第1話 宍戸剛は逃げられない
剣を抜いた瞬間、ゴブリンの首が落ちた。
音はない。
宍戸剛は返り血を避けるように半歩引き、次の敵を確認する。通路の奥、松明の届かない暗がりで二体が蠢いている。距離、約十メートル。壁際に一体。中央に一体。
問題ない。
左の壁際から来る一体を先に潰す。剣の軌道は短く、無駄がない。腕を振るというより、刃の重さを乗せるだけ。ゴブリンは声も上げられずに倒れた。最後の一体は走って来たが、宍戸には届かなかった。
踏み込み。
斬り上げ。
終わり。
五体、三十秒。
Dランク帯のダンジョンにしては、今日は密度が高かった。宍戸は剣を拭いながら、通路の先へ視線を流す。この階層はもう終わりだ。出入り口まで戻れば、今日の仕事は終わる。
仕事。
そう、仕事だ。
いつから冒険者の活動をそう呼ぶようになったのか、宍戸は自分でもよく覚えていない。最初は違った。それなりに燃えていた。強くなることが楽しかった頃もあった。
でも今は違う。
ただ潜って、ただ倒して、ただ帰る。
それだけだ。
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出入り口を出たところで、宍戸は仲介業者の男と顔を合わせた。三十代半ば、腹の出た小男で、名前は確か瀬尾とかいった。依頼のあっせんを生業にしている。
「お疲れ様です、宍戸さん。素材の回収は?」
「全部持ってきた」
「ありがとうございます。はあ、さすがですねえ。三十分もかかってない」
お世辞は聞き流す。宍戸は登録証を瀬尾に差し出し、完了処理をさせた。
画面も見なかった。
さっさと帰りたかった。
「そういえば」と瀬尾が言った。「最近また、日向陽さんの話が出てましてね」
宍戸は足を止めなかった。
「……何の話だ」
「いやあ、二周忌が近いじゃないですか。知り合いの間でちょっと話題になりまして。そうしたら、ご存知ですか。陽さんの親友だった少年が、冒険者登録したらしいんですよ。宮前蓮、って名前の。まだ十五歳だとか。陽さんのことが忘れられなくて潜り始めたんですかねえ、なんて」
「関係ない」
短く言って、宍戸は歩き出した。
瀬尾が何か言っていたが、聞こえなかった。
聞こえていても、聞かなかった。
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帰り道、宍戸は空を見なかった。
日向陽。
その名前を聞くたびに、同じ映像が蘇る。
二年前。
あの任務。
あのダンジョンの深部。
宍戸は本来、あの場所にいるはずではなかった。別の依頼で迷い込んだだけだ。偶然だった。本当に偶然だった。
だから宍戸は全部を見た。
陽が、深層へ何者かに連れられていくところを。
陽が、帰ってこなかったことを。
記録が後から書き換えられたことを。
あの場で交わされた、聞くべきではなかった会話を。
宍戸には何もできなかった。
何もしなかった。
関わると消されると思った。実際そうなると分かっていた。
だから黙った。
二年間、ずっと黙った。
それで良かったはずだ。
それで良かったはずだ。
宍戸は拳を握った。
宮前蓮。
十五歳。
陽の親友。
その少年が、冒険者になった。
宍戸はその夜、眠れなかった。




