26 桜の霊
大きな門の向こうに立派な日本家屋。庭には小さな池があり、錦鯉が優雅に泳いでいる。庭園は丁寧に手入れされ、雑草は見当たらない。街でも有数な名家、橘家だ。
ーー時は少し遡る。
寒さも去り、暖かな日差しが眠気を誘う四月。
カイは眠い目を擦りながら、はなれから庭へ目をやる。何やら騒がしい。
「桜が咲いた!」
「言い伝えは本当だったのか……」
植えてから一度も咲いたことのなかった桜に花が咲いたのだ。
桜の木は皆を見下ろし、まだ小さな桃色の花弁を揺らす。
ーー
咲かない桜には、謂れがある。
『その昔、離れ離れになった橘家の許嫁がいた。
その家は代々神族の家柄で、古くからの神社を守っていたが、婚礼間近で震災に遭い、全て無くなってしまった。
許嫁だった女性も、生死不明で行方不明。橘家は何とか無事だったが、自分の許嫁がいなくなった事に耐えられず、男は探しに出たまま行方知らず。家は兄弟が継いだ。
当主はそれを嘆き、庭に桜の木を植えた。何でも、許嫁の女性の名前が桜だったと言われている。
許嫁が橘家に戻った時、桜の木が咲くと言われている』
桜もいつのまにか新緑に変わり、季節は夏になっていた。連日、蝉が鳴いている。
武尊は、カイから任された狸くんと橘家の縁側に座っていた。
「今日もいい天気だね〜」
「そうですね! こんな日は森を駆け回りたくなります」
じっと狸くんを見る武尊。
「それは今はやめとこうかー」
武尊は苦笑する。
「あはは」
「そろそろ勉強の時間かな?」
「あ! そうですね、行ってきます」
狸くんは橘会長の元へと歩いていく。会長に勉強を見てもらっているのだ。
「大丈夫かな……」
狸くんは笑っている。とてもいい子なのだが、人としてやっていけるのだろうか? 不安がよぎる。
ふいに何かの気配がした。
動物じゃない。
武尊は庭をじっと見つめる。
桜の木のそばに、着物姿の女性が佇んでいる。
あれは霊か?
武尊は唸る。
悪い霊ではないようだ。しかし、なかなか頑固そうである。
◇
カイは大学の長い夏休みの真っ只中であり、仕事場のこのカフェに入り浸っている。
ソラがツバメと会話している。
「風の噂で、元気になる場所があるって聞いたんだ。本当にここは快適な所だね」
「そうなの。ここに来たお客さんは、皆んなお昼寝してくよ」
まだ太陽が登りきらない時間帯。微笑ましいやり取りに自然と顔が綻ぶカイ。
ツバメは一眠りすると飛び立っていく。
サボテンの枯れた花を一つ一つピンセットで取っていると、外に車が止まった音が聞こえた。
「カイ! 一緒に家に来てくれ」
ドアが開いた瞬間に、焦った玲央が顔を出した。
「どうしたんだ?」
カイが驚いている。
「例の桜が咲いただろ? それでちょっとややこしい事になってて……」
「そうか。ソラちゃんごめん、今日はこれで上がって」
「ソラさんごめんね」
玲央が手を合わせて謝っている。
「大丈夫です。分かりました」
玲央さんが焦ってるなんて、いつも穏やかなのに。
ソラはカイと一緒にお店の外に出る。
「本当急にごめんね」
玲央さんが車に乗り込みながら謝る。
「いいえ……」
なぜかその姿に目がそられなくなった。固まったソラ。
「ソラちゃん?」
カイが声をかけるが、ソラはどこか別の所を見ている。
「私も連れてってください」
ソラと別の何かの声が重なった。玲央は頭をかかえた。
「まさか、ソラさんが……」
「兄貴? どういう事だ?」
カイは意味不明である。ソラも急に態度がおかしい。どうしたというのだ。
「一緒に行こう。武尊にどうにかしてもらおう」
「え? ソラちゃんも?」
状況が掴めぬまま、三人は橘家へと向かった。
橘家へ向かう道すがら、玲央が口を開いた。
「武尊が桜の木に、女性の霊が見えるって言い出して」
「霊?」
カイが思わず口を挟む。
「いや、信じられないとは思うんだけど、俺もうっすら見えてさ……その霊が、昔の橘家の婚約者だった人らしくて」
「へぇ?」
「婚約者の生まれ変わりが現れる前に、霊をどうにかしたいって武尊が……でもこの感じだと、多分ソラさんが婚約者だったのかも」
「へぇ!」
橘家に到着する。
三人は庭へと向かう。武尊が狸君と待っていた。
「おかえり……ソラちゃん? げ、生まれ変わりってソラちゃん?」
一目見て武尊は分かったらしい。
「武尊分かるの?」
カイが訊ねる。
「うん。見えてるから」
武尊の目が青い。なにか術を使っているらしい。
「ソラちゃんに女性の霊が憑いてるね」
ソラはフラフラ歩いて行くと、花が散って緑の葉になった桜の木に触れる。なぜかそうしないといけないと強く思う。
頭の中に、さっきよりも強く思考が流れ込む。
やっと会えた! 私の婚約者!
ソラは胸がいっぱいになる。愛しい人に会えた喜びで心が満たされていく。何かに突き動かされる感覚……
何も考えられない。頭の中にさらに強くて靄がかかる。
「ソラちゃん」
カイが声をかけるが返事がない。
玲央がソラに近づいていく。と、ソラが玲央に抱きついた。目を疑うカイ。
玲央も狼狽している。ソラが虚な目で玲央を見ると言った。
「やっと見つけた」
その声はソラであって、ソラではなかった。
武尊が言霊をソラへ向かって唱える。
ソラは意識を取り戻す。
あれ? 私なにを……
見上げると玲央の顔がある。
「!」
急いで離れるソラ。
「すみません!」
「ううん、大丈夫?」
玲央は心配しているようだ。
自分はどうしたのだろう? 記憶がおぼろげである。
「ソラちゃん!」
カイが走ってくる。ソラはカイの姿を見て、なぜか安心する。
「カイさん……」
「大丈夫? 意識戻った?」
カイは玲央を押し退けてソラの肩を掴む。
「はい。私……」
まただ!
何かが頭に訴えてくる。苦しくて悲しい感情。喉が詰まってうまく声が出せない。何故か涙が溢れてくる。
「うう……、カイさ、ん…」
何とか声を絞り出すソラ。頭の中がまっ白になる。意識がまた遠のいていく。
武尊は苦々しげにソラの中の霊を見る。
強力な意志は中々跳ね返せない。
カイがソラを抱き寄せる。
「ソラちゃん!」
何度も呼びかけるカイ。
「私の婚約者を返して」
ソラの口から別の誰かの声が聞こえる。しかしカイは怯まない。
「ソラちゃん!」
何度も呼びかける。
薄れる意識の中で、カイの声が聞こえる。
私を呼んでいる。カイの温もりを感じる。あったかい……
目を覚ますソラ。
「カイさん」
「戻った! よかった……」
カイの心配そうな顔が目前にある。カイはソラの涙を手で拭う。
「武尊、あの霊は?」
玲央が武尊へ問う。
「まだソラちゃんの中にいる。またいつ出てくるか分からない状態だ。今は、カイがソラちゃんの意識を引き出したみたいだけど。霊に何がしたいのか、ちゃんと話を聞いてみよう」
お座敷に座るソラ。
武尊にはその隣に座る女性が見えている。
ソラは頭がぼーっとしている。武尊いわく、霊はまだ繋がった状態らしい。自分が自分じゃなくなる感覚に、心が落ち着かず、無意識に隣のカイの服を握っているソラ。カイはそのままにさせている。
「あなたはかつての婚約者の桜さんですか?」
武尊が訊ねる。
『そうです。私は婚約者をずっと探していました』
思考が流れ込む。武尊と、繋がっているソラにも聞こえているだろう。
『婚約者はあの人、私はあの方と一緒になりたい』
「一緒に、とは?」
『婚礼を挙げたいのです。夢見た景色です』
「あなたの婚約者は既に亡くなっている。なぜ玲央を婚約者だと思われるのですか?」
『かつての私の婚約者に似ているのです』
「桜さんの気持ちはとても伝わってきます。しかし、婚礼を挙げることはできません」
武尊が桜へ伝える。
『そうですか。すみません。久しぶりに婚約者に会えたと思ったら感情が制御できませんでした。この女の子にも負担をかけてしまいました』
苦笑する桜。とても悲しそうだ。
武尊はニッコリ微笑む。
「いずれ成長したら、あなたが望む婚礼を見られると思いますよ」
『え?』
「橘家の子孫は、この玲央だけじゃないですからね」
そう言って武尊は、カイとソラを見た。
桜ははっとした顔をし、微笑む。
『そうですか。では、もう少しだけ待とうと思います』
そう言うと桜はすっと消えた。
ソラは我にかえる。
「ソラちゃん大丈夫? 霊は離れたよ」
武尊が声をかける。
「はい。何だか靄が晴れました」
「ほんと? もう平気?」
カイがソラの顔を見る。距離の近さに怯むソラ。
「えっと……」
下を向くと、カイの服を握ったままの自分の手が見えた。
私、もしかしてずっと?
ソラはそれが分かって赤面する。慌てて手を離す。強く握っていたからか、服の一部がシワになっている。
「すみません! シワになっちゃった……」
慌てるソラの手を取るカイ。
「気にしないで。体大丈夫? 疲れてない?」
「大丈夫です」
グー……
お腹の音が聞こえた。
「ふふ、お腹空いた?」
カイが笑う。
「う……空きました」
ソラが照れて答える。
そんなやり取りを、微笑ましく見守る玲央と武尊。桜の木もさわさわ揺れていた。
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