01。
それから、また、時が経った。
僕は母さんのお姉さんの家で養ってもらうことになった。
僕にとっては伯母さんに当たる。志保さん経由での話し合いが進んで、無事に引き取られることが決まった。以前は母さん自身も連絡を取り合っていたらしいんだけど、今はもう、母さんはそんなことのできる容態ではない。
──『借金返済のこととか、海難事故とか、色々とあったからね……。いいですよ、よろしくねって、尚人くんにも伝えておいてください』
最終的にはそんな返事が返ってきたと、志保さんが教えてくれた。
伯母さん一家の家があるのは、本州の府中市という町だと聞いた。本州の景色を本やテレビやインターネットでしか見聞きしたことのなかった僕にとって、そこが未知の世界であったことは言うまでもなかった。
東京都の本州側には、一千万人もの人が住んでいる。八丈島の二千倍弱もの人波の中で、僕はいったい、どう生きることになるんだろうか。そんな哲学的なこと考えても仕方ないだろって、稜太には笑われたな。……下らないと思って笑いの材料にしてもらえただけで嬉しく感じてしまったのは、稜太とのそれまでの日々があったからだと思う。
もともと場所にこだわりはなかったというので、稜太の転出先も僕と同じ府中市に決まった。志保さんの再就職先になる病院の目処は、その時点である程度、ついていたそうだ。
亡くなった葉一さんの所属していた弁護士事務所は、新宿という街にあったようだ。晴菜たちの住まいも、以前はその新宿に建っていた。府中市からは電車で一本なので、僕や稜太にはいつでも会いにやって来ることができると言われた。
来るべき新天地での問題をひとつひとつ、確実に片付けながら、僕はふたたび母さんの病室に通うようになった。母さんからの反応が弱くなっても、できるだけ他愛のない話で笑顔を浮かべているようにした。
もう、それは“恩返し”という名目ではなかった。
『僕に恩を与えてくれた人』ではなく、『病に苦しむ僕の母親』に、幸せになってもらうため。
苦しみや悩みや不安を忘れてもらうため。
僕はきちんと生きているよ、だから心配しすぎないでいいんだよと、この身をもって伝えるため。
僕が息をしているだけで、母さんは喜んでくれる。母さんのために何かをするということは、いつしか僕の生き甲斐ではなくなってしまった。それでもよかった。生き甲斐と呼べるものが見当たらなくても、僕の周りにはみんながいる。僕には生きていくべき理由がある。それで十分なんだと、ようやく思えるようになった。
口には出さなかったけれど、母さんもそのことをずっと、願っていたのかもしれない。
そして。
二週間ほどの時間が経った、ある晴れた日の夕方。
母さんはとうとう、眠るように、沈むように、息を引き取った。
享年、三十七歳。言い渡された余命は現実のものとなり、宣告から一か月と少しが経過していた。
苦しむ様子のない、眠るような死だったという。病院からの連絡で学校を飛び出して、病室へ駆け込んだ。見慣れない白い布の存在に怯んでしまったけれど、恐る恐る、それをめくった。
穏やかな笑みの浮かんだその頬には、深い、長いしわが、いくつも走っていた。
まるで、報われることの少ない、悲しいことや苦しいことばかりだったその人生を象徴するように。
泣きたくなるのを必死にこらえて、呼びかけた。ありがとう、お疲れさま。彼岸でもゆっくり休んでね、って。
不思議だね。
頬のしわがその一瞬──本当に一瞬だけ、微笑みのように見えたんだから。
◆
──『私たち、二人になっちゃった』
僕の幼かった頃の記憶は、いつか母さんの口にした、そんな言葉から始まっている。
いつの言葉だったのか、どんな場面だったのか、状況はちっとも思い出せない。ただ、細かな震えを帯びた腕の中、そっと抱かれて聞いたあの声は、くぐもっていて、湿り気に満ちていて。
なんだか潮の匂いがした。
あの香りと声とが合わさって、僕の“ふるさと”を作っている──。今でも心から、そう思う。
あたたかな黒潮の波間に浮かぶ、太平洋上の孤島、八丈島。
離れて一年以上の月日が経った今も、あの島の方角を見つめるたび、ふっと懐かしくなって目を細めてしまう。海に行けばいつも、ああ、この海は僕の生まれた場所と繋がっているんだと、無性に柔らかな気持ちになる。
海は僕のルーツで、父さんと母さんの眠る場所だ。
船乗りだった父さん・祐と、パート勤務を転々と繰り返していた母さん・実乃里は、あの島で生まれ育った人間ではない。僕が産まれる何年も前に、本州から八丈島に移ってきた人たちだった。その二人も、もう、この世にはいない。間に生まれ落ちた僕も、今は島から遠く隔てられた世界を生きている。
それでも、僕は孤独じゃない。学校に行けば友達がいる。家に帰れば伯母さんたちがいる。
身体の都合で子どもを授かることのできなかったという伯母さん夫婦は、僕のことを温かく迎え入れ、大切に育てると誓ってくれた。血の繋がりのないのを気に留めないばかりか、僕に世話を焼くのが楽しくて仕方ないようで、それを見ていると僕も少し、安心できた。ここにいてもいいんだと、心の髄から思える。
稜太とは今も親友だ。暇な時間があれば遊びに行くし、どんなことだって相談できる仲でいられている。きっと本人にはとてつもなく感じられたであろう努力を重ね、いじめられる恐怖を拭い去り、稜太は元気に再起動した。稜太の親友で居続けられたことは、僕の数少ない誇りのひとつだ。
晴菜とはそれからも色々あって、付き合う関係になった。他の人からの好意を受け取る経験がなかったばかりに、晴菜には長いこと、寂しい想いをさせてしまったなって思う。でも、晴菜が僕のことを『三根くん』ではなく『ナオくん』と呼んでくれるようになるまでにも時間がかかったのだから、お相子だと思いたい。
母さんの主治医だった小岩戸先生の紹介もあって、志保さんは無事、府中市内の大きな病院に再就職を遂げた。八丈島署に単身赴任することになった晴菜のお父さんからは、息災を伝える便りが今も届き続けている。
他人と言葉や心を交えるのを恐れることもなく、温かな世界の中で僕は明日を生きている。誰でもない、僕自身のために。そして僕の周りを囲んでくれる人たちのために。
──昔はそうではなかった。母さんの笑顔を世界の中心に据えていた頃の僕には、自分をいたわりたいと嘆く自分の声も、そばにいたいと訴える誰かの声も受け付けることができなかった。本当に、脆かった。
命を投げ打ってでも目的を遂げようとするような無茶は、二度としないって決めた。それは結局、本当の意味で相手のためにならないのだと、母さんはその命を懸けてまで教えてくれたのだと思う。
だから、大丈夫。
僕はもう、己の生き方を見失ったりはしないよ。
もしも母さんに言葉をかける機会を与えてもらえるのなら、心配しないでいいよと胸を張って言いたい。でも、それは母さんの望む言葉ではないだろうから、少し悩んでこう言うのかな。
『安心して見守っていてね』って。
きっと僕はこの先、どこでどんな人生を送ろうとも、絶海の八丈島で送ってきた日々のことを忘れられはしない。逃れることはできないだろう。
もしかするとこれから先、長い人生の中で、懐かしい姿かたちの悪夢にふたたび苦しめられる日が来るのかもしれない。
そんな時にも僕は、僕の生きてきた道を否定してしまいたくない。
だから、何があっても忘れないように、こうして記しておこうと思う。
あの時、僕らが何のために、誰のために生き、泣き、笑っていたのかを。
“恩”ではない──。
返してあげたいと願った“想い”のカケラが、間違いなく、そこにあったことを。