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82 ーヘキ卿ー

 さて、やる気にみなぎったまま目が覚めて、理音は掃除道具を持って屋敷内をうろついていた。


 指示された掃除場所ではないが、迷子になったとでも言うので気にしない。

 衛兵はもちろんいて、通れない場所はいくつかあった。だが掃除用具を持っていると、案外どこにでも入れるのに驚いた。そこまで警備に気を遣っていないのがわかる。

 そうなると、逆に怪しくなさすぎて困るのだが。


「行ってないとこ、どこだろ」

 意外に迷子になりつつある。

 広すぎて似た間取りも多く、作りも似ているので、庭に面していれば場所はわかるが、中に入ると方向感覚がなくなりそうになった。

 お屋敷で迷子になると嘘をつく気だったが、これは本当になるだろう。

「やば。誰かに聞こっかな」


 武器や食材を保管しておくとして、一体どこへ保管するだろうか。とりあえず、ヘキ卿が住まう棟や奥様方がいる棟に保管はしないだろう。倉庫としている場所を探さねばならない。無論、堂々と保管したりはしないと思われる。

 搬入は裏からだろう。人目のつかない倉庫、あれば地下倉庫。もしくは部屋の訪れない場所を倉庫としているとしたら、屋敷の奥に運ぶだろうか。


「日本のお城ってどうなのかなー。行ったことないからわからん」

 ナラカに聞いておけばよかった。

 お屋敷の常識として、どの辺りに武器を置くのか。

 屋敷によって違ければ、それはそれでだが。

「このお屋敷、人が少ないから、もう聞けないっていう」

 大尉のところに比べて屋敷が広いのに、人がいない。

 一体どう言うことなのだろう。部屋がいくつも空いているのも気になる。

 まるで無人の屋敷と勘違いしそうなくらい、人がいないのだから。



「どうかしたの?」

 聞いた声に振り向くと、聞ける人がいた。

 のんびり歩いてこちらに近づいてくる。

「ヘキ卿!申し訳ありません。ここどこですか」

 真剣に聞いただけだ。理音が聞くと、ヘキ卿はキョトンとして、すぐさま弾けるように笑ってくれた。その笑いはしばらく続いたのである。


「迷子になっちゃったの?」

「人に聞こうかと思ったんですけど、誰もいなくて」

「この屋敷、人いないからね」

「広いから会わないんじゃなくて、働いてる人が少ないんですか?」

 皇族なのに。屋敷はだだっ広いのにである。

「私は出世することないし、先のない家に働きに来ても仕方ないからね」

「何ですか、それ?」


 出世はしない。それはそうだろう。働きに行っていない。ふらふら家にいる。いてもごろごろしている。それは出世できないわけだが。

「でも、お子さんとかいるわけだし、お子さんとかが出世したりとか。その前に皇族なのに、働きに来たくないような感じなブラック企業?」

「ぶらっくきぎょう?」

「いえ、独り言。ヘキ卿は何でごろごろしてんですか。働くの嫌なんですか?働かなかったら、そりゃ出世はないでしょうが」

 きっぱり言うと、ヘキ卿はやはり堪えるように笑った。

 笑える話をしているつもりはないのだが。


「リオン、面白いねえ。あのねえ、私はこれ以上、上には上がれないんだよ。元皇帝の弟の孫にはね、隠居みたいに役柄がつけられて、それだけなんだよ。だから、私がいてもいなくても同じなんだ」

 ヘキ卿はのんびりと口にする。

「でも、役柄もらってて働かないんですか?」

 卿である。卿。

 それがどれ位の位置になるのかわからないが、多分良い位になるのではないだろうか。

「…そうだねえ」

 ヘキ卿はのんびりと答えてくる。


「よくわかんないです。いっつもごろごろ、暇じゃありません?」

 所謂ニートである。だが役柄のあるニートだ。大きな会社のお偉いさんであろうか。

 理音の問いに、ヘキ卿は笑いを堪えてばかりだ。

「そんなこと言われたのは初めてだな。そうだね。暇で暇で、どうしていいかわからなくなる。かと言って、王宮に行ってもやることなんてないんだよ」

「そうなんですか?フォーエン、皇帝なら、お仕事がっつりくれそうですけど。むしろごろごろしてたら、殴ってくるでしょ?」

「…皇帝陛下は、私をまるで害虫のように見るね。そして無言で通り過ぎて行かれる」

「うわあ」

 フォーエンならやりそうである。そして、その目も思い浮かぶ。呆れを通り越した、見下し視線だ。


「ちゃんと働かないとー。殴られちゃいますよ」

「殴られちゃうか。それは嫌だね」

「なら、お仕事もらいに行かないと。ダメですよ、ごろごろ。ごろごろしすぎると、ボケやすくなるんですよ。ほら、きびきび歩かないと。あと、着物ちゃんと着られたらいかがですか。ずるずるしてて転んじゃいそう。そんなので転んじゃったら、ボケ始めですよ!」

 帯も裾も床を引きずっていて、気になって仕方がないのだ。

 まるでモップがわりである。

「奥さんに怒られないんですか?ごろごろ、ずるずる」

「奥さん怖いね。すぐ怒るから。一番の奥さん、まだ会ったことない?」

「全然ないです。まだそっちに行ってないみたいで」

 そう言えば、妻三人子供数人であった。

 妻たちも子供たちもまだ見ていない。部屋にいられれば、見ることもないわけだが。


「一番の奥さんは、私の元に嫁いだことを嫌がっていてね。顔を見ると怒るんだよ。子供には優しいのだけれど」

 いきなりディープな話である。

 そんなことカミングアウトされても、コメントしづらい。


「浮気が多いから?」

「ぶはっ」

 吹きだされた。そしてそのままお腹を抱えて笑いだされてしまった。


「面白いねえ、リオン。一番の奥さんはね、本当は皇帝の奥さんになりたかったんだよ。けれど、前の皇帝は間を空けず亡くなっていく。だから皇族の末端である私に白羽の矢が当たったわけなんだ」

 皇帝は三人続けて死んでいる。それは知っているが。

 理音は頭を傾げた。

「次にヘキ卿が皇帝になれるからって思ってて、それで嫁いできたってことですか?」

 確かにヘキ卿は後継になるだろうが、先にフォーエンが入るのはわかっていたのではないだろうか。

「皇帝が何度も早く亡くなるからね、その次くらいに私にしたいと思った輩がいたんだよ。けれど私には務まらないのだから、私の元に嫁いでもねえ」

 自分で言うか。

「しかも、今の皇帝はお若くて、お相手も選ばれていない。奥は未だ後悔してるんだよ」

「何ですかそれ!子供もいんのに!?そんなやつ、お断りですよ!離婚!」

 こちらは好き嫌い関係なく嫁いでいるわけで、それが当然なのだろうが、子供もいて育てているのに何とも馬鹿にした話である。

 しかも、フォーエンが好きなわけではなく、皇帝と言う名が必要なだけだ。ヘキ卿にもフォーエンにも失礼な話だ。

「ヘキ卿にもフォーエンにも、超失礼!最低!」


「…リオンは、前はどこにいたの?」

「前は、外国で。知り合いの紹介でここに入ったんですけど」

 大尉のところをクビになったとは言えない。

 ナラカに、前は別の国にいたと伝えて構わないと言われている。実際顔がこちらの人々と若干違うようで、外国だと言えば納得されるようだった。

「そう…」

「あ!道わかりました。ありがとうございます」

「もういいの?」

「はい。ありがとうございました」


 知った場所に辿り着けて安心した。理音は礼を言ってヘキ卿から離れた。ぺこりと頭を下げればひらひらと手を振って返す。

 何だがとても気安くて、とても偉い人には思えない。

 それにしても、話していて感じる、あの無気力さ。

 例えば、奥さんのために皇帝になりたい。とか、まずあり得なそうだ。

 彼自身、狙わなければならない理由があるのだろうか。

 もちろん、権力を欲するものなど多くいるだろう。けれどヘキ卿に関して、それに興味があるようには感じられなかった。


「まあ、会ってそんな経ってないし、簡単にわかるはずないだろうけどさ」

 自分ごとき子供に悟られるようなら、その程度なわけだが。


 さて、ヘキ卿はどうだろう。

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