ペルシアとギリシアの関係
約150年前、新バビロニアの滅亡から半世紀経った頃、領土拡大を目指したペルシアのダレイオス1世は3次に亘りバルカン半島を蹂躙した。ギリシアはミレトスなどのイオニア地方の反乱を支援する反ペルシア側と、ペルシアに従属することを選ぶペルシア側に分かれ、互いに争った。
やがてペルシア軍は抵抗するギリシア諸都市を破壊し尽くした。何とかペルシアを退けたギリシアは、デロス同盟とペロポネソス同盟の2陣営に分かれ、醜くも互いに争い更に崩壊の一途を辿ったのであった。やがてテーバイという都市がまとめ役となるも、父王ピリッポスが人質に送られた時代の実態はペルシアの傀儡だったという。
更にギリシアの民はペルシア戦争に勝利した筈なのにペルシア文化に酔いしれ、従来のギリシア文化を捨て去った。進んでペルシアに従属する者も続出し、やがてペルシアの傭兵の殆どはギリシア人が占めるようになっていった。それほどまでにギリシアのペルシア化が進んだ状況を、彼らは良く思っていなかった。
ペルシアは150年に亘ってギリシアを相互破滅に追い込み、更には属国化しているのである。多くの者がペルシアの奴隷と化した『ギリシアの同胞』により殺されたとか。
アレクサンドロス少年の夢は、ギリシアがペルシアへと進出し、ペルシアを同化することであった。後世から言えば「ヘレニズム化」であろうか。事実、彼の政策は成功したと言っても過言ではないのだが。彼はペルシアとギリシアの区別を無くしてしまえば、争いなど無くなるに違いないと信じていた。しかしそれはやがてここにいる彼の友人たちが引き起こすディアドコイ戦争によって裏切られるのだが。
私はこの時、アレクサンドロスの東征戦争が、歴史書などで語られるような、『憧れに突き動かされた』生半可なものではなく、壮大なる復讐と平和維持を兼ねた戦争であった事を悟った。




