50 ー再来ー
「すごく、よかった。全然緊張してなかったよね」
帰り道、小河原は興奮冷めやらぬと、理音のヴィーナスを惜しげもなく褒め称えてくれた。正直勘弁してほしかったが、小河原はあれがお気に入りらしい。
「要くんもしてなかったじゃん。マネージャを釣る餌役」
「え、餌って」
実際、その餌はうまくまけたのではないだろうか。
話もうまく、顔もいい。子犬でない時は可愛い顔をしながら、どこか冷たさの残る微笑みを浮かべる男である。あとは身長だが、それは今後期待だ。
これからライバルが増える。は多分当たっている。
「マ、マネージャ集まっても、俺興味ないから!」
何て、ムキになるほどはっきりと宣言してくれるわけである。こっちが照れるわ。
「理音も、視線集めてた」
「あの服じゃな」
へっ。とやさぐれる。
ただの見世物だ。他の二年たちがクスクス笑っていたのを、見逃す理音ではない。
舌打ちしたくなる舞台であった。
全く、誰だ。コスプレしようなんて言ったの。
「似合ってたよ。すごく。綺麗だった。俺、好きだな、あの格好」
「露出のあるのが?」
「ち、違う!理音が似合ってたって話!」
うん、フォローはありがたいが、聞いていると切なくなってくる。
「理音って、結構綺麗目の服似合うんだなって、思った」
「要くん。もう切なくなるから、いいよ無理して言わなくて」
褒められすぎて、聞いているのが辛くなってくる。小河原は賛美を惜しまない。
「本気で言ってるよ。すごく、似合ってて、好きだなって」
目が点である。照れて言われているが、理音の心臓によくない。そこまでべた褒めされて、さすがにこちらも赤面する。
「はい、ありがとうございます」
なぜか敬語になって、目のやりどころに困った。小河原が照れても顔を背けず言ってきたからだ。
「俺、本当に理音のこと好きだよ。理音が、誰か、他に好きな人がいても」
突然の告白に、理音は顔を上げた。
触れられた手のひらがとても冷たくて、小河原の赤面が消えて、白のそれに変わっているのを見た。
知られていた。
それはわかっている。
けれど、それを小河原から言うとは思わなかった。
自分たちはまだ友達のような付き合いで、それから始めようとしているのだから。
しかし、それを言ったら決定的ではないか。
「それでも、好きだってこと」
小河原は理音の考えていることはわかると、もう一度同じことを口にした。
それでも、始めてほしいのだと。
「私は、要くんのことは好きになれると思う」
それは正直な心だ。
小河原はすぐに返ってきた応えに言葉を失った。
思いもしなかった応えに、一瞬顔が緩む。
けれど、
理音はけれど、と続ける。
「会えなくても、会いたい人はいる。一緒にいて、一緒にいたのなんて二ヶ月くらいだけど、それでも好きになっちゃって、でも会えなくなった。別れの挨拶もできなかったし、お礼も言えてないしで、たくさん後悔してて、だからどんどん会いたくなる。でも会うことはもうないから、忘れた方がいいんだけど、忘れたくない」
忘れるわけにはいかない。
全てが夢なのかもしれない日々を忘れてしまったら、ここにはもうフォーエンの名を呼ぶ者すらいない。名前すら忘れてしまったら、本当に夢になってしまうのだ。
それだけは嫌だった。フォーエンの名前だけでも覚えていたい。
好きでも報われなくても、せめて名前だけは。
「フォーエンのことは忘れたくない。要くんと一緒にいても、彼のことは思い出す。でも思い出さないようにしてる。あの小瓶は忘れたくないから持ち歩いてた。あれしか、彼が存在した証拠がないから」
「証拠…?」
「夢みたいな話なの。だからもう会えない。ごめんね要くん。私はきっと、しばらく、ずっと、彼のことは忘れられない」
「俺は待つよ!」
間髪入れず小河原は答えた。それはとても真っ直ぐで、だから理音も小河原に添えればと思ったのだ。
「うん。…うん。できるだけね、できるだけになっちゃうけど、私は要くんといたいなって思う。要くん私に甘々だから、ほんとの要くんも知りたいかなって」
「俺、性格偽ってるわけじゃないからね!?」
本人も自覚があるわけだ。だが偽っていない。それは真実だろう。疑っているわけではない。
焦って返す小河原に、理音は笑いかけた。
「子犬だと思ってたら、シェパード成犬みたいな」
「え、何その例え…」
的確な例だと思うのだが、小河原は不服らしい。
子犬って、と一人考え込む。
「ねえねえ、今度デートどこ行こっか。私、要くんの行きたいとこ行きたい」
これは精一杯の返答だ。みるみる紅潮する頰を見ながら、その手を握った。
「俺、次は水族館行きたい。理音と動物園回るの楽しかったから。次は、手を繋いだままがいい」
タラシ込み子犬発言である。
要所で恥ずかしがりながらも、正直な心を伝えてくれる。
「要くんは、予想以上のタラシだね」
「何で!?」
「はー、子犬でそんなの頼まれたら、きゅんってするわ。ずるいわ」
「そ、理音に言われたくないよ。理音も急に近づいてきたりするから、俺結構、…」
「結構?」
小河原は真っ赤のまま腕で顔を隠すと、
「嬉しくて死にそうになる」
血を吐きそうになることを、さらりと言ってくれた。
わだかまったものがあったのだと思う。
それは当然で、小河原を悩ませたはずだ。
理音の想い人が、近くにいると考えたかもしれない。けれどそれは小河原にとって杞憂で、あり得ない話だった。
フォーエンのことを話したおかげで、小河原との距離は前よりも近くなったかもしれない。
そのまま一緒にいれば、きっとうまくいったかもしれない。
けれどそれは仮定であり、可能性だった。
ひとまずが終わり、元に戻ったはずだった。
しかし、また新しい状況で、新しい場所に行き着くのだ。
「おい、お前、こんなところで寝るとは、どう言う了見だ!起きろ、この女!」
人を覗き込み、おかしな格好で叱咤してくる男が誰なのか、寝ぼけた頭で考えた。
ゆっくり起き上がろうとした理音は、男が妙な着物を着ていて、頭に鉢巻をしていたことに気づいた。
否、髪をまとめたお団子の包みから、リボンのように垂れていたのがわかった。
「ウーゴの木の下で眠るとは、何と言う罰当たりなことを。さっさと起きてそこをどけ!ここは神聖なるウーゴの棚であるぞ!」
仰々しい表現に、いやに宗教じみた言葉と、その知っている名前に理音は呆然とした。
起き上がって頭の上にある木の枝を見つめて、それから辺りを見回した。
月が、一つ、二つ。
大小二つの月が、空に浮かんでいる。
それが何なのか、理解するには時間が必要だった。




