。ものの15分で800バーツ。俺がシェフとして得ている月給の四分の一だ。通訳代も合わせて半分を寄こせと俺がオーナーに言えば、オーナーはそれを承諾しただろう。
でも俺はそう言わなかった。
まるでムエタイを冒涜して得たような薄汚い金だ。いや、それでも金は金。
振り返ってみれば、俺を突き放したのはムエタイの女神の方だ。
子供の頃は、(お前には才能がある)と煽て上げておいて、まさにこれからと言う時に、怪我で俺をあっさり切り捨てやがった。なんだ、そうなんだ。これでいいんだ。俺はこう言う薄汚いムエタイとの付き合い方で、二流どころのムエタイ選手よりも遥かに効率よく金を懐に入れるんだ。そう、これでいいんだ。
膝に手を当てて肩で息をしていた白人の呼吸が、少し正常に戻ってきていた。
相変わらず息は臭いがね。
まあ10分以上も休んだからな。それじゃあいつものように、500バーツの金を頂戴するとしようか。んっ?まだ何か言ってやがる。リングを指差して。
何だって?スパーリング?リングに上げろだと?
この傲慢な要求には、さすがの俺も、腹の底の方から、得体の知れないどろどろした熱いものが込み上げてくる感覚があった。
オーナーが(こいつは一体何を言ってるんだい?)という視線を俺に向けている。
そんなオーナーに視線も向けず、リングの上でマススパーをしていた若い二人に大声で俺は言った。
「おい、悪いがリングを空けてくれ。とてもお強いアメリカの兄ちゃん達がリングに上がりたいんだとさ」
俺のその言葉を聞き、いよいよオーナーが慌て始める。
「おい、シン、大丈夫なのか?」
「ああ、俺自身の手でブチのめしてやるよ。こんなムエタイを舐めた奴らはね」
俺がそう言った時、何故かオーナーの顔が、ますます蒼く変化した。
「いや、そうじゃないんだ。それが逆に怖いんだ。これからも大金をジムに落としてくれるかも知れない観光客だ。もちろんお前が本気で戦えば、すぐに奴らをブチのめすだろう。でもそれじゃまずいんだ。そんな悪い噂はすぐに観光客の間に拡がっちまう」
何だって?この親父は一体何を言ってるんだ。俺には何がなんだかさっぱり分からなくなった。
「こうなったら適当にパンチを受けてやって、気持ちよくホテルに帰って頂くとしようじゃないか、なっ、ミット3分で500バーツだぜ。スパーなら1500バーツくらい出すんじゃないかい?こいつら」
ふ~~ん、なるほど。ああ、終わったな。
今日という日が、俺がムエタイと関わる最後の日だ。そうと決めた。
バンテージも巻かず、俺は壁に吊るされていた12オンスの赤いグラブ2セットを手にとり、そのうちの一セットを白人に向けて投げてやった。
残ったグラブに俺は手を通した。4才の時、初めて親父に買い与えられたグラブは、俺の手が大きくなり、遂に拳が入らなくなるまで、ずっと俺の宝物だった。あの時から数えて、俺は何度グラブに拳を通したことだろう。
そして今日が最後。意外と別れはあっさりとやってきた。
これが最後と決めたグラブの感触は、馬鹿にひんやりと冷たかった。
ふと周りに目をやると、子供達が不安げな目をして、いつの間にか練習を止めていた。