(貧)NEW GENERATION 第20話 比入ひのでの追及
比入ひのでは、合い鍵を持っている。
かつて住んでいたマンションだ。何度も使ったそれを、エントランスの鍵穴にさし込んだ。
二人きりでエレベーターに乗る。
ひのでは、父親に何と言ってやろうかと考え込んでいて無言で、カクシコは緊張から黙り込んでいた。
ずいぶん久しぶりに扉を開き、ひのでは慣れた手つきで廊下に電気を灯した。
リビングまで行くと、これまた慣れた様子でお茶を淹れ始めた。
カクシコは、自分が暮らしている家なのに、借りてきた猫のようにおとなしかった。
椅子に向かい合って座り、しばらく無言のまま、二人で茶をすすっていると、ほどなくして玄関の扉が開く音がした。
父は、玄関に二人分の革靴があるのをみながら靴を脱ぎ、「珍しい。友達かな」と呟いた。
リビングに続く扉を開くと、父の視界には、娘が一人、座っていた。
「ひ、ひので! ひのでじゃないか!」
「おうパパ、元気だった?」
「相変わらずいい貧乳だ」
「あーはいはい。でしょでしょ」
軽く流したひのでは、「それより……」と言いながら、テーブルの下に潜り込んだ姉を軽く蹴飛ばした。
隠れていたカクシコが、のそのそと這い出てきた。顔を出した。初めて見る父の醜態に戸惑いながら、
「おとうさん。今のなに? い、いい貧乳……とか、ひとりで盛り上がって……」
「ああっ、カクシコ。いるのがわかってたはずなのに、つい、俺としたことが、本性を露呈してしまったぁ!」
「いいんじゃねえの? 腹割って話せばさ」とひので。
「さては、ひので。パパを罠にかけたのか? パパの本性がカクシコに知られたら、嫌われてしまうぞ。娘に嫌われたくない」
「別に普通にしてたら大丈夫っしょ。半端なことしてっから、嫌われるんよ」
「それは……そうかもしれんな」
比入ひのでは、ぐぬぬと喉を鳴らす父を指差し、カクシコに語り掛ける。
「ね? 大丈夫っしょ?」
ひのでがへらへらと笑いながら放った言葉に、大平野好史は大きな違和感をおぼえた。
なぜなのかと記憶をたどり、やがて好史は思い出す。ひのでと一緒に暮らしていた頃、ある先輩と仲が悪くなったと父親に愚痴をこぼしていた。
父親も、ひのでから聞いた先輩の行動に憤りを抱いたため、印象に残っていた。その先輩こそが、大平野カクシコという名であった。
大平野という名字が同じだったことについては、当時はさほど気に成らなかった。珍しいこともあるものだくらいで済ませていた。しかし、数か月後に、それが偶然でないことを知ったのだった。
それはともかくとして、好史は娘に語りかける。
「お前たち、仲悪かったはずじゃあ。以前ひのでが、カクシコのことをボロクソに言ってたはずだが」
「それ、部が分裂した一瞬だけでしょ。カクシコ先輩が胸盛りはじめたって話したら、パパも一緒になって怒ってたときね」
「そうだ。あの時は、ひのでの友達が不良になってしまったと思って心配したものだが、仲直りしたなら安心だ。たしかに、カクシコが胸を盛る姿なんぞ、滅多に見ないからな。片手で数えるほどしか見たことがない」
「カクシコ先輩さあ、家では抜いてんの? パッド」
「まあ……基本的には。ときどき外し忘れるけど……。父さんが悲しい顔するから」
「っかー、優しいねえ、カクシコ先輩は!」
「そんなこと……」
「めっちゃ猫かぶってんだね。普段はオホホ系なのに」
「ちょっ、やめてよっ」
「たはは、ごめんごめん」
娘たちの自然な会話ペースにはついていけなかった好史だが、そのなかで一つのワードが彼の心に強く刺さった。
「おい、ひので、さっき聞き捨てならない言葉がきこえてきたんだが」
「なーに? パパ」
「カクシコは、いつも外では、常に、パッドを入れて胸を盛り続けているのか? 今しか楽しめないその美しい貧乳を! ほとんどの時間、隠してしまっているというのか!」
カクシコは俯き、ひのでは怒った。
「そうだけど? 娘がパパの思い通りになるとか思うなよ?」
「くっ、ママが言いそうな言葉だ。かなしい」
「それよりさあ、パパさあ、やっちまったなー」
「なんのことだ」
「カクシコ先輩って、パパの隠し子なんだろ?」
「いっ、いや、ひので。待ってくれ。信じて欲しい。身に覚えがないんだ。本当だ」
「なに言ってんの。知らぬ存ぜぬで通せるとでも? カクシコ先輩がウチの姉貴だってのは、確定してんでしょ」
「血縁的には……ああ、それは、間違いない」
「じゃあ、やっちゃってんじゃん」
「詳しくは話せない。だが、本当に信じてくれ。ひのでのお母さんに対して後ろ暗いことなんか一つも無いんだ! 今でも史上最高に愛してる! 誤解なんだよ!」
「それさあ、ママにも同じこと言えんの?」
「言ったら高所から突き落とされたわけで」
「あーね、びびった。あんなことするんだって。死んだかと思ったもん」
「普通の人は死ぬんだ、あれは。俺が丈夫にできてるだけだ」
「たしかに。パパは怪我とか、すぐ治るもんね」
「そうだ。それをいいことに、昔なんか、もっとひどかったんだぞ。毎日ばきばきのボコボコだった。それはそれで嬉しかったものだがな。ひのでが産まれてくれた頃からだな、すごく優しくなったんだ。本当に幸せな日々だった」
「で、その幸せを不倫でぶちこわしたと」
「だから、ちがうんだって」
「パパのせいだろ。カクシコ先輩だってめっちゃ辛い思いをしてんだよ。納得いくように説明しろよな」
「やってないんだ。それでも。俺は」
「だってさ、カクシコ先輩。どう思う?」
急に話をふられたカクシコは、視線を左右に揺らしながら、
「えっ、どうって……」
「ウチがいるんだから、勇気出して何でもきいてみ」
そして、カクシコが絞り出したのは、
「……お父さんは、あたしのお母さんと、ひのでのお母さん、どっちが好きなの?」
父は全く悩まずに、「正直に答えていいか」と返した。
二人が、「うん」と声を揃えて頷くと、父は力強く言った。
「ひのでの母さんだ。大平野氷雨だ」
「残念。もう離婚で苗字かわって比入氷雨なんだよなぁ。てか、ママって昔から比入氷雨としか名乗ってなかったし、大平野氷雨だった時なんて、一瞬たりともないんじゃね?」
「悲しいことを言うなよぉ……」
「でも実際さ、たぶんだけど、ママはパパのことまだ好きだよ。毎日のようにパパの話してくるし」
比入ひのでは、嘘は言っていない。ただ、そのパパの話というものの大半は、だいたい悪口である。我慢できないほどの不満があふれ出しているばかりのため、普通の人がみたら恨んでいるとさえ思うほどだろう。
「なに、俺の話を? それは本当か?」
好史は勢いよく椅子に座り、前のめりになった。
ひのでは頷き、
「まあね。だから、ちゃんとウチらに納得できるような事情があるならさ、それ教えてくれたら仲直りもできるっしょ。ウチから話せば、氷雨ママも耳を傾けてくれると思うし」
「なるほど、一理あるか……」
「でしょ。ほら、言って。パパの隠し事。どんな話だって、ウチらは受け止めてあげるから」
「ひので……。わかった。そこまで言うなら、話そう。パパも勇気を出す時だ」
「うんうん。言ってみ言ってみ」
「実は、カクシコの本当の父親は……別の時空の俺なんだ」
「は? ふざけんなし」
「おい、なんでも受け止めるって……」
ひのでは椅子から立ち上がり、カクシコの手を掴んだ。そしてそのまま引っ張っていく。
「いこっ、カクシコ先輩。こんな誠実さのカケラもない男の近くにいたら、元気なんか出ないよ! 先輩の居場所は、ウチらのところなんだから」
「ちょ、ちょっとまて、ひので。本当なんだ。紛れもない真実なんだ。今の俺は誠実の塊になっているというのに、なぜ信じてくれないんだ!」
「いまのはさあ、素直にやっちまったことを認める場面だろ! 姑息な脊髄反射で自分を守ろうとしてんじゃねーよ!」
「本当なんだぁ!」
必死な父の叫び。
そのマジなトーンが耳に届いた時、カクシコはひのでの手を振り払っていた。
「どしたの、カクシコ先輩」
「待って。もう少し……話がしたい」
震えた小さな声だった。
「あー……先輩がそう言うなら」
弁解の機会が生まれたことで、父は安心した優しい声で言う。
「腹減ってないか。夕飯、いっしょにどうだ?」




