(貧)NEW GENERATION 第12話 比入ひのでの相談
朝の通学路。板橋まなまは、ポニーテールを揺らしながら歩く背中を見つけるなり、横に並んで声を掛けた。
「ひーので。おはよ」
「あー……おはようございます先輩」
「あら、なんだか元気ないわね。ギャルのくせに。どうしたの?」
「どうもこうも、もう、どうにもならないっす」
「テスト勉強できなかった?」
「鋭いっすね。その通りっす」
「ひのでは、成績どうなんだっけ」
「平たいっすね。この胸のように」
「でも、結果はともかく、見かけによらず、ちゃんと真面目に勉強するタイプのはずよね? 何かあったの?」
「うーん、説明しづらいなあ。てか、まなま先輩なんかに言ってもなぁ」
「ちょっと、なんなのあんた。悩むの勝手だけど、あたしをモヤモヤさせにくるの、やめなさいよ」
「とにかく、なんかもう嫌になっちまいましたよ。テストも、高校生活も、何もかも。もうどうとでもしてくれって感じっす」
自分では解決が困難な問題に対し、本格的に悩んでいるようだった。
「そういう時の慣用句あったわよね。たしか、まな板の中のまな板、だっけ?」
「え、それ部長のことじゃないっすかぁ」
「あー、そうだね」
「まな板の上に載せられるのは、おさかなじゃなかったっすかね。鯉とかフナとかそういうの」
「うんうん、そうだね……。ん? そうだね?」
「どうしたんすか?」
「いまさあ、まな板の中の……まな板? とか言った?」
「ええ言いましたね。部長のことですね。まな板オブまな板で、のびしろしかない。ピッタリです」
「売ってる? ケンカ」
「いやぁ尊敬してんすよ。部長ほどの高級まな板、なかなか貴重ですから」
「定期テスト直前じゃなきゃ殴ってるとこよ」
「いっそ、思い切りぶん殴ってもらったほうが、何もかも忘れられていいのかもしれないっすね……」
「……思ったよりずいぶん悩んでるみたいだけど、まあ、とりあえずさ、そんな下ばっか見てないで、胸を張って頑張ってこう」
「張っても胸のない人に言われてもなあ」
「あんた何なの。八つ当たり?」
「そっすね。テスト期間終わったあとでいいんで、相談のってほしいっす」
通学路、街路樹の向こうに広がる空を見つめる比入ひので。
その寝不足で寂しげな横顔を見たとき、板橋まなまは、軽い気持ちで、首を突っ込むことに決めた。
★
数日後の部室。相変わらずの倉庫のような部屋に、板橋まなまが溜息を吐きながら入って来た。
室内には、すでに比入ひのでがいた。だるそうに長机に頬杖をつき、一人しずかに座っていた。
ひのでは部長の来室に気付くと、部長のいる扉のほうに視線を向けた。
「あっれ、部長、どうしたんすか。テストの自己採点結果が終わってたとかですか? 成績が平たいのはいつものことだと思うんですけど」
「ちがうわよ。てか、ひので。あんたねえ、悩んでるんじゃなかったの? 放課後に相談乗って欲しいですってメッセージ送って来た人とは思えない言動なんだけど、誰かと魂でも入れ替わった?」
「あー、いっそ、ミユルあたりと入れ替わって楽しく過ごすのもいいっすね」
「たしかに。ミユル、いつも薄っすら笑ってるもんね」
「悩みなんかなさそうでいいなって時々思うんすよね」
「けど、悩みがなかったら胸を盛ったりしないでしょ」
「……たしかに」
「それで、ひのでは、こないだから何をそんなに悩んでるの?」
「その前に、部長の溜息の理由をきいていいすか?」
「なんでよ」
「いやあ、さっき悩まし気に部屋に入って来ましたし、部長の悩みのほうが深刻だったら、なんか相談しづらいじゃないっすか」
「わたしの話をきいてから相談するかどうか決めるって話ね。むしろ、その程度ってことは、ひのでの悩みって、そんな深刻でもないのかしら……」
そして部長は悔しそうに語る。
「残念なお知らせを受けてね」
「何すかそれ。推しのアイドルがグループ卒業でもしたんすか?」
「それは深刻すぎ。さすがにそこまでじゃないわよ」
「じゃあ何なんすか?」
「今月も部活として認可は下りなかったので、同好会扱いだってさ」
「三人分の胸サイズだと足りないってこと?」
「それ以前の問題って言われたわ。理不尽なことって、あるものね」
「いやまあ、妥当かなあ」
「乳を育てたい。その活動を部活として行いたい。部費で育乳グッズとか買い漁りたい! なぜそれがわからない!」
「先生たちが巨乳だからっすかねえ」
「ひどい差別よ! しいたげられてる!」
「いや、やっぱ妥当かなあ」
「それで? ひのでの悩みって何なの?」
「実は……」
「待って。言われなくても分かってるわ。ひので、貧乳って、つらいわよね」
「部長はそうかもですけど」
「貧乳が恥ずかし過ぎて、校則違反と知りながら髪を染める不良娘になってしまったことに、今更ながら違和感をおぼえているのよね」
「いやいや、ウチの場合はいろいろ言われるのがめんどいから、髪を染めることで胸に注目されにくいように対策してるだけだし。そもそも全然恥ずかしくないし」
「うらやましいメンタル!」
「てか、ウチが胸をばかにされてウチが落ち込むと、パパが怒るのがガチでめんどかっただけっす」
「そうなんだ」
「だからまあ、ウチのオレンジ染めはただの親孝行っすから。ほんと、部長も堂々としたらいいんすよ。胸がどうあれ、胸を張って生きたらいいんすよ。貧乳だからって卑屈になることなんて、全然ないんすよ」
「じゃあ、悩みはないってこと?」
「なんすかそれ。部長の頭には貧乳のことしかないんすか?」
「あっ、まさか、あいつらみたいに胸を盛ろうってんじゃないでしょうね。それだけは許されないわよ?」
「しないし。そんなの。チチが悲しむし。髪染めで充分だし。何度言わせんの」
「でも貧乳に目を向けさせないための作戦だなんて、同じように髪染めてる子に対するひどい風評被害を生みかねないわね」
「そんなん気にする人、ひどい少数派っすよ」
「でも、ひので自身、気になっちゃってるから髪染めてるのよね」
「だから、ウチはそこまででもないですけど、問題は親なんすよ。実は、貧乳をステルスさせるための色んな工夫は、ママの教えっす」
「遺伝なのね、貧乳は」
「あとパパの教えでもあるっす。胸そのものをごまかすと、この世の終わりみたいに悲しむんすよ」
「ご両親の貧乳に対する熱心な教育姿勢。感心ね。貧入観が合ってるみたいだし、仲の良い家庭だったのね」
「絶対それはないっすねー。家は暴力が絶えなくて。いつもママがパパを殴ってたし」
「ちょ、え、殴っ……大丈夫? やばすぎない?」
「いっちゃんヒドかったのは、窓から蹴り落とした時かな」
「ひのでの家、マンションよね?」
「六階」
「……」
「その日から離婚への道がね、はじまったね」
「その……きいていいかわかんないけど、ケンカの原因は何だったの?」
「パパの浮気だって。パパは否定してたんだけど隠し子の存在が、その、バレちゃって……」
「うーわ……」
「しかも、その隠し子っていうのが……」
突然、勢いよく扉が開いた。大平野カクシコが満面の笑みを浮かべ、腕組をして立っていた。
「ざまあないわね、あなたたち! 今年も部活として認めてもらえなかったそうじゃない!」
「お前らもだろ、と言いたいとこだけど、いまちょっと大事な話してるから帰れ」
「はぁ? なによそれ」
そのとき、不意に比入ひのでが立ち上がってカクシコの前に立つと、カクシコの腕を掴んだ。
「ちょうどよかった。最近判明したんですけど、この人が、うちの姉貴の大平野カクシコさんです。パパと住んでます」
「えっ、じゃあカクシコって、まじで隠し子だったんか。名前が隠す気なさすぎでしょ。あんたたちのお父さん大丈夫?」
「え、ちょっと、何の話してんの? は? 隠し子?」
「要は、カクシコ先輩の存在が、うちの悩みそのものなんすよ」
「……わけわかんないけど、とりあえず、そんな言い方ってなくない? いなくなれってこと?」
「そんな寂しいこと言ってないっす。寂しいのは胸だけにしてください」
「なっ、ひのでに言われたくないんだけど!」
「ハハッ、たしかに。ウチも自分でそう思う件」
「いや、でも待って。えっ、あたし、隠し子だったの?」
「そっすね。母親の方針で、ウチは母親の名字で育てられてきてたんで、パパが『大平野』とかいう、貧乳的に不吉な名字だったことも最近知ったんすよ」
「だっ、だとしたら、急に一緒に住むことになったお父さんって、ひのでの……」
「それウチのパパでもあるっす」
「……うそ。うそうそ! そっ、そうやって、寄ってたかって、あたしをドッキリにハメようとしてるのかしらね! その手には乗らないんだから!」
突然に突き付けられた事実に混乱し、動揺し、思考停止の涙を瞳に溜めながら、大平野カクシコは勢いよく地面を蹴り、廊下を走り去っていった。
倉庫のような部室には、静寂だけが残された。
聞いちゃいけない話を聞いてしまったと部長は後悔した。悩み相談に乗ったって、ロクなことにはならないなと心底思った。




