十.
濃い靄に包まれた街。霞んで見える沈みかけた太陽。あの本屋さんに行く時の、いつもの景色。それだけを見ると物悲しい雰囲気を醸し出しているけれど、僕の心は何とは無しに弾んでいる。
特にお目当ての本があるわけではないのに、どうして僕はあの本屋さんに向かっているのだろう? 頭のどこかで疑問を感じたけれど、僕の脚は止まることなく目的地に向かって動いている。
(あれ? 瞬くん?)
いきなり女の子の声で名前を呼ばれて、声のした方を見た。
(あ、夢ちゃん)
声をかけてきたのは幼馴染の女の子だった。家が近所ということもあって、幼稚園に通っていた頃は良く一緒に遊んだものだが、小学校に通うようになってから、ということは、もう十年以上、大した会話をしていない。高校に進学してからは、皆無と言っても良いかもしれない。近所に住んでいながらそんな薄い間柄で“幼馴染”と言って良いのか判らないが、幼少時はそれなりに仲も良かったし、そう言っても差し支えないだろう。
(どこか行くの?)
可愛らしい笑顔を見せて無邪気に聞いてくる幼馴染。
(えっと、その、うん、本屋さん・・・)
以前は仲が良かったと言っても、他人とまともに人間関係を築けない僕は、女の子を相手にして口籠ってしまう。
(本屋さんって、学校の裏にある?)
幼馴染は驚いたように聞いた。
(う、うん、そう)
(そうなんだ。あたしもそこにいくのよ。一緒に行こ)
(え?)
あの本屋さんを知っているのは僕だけだと思っていたのに、彼女も知っているのだろうか? いや、これは僕の夢なのだから、そこに登場する人物があの本屋さんを知っていても不思議ではない。僕を見下ろしているもう一人の僕の意識が、そんなことを思っている。
(早く行こうよ)
幼馴染は僕の手を取って歩き出した。引っ張られる僕も、一緒になって歩き出す。
(あの本屋さんを知っているの、あたしだけだと思ってた)
(ぼ、僕も、他に知ってる人がいるなんて、思わなかった)
(あの本屋さん、いつもお客さんいないもんね)
(う、うん)
幼馴染は楽しそうに歩く。僕はと言えば、慣れない他人との触れ合いに戸惑いつつも、嬉しかった。何しろ、女の子と挨拶もまともにできないくせに、女の子と仲良くしている男子に羨望の目を向けていたのだから、女の子の方から手を繋いできたこの状況が嬉しくないわけがない。
(あ、見えたよ。早く行こ)
(あっ、待って)
本屋さんを前に駆け出した幼馴染に引っ張られて脚を縺れさせながらも辛うじて踏み止まり、しかし手を離さないように僕も駆け出した。今離したら二度と彼女を見つけられなくなる、そんな、有り得ないことが起こりそうな気がして。




