STEP0-1 深夜高速バスの夜(前)~雪舞砂漠を臨んで~
『おはかか? だれの?』
『……』
『なあ』
ぼくのまえにしゃがんだサクちゃんが、すっかりあまなつ色の目で、ぼくの目をのぞきこんできた。
長いまつげのかげをおとした、びっくりするほどきれいな目。
『……、さんの……』
そのときぽろり、こぼれだしてた。
とまったはずの、なみだといっしょに。
いえそうになかったはずの、ことばが。
まるで ふしぎなまほうに かかったみたいに……
そのとき、がくん。大きな揺れに俺の目が覚めた。しまったバイト!
飛び起きようとした体は、しかしほとんど動かない。遠慮のない力が引き戻す。
――縛られてる。
血の気が引く。鳥肌が立った。
風の通わぬ閉鎖空間、薄暗い照明の中、僕は柔らかな椅子に、座った姿勢でつながれていた。
こぶし三つ分もないだろうすぐ目の前には、丸くて四角い、まわりがふかふかした板。
ちょうど、バスのシートの背中側のような…… バス?
「あれ?」
よく見ればそれは、バスのシートの『ようなもの』ではない。
バスのシート『そのもの』だ。
落ち着いて身じろいでみれば、腕や足は自由に動く。腹の辺りを見下ろせば、黒く締まったシートベルト――なぜか、毎度見るたび嫌なモノだが、命を守る装置なので我慢する。
『かああ、こおお』
右耳に流れこんできたかすかな音に首をひねれば、すこし離れたシートのうえ、知らないおっさんが寝こけてる。
すこしだけ、シートからずり落ちかけて。
口をあけ、いびきをかいて熟睡中。
三々五々、シートにかけた他の乗客たちも、それぞれ傾いで夢の中。
どっ、と呼吸が戻ってきた。
そうだ、ここは、深夜高速バスのなか。
俺は、故郷からうちに帰るとこ、だったっけ。
まったく何が『縛られてる』だ。われながらひどい寝ぼけっぷり。サクに知られたらさぞ笑われることだろう。つか、バイトだってもうとっくに終わってるんだし。
まあ、確かに窓の開けられない車内は不快だが。シックハウス症候群がまたやってこないかと不安が沸き起こるから。このバスが古くて気密が甘いのがせめてもの救いだ。
……と、それはおいとき。
やつが眠っている、せめてこちらを見ていないことを願いつつ、俺はそっと左側、サクの座っているほうに首を向けた。
はたして、左のシートのうえ、サクは向こうを向いていた。
亜麻色の髪の曲線のむこう、車窓を透かして、国道沿いの夜景が見える。
星降るような夜空の下、広がる砂漠――『雪舞砂漠』。
かつて栄えた花の帝都が、神に棄てられ砂に沈んだという伝説の残る場所。
極端に地力が弱く、草も生えない不毛の土地は、だからこそ美しい。
見ているだけなら。
ふたたびほっと息をつき、俺はゆうべのことを、奴が俺の昔の親友から、現親友兼大恩人となった夜のことを、思い返していた。




