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84 ーのんびりー

 何ともヒステリックな女性だ。声は少し若いように思えたが、こちらの結婚年齢が若いことを鑑みると、実際若い女性なのだろう。


「あれがおっかない奥さんか。確かに怖いわ」

 しかも内大臣の娘とか。大臣ときたらさすがに高位だろう。皇帝の妃を狙っていたのも納得できる。

「誰の贈り物だったのかなー」


 職の任を解くと言うならば、王宮で働いている者のことだろう。それの任を、恐らく父親の力で解いてやると言うことだ。

 それは素晴らしい職権乱用だ。しかも娘がである。安物を送ってきたと言うだけで、クビにすると言い切れるとは。

 あれがヘキ卿の奥様で、普通に言うのだ。わたくしが皇帝の妻になる者、と。


「あれは、気分悪いな」

「何が?」

「うわっ!」

 頭の上から声が届いて、理音は飛び退いた。庭に面した窓の中で頬杖をついている男は、髪をさらりと垂らして顔を傾ける。

「ヘキ卿…」

 この人、いつもあちこちうろうろして、ごろごろしているのだろうか。

 今日は昨日とは違う場所である。あの部屋がどこの部屋に位置するかは覚えていなかったが、今いるこの部屋も、ヘキ卿以外に誰もいなそうだった。


「何か、いい音してたね。何かあったのかな」

 部屋は離れていたが、あれだけ叫んでいれば随分響くだろう。外にもよく通って聞こえた。窓を開けていれば気づく。

「奥様が、扇をへし折ってました」

「ああ、そう。それはお怒りだね」

 それだけでいいのか。感想はそれだけでいいのか。他に言うことないのか。

「庭に投げ捨ててましたよ」

「そう。困ったねえ」

 実に全く困っていなそうである。

「誰かからの贈り物がお安かったみたいで、壊して踏んづけてました。わたくし内大臣の娘よって、大絶叫されて」

「それはそれは」

 ヘキ卿は興味がないのだろう。のんびりと答えると、窓に座り込み、そこから足を投げ出した。


 夫婦でも夫婦ではない。

 嫁ぐ嫁がないは、彼らの意思に関わりがないのと同じく、心も通じないのだ。

 無論、あの相手ではどうにもできないだろうが。


「文句言ったりしないんですか。あんな言い草」

 大声で皇帝の妻になる者。である。

 ヘキ卿の屋敷で、働く者たちがいる前でだ。


「言っても、虚しいだけだよ」

「じゃあ、離婚しちゃえばいいのに。あんなの、何ですか、あれ。わたくし内大臣の娘って、何だそれ。お前は何にもしてないだろうがって」

 ただ娘として生まれてきただけで何もしていないくせに、何を偉そうにである。

「それは、私もだからねえ」

「だったら、ちゃんと働けばいいじゃないですか。言わせとくだけなんて、腹立たないんですか。今聞いてただけで、私すごい腹立ちましたけど」

 馬鹿にされるのに慣れすぎだ。ならば鼻を明かしてやればいいのに。なぜ放置しておくのだろう。

「リオンは、…皇帝陛下に似ていらっしゃるね」

「え?フォーエ、皇帝に、私がですか?」

「そうだよ。皇帝陛下がよく私に言われる。その身に合った働きを見せよと。見せねば価値のない者だと」

「わぁ」

 フォーエンならば蔑んで言うだろう。むしろお前できないんだろうな。ぐらい思って言ってそうである。


「言われたんなら、ちゃんと王宮行けばいいのに。ちゃんとやる子には、ちゃんと褒めてくれますよ」

 褒められたことはないが、しっかり学べば怒られたりはしない。殴られたりも。

「そうだね。けれど、私は働けないんだよ」

 働けない。

 体調とか悪いのだろうか。遊んでばかりと言う話だが。ごろごろしているのは、体調が悪いからだからだろうか。

「私が真面目に働くと、奥にとっては都合がいいからね」

 奥さんに都合よくなる。つまり都合よくなりたくないから、働きたくない。

「えーと、奥さんに都合よくなっちゃ困ったとしても、ヘキ卿にもすごく都合悪くなっちゃうじゃないですか、働かなかったら」

「そうだねえ」

 ヘキ卿はのんびり答えた。

 よくわからない反応だ。


「ヘキ卿が頑張って働いちゃったら、どう都合よくなっちゃうんですか?」

「そうだねえ」

 何が、そうだねえ。なのだろうか。ヘキ卿はそれを呟いたあと、言葉を止めてしまった。

 話したくないのだろうか。


 間を置くと、思い出したように別の話をし始めた。やはり聞かれたくないことだったようだ。

「皇帝陛下はね、滅びを恐れない方なんだよ」

「は?」

 唐突な話が出てきた。あまりに突飛すぎて、大きく眉を八の字にしてしまった。

「私はそれが理解できなくてね。なぜそこまで強いお心をお持ちになれるのか、不思議に思った」

「はあ」

「けれど、皇帝陛下は仰られるんだよ。滅ぼされる前に、滅ぼしてやろうと。何が現れようと、それを勝るものを手に入れれば良い。滅びが近付くならば、側にいようと抗うだろうと」

「何かの比喩ですか?皇帝はつまり、とりあえず様子見て、隙を狙え、って言われたんですか?」


 フォーエンが敵を倒すならば、やりそうな手である。仲間のふりをしたりはしないだろうが、戦う前に細部まで観察し、弱点をついて的確に殺しそうだ。

「何で、そんなお話を?」

 そもそも、フォーエンがそんな話を他人にするなんて、何だか不思議な話だ。殺るなら黙って殺りそうな男である。フォーエンはヘキ卿に牽制でもしたかったのだろうか。


 ヘキ卿は、ゆるやかに、懐かしそうに笑んだ。

「働けって言われただけだよ」

 いや、それ、微笑んで言う話と違うと思う。


 話からすると、ヘキ卿には働けない理由があり、それをフォーエンも知っているのだろう。そして、それに抗えと言ったのだろうか。


「当然だと思いますけど。何も考えないで我慢したって、体調悪くなるだけですよ」

 殊にフォーエンは、我慢をすればするほど、眉間に大きなシワが刻まれることだろう。

 そうならないためにも、できることをやって、それでもダメならまた考えて、と行いそうだ。何せ努力することを強制する男である。当然のように押し付ける男だ。本人も自分自身のために行うことだろう。

 そうであればきっと、そうやって乗り越えていくくらいの気概は、彼にはある。


「最初から諦めたって、仕方ないじゃない。何もしないで後悔するなら、やって後悔した方がずっとよくないですか?皇帝なら、そう言うと思いますけど」

 フォーエンなら緻密に考えて、失敗しそうな粗は全て潰してから動きそうであるが。

 それでも問題を放置し、あまつ黙っていることは、まずないだろう。

「皇帝だったら、お前は一体何をしたか!って、言いますよ」

 勇気が出なくて、行動に移せないことなど多くあるだろう。けれど失敗を恐れて拱いていれば、時間が過ぎるばかりなのだ。それが過ぎれば、必ず後悔する。やってしまえば、やれなかった時間を恨むこともない。

「失敗したらやだなとか、怖いなとか思いますよ。でも、やんなかったことは、ずっと残りますからね?何で、あの時、やらなかったのかって」

「リオンは、本当に皇帝陛下と同じことを言う」

 フォーエンも同じはずだ。彼は常に戦っている。


「ヘキ卿は?やりたいことないんですか?ごろごろしてたら、すぐおじいちゃんになっちゃいますよ!」

「そうだね…」

 ヘキ卿は答える気がないらしい。何か問題があっても、長く放置して来た過去が見えるようだった。

 きっと、今までずっと、実際に問題を放置してきたのだろう。


「そうだね。ってそれでいいならいいですけど。無気力すぎて、何もしないままなら、自分が惨めになるだけじゃないですか?私なら、そんな人生お断りですけど!」

 言って思った。あれ、言いすぎた?

 うっすらと、堪忍袋の尾が切れていたようだ。つまり、イラっとした。何うだうだしてんだ。この男。

 けれど、一応この屋敷の主人である。


 ヘキ卿はぽかんと口を開けた。

 瞬間、脳裏に浮かんだ。あれ、もうクビ?

 バイトでだって、こんな最速でクビになったことないのに。


 ヘキ卿は、開いた口を閉じて、けれどまた口を開けた。まさかの掃除婦に説教されて、完全に唖然としている。

 ああ、すみません。短気で。


「そ、ゆーわけで、誰か相談できる人とかに、まずは相談されるとよいかと思われます。失礼します」


 一応頭は下げる。下げてから、ダッシュで逃げた。

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