47 ー礼ー
「り、理音、ちゃん」
「ちゃんかー」
「じゃ、じゃあ、理音、さん!」
「さんー」
どうもしっくりこない。
ちゃん付けなんて、小学校以来である。しかも、友達のお母さんから呼ばれることが多かった。
さんなんて呼ばれたこともない。
「いいよ、呼び捨てて。私は要くんて呼ぼー」
「や、でも、呼び捨て」
「え、ダメ?」
「や、う、うん。り、りお、理音で!」
うん、よくできました。拍手をしてあげたくなる。
小河原は赤面を耳と首にまで追加した。
可愛い限りである。これが本物で、けれど偽物という謎な子だ。
そのせいでか、つい構いたくなってきてしまった。
どこに境界線があって区切るのか、試したくなる。本人にとってはとんでもないことだろう。
まあ、本人には言うことはない。今自分が彼に何をしても照れてばかりなのだろうが、それはそれでいいとして、ならばいつもはどんな風なのか気になってしまう。
「ねえねえ、要くんて、中学の時彼女いたの?」
「いないよ!」
即答である。いないのか。いそうなのに。いなければこの照れ照れは、自分の前でしか発揮されないのだろうか。
「俺、小さいからモテなかったし。付き合うとか、考えたことなかったから」
小さくてもモテたのではなかろうか。モテない割には女の子に対してあっさり感がとてもある気がするのだが。
奥手な照れ照れ小河原が常であれば、女の子に免疫ないんだろうな。と納得するが、氷の小河原であれば、女の子に慣れている気がするのだ。
経験皆無の理音からすれば、男の子に声をかけられてちょっと有頂天になってしまうような、そういう雰囲気が小河原には一切なかった。
フォーエンにタラシこまれた身として、疑問に思う。
女の子に優しく声をかけられたらドキドキしちゃう感が、小河原にはない。
「り、理音は?いたこと、あるの?」
「あるわけないよ。要くんが初彼。告白されたのも初めて」
「そ、そうなんだ」
ついどもってしまうほどの初々しさである。
二人だけでいるとわからない面と言うのはあるんだと、大人な感覚を味わっている気分だ。
そういや奴もオンオフ激しかったな。とついフォーエンを思い出す。
人の肩を噛みやがった時は、子供のように顔を膨らませていた。
大衆の前に出るフォーエンにはありえない顔だった。
それくらいなら人には表情の有る無しがあるものかとは思うが、小河原ほど別の人間にはならないだろう。
ふとしたことでフォーエンを思い出して、それを手で払いのけた。
思い出なのに、すぐしゃしゃり出てくる。出しているのは自分だが。
「試験終わったら、冬休み入ったらかな、どっかまた行こっか?」
「ほんと?行くよ!出かけよう!」
素晴らしい食いつきぶりだ。小河原は身を乗り出すように頷いた。
春休みならばお互いの時間を調整できるだろう。小河原は部活ばかりな上に、空いたスケジュールには塾をつめているので、合わせるのは自分であろうが、それでもいい。真面目にやっている人の邪魔をする気はない。
「私、今度バイトスケジュール出すから、その前に空いてる日教えて。いっぱい合わせられるといいなー」
本音である。小河原に興味を持ったわけで、そこは追求していきたい。嫌われぬ限りは。
さすれば小河原の反応は目に見えてわかりやすいものだった。もう敢えては言うまい。
「あ、ありがとう!俺、計画立てる!」
ニーアルエ。
ふと思い出した言葉に、毒されているなと内心苦笑いをする。
ありがとう。
自分は彼に礼を言えなかった。
今まで、ありがとう。
せめて、彼に言えればよかったのに。
会いたいと言う気持ちが、日に日に増していくのはなぜなのだろう。
最後に会った、フォーエンの顔は忘れられない。
何かを自分に伝えようとしていた。それを理解できなかった。
ゆっくりと理音に合わせて話してくれたのに、それが何なのか首を傾げるだけで、詳しく教えてくれるのを待っていただけだ。
もっと言葉を覚えて、彼と話せればよかったのに。
後悔先に立たずである。
今更悔やんでも仕方ないのだが、夢見る度に思い出して、反復するようにあの日を心に留めた。
花びら舞う美しい景色の中、頭に乗った花びらに手を伸ばそうとすると、驚くように頭を引っ込めた。
「花びら、乗ってる」
「え、あ、うん!」
だから、取ってやろうと思ったのだが。
逃げるように横っ飛びをされ、空を触れる指は宙に浮いたまま、意味もなくレミファを打ってみた。
そこにピアノはないのだが。
「綺麗だねっ!」
髪の毛触るくらい許してくれよ。呟きは口には出さず、小河原の照れ隠しの言葉に、うんと頷く。
「丁度、満開だね。やっぱ人すごいけど」
長い桜並木と同じ長さで地面にブルーシートを広げ、桜の下で酒盛りをしている。
桜を見るのはそっちのけ、持ち寄ってきたものか、食事と酒を共に談笑していた。
桜の下で食事するのは楽しいだろう。けれど歩きながら見る者にしてみては、桜の下に邪魔な物があるようにしか見えない。
しかも、人でぎゅうぎゅうである。風情も何もない。下の人間を目に入れないように、その淡い桜色を眺めた。
さすがに美しい。この時期に味わえる、短い花の命である。
その真下は戦いだった。人人人の大洪水だ。押し合いへし合いに近い状態で、いつ小河原と離れ離れになるかわからない波に乗ってしまう。
「り、理音、こっち」
「写真も撮れない…。いてっ」
誰かに足を踏まれた。あまりの人混みにもう歩むのは無理だと、理音は小河原の手を引っ張ってしがみついた。
このまま行ったら離れ離れになって、お互いに行方がわからなくなる。
小河原もそう思っているであろう。その手を振り払ったりはしなかったが、もうこれでもかとリンゴ顔になった。
そのリンゴがいつまで続くのか試したくもあるが、赤面する気持ちは自分も知っている。 あまりに緊張するので、払いのけたくなる気持ちもわかる。なので仕方なく道を折れた。
桜並木を逸れて、人が少しだけ減る方へと移動する。
「すごい人だったね」
「う、うん。やっぱり混んでるよね」
おしくらまんじゅうに勝てず、理音の髪は暴発しそうだった。さすがに撫でて、それを直す。
理音が手を離せば小河原はどこか安堵したような、けれど残念なような、複雑な顔をしつつ、口元を腕でこすった。
顔が熱いのだろう。その気持ちも十分わかる。
わかりすぎるくらいわかるのである。
小河原に何をすれば赤面するのか、何をしたら飛びのくほど焦ってしまうのか。
その姿を見て、ああ、自分もあんなに挙動不審か、とあの頃の行いを思い起こす。
それはさぞ滑稽で、わかりやすいことだっただろう。
もしかしたら、フォーエンに気づかれていただろうか。ツワ辺りは気づいていそうである。
自分が普通でいられたと思っても、そんなもの側から見れば鼻で笑いたくなるものだったかもしれない。可能性は十分高かった。
初恋か。
自分の気持ちを隠すことなんて、簡単にできない。
「あ、あっちも咲いてるよ。理音、行ってみない?」
「ああ、うん、そだ、ねー」
促されてそちらへ足を向けた。歩きつつ、池のほとりに咲いている花を眺めた。
こちらは人が極端に少ない。穴場か、と思いがちだが、理音は違かろうと気づく。
「あー、要くん、ここさー」
「え?あ、ほら、あそことか綺麗だよ。すごく空いてる」
うん、空いてるね。ここは頷いていいものか考える。いや、ボートさえ乗らなければ問題ないのか。あまり詳しく知らない。
しかし、考えている間にらしき場所が見えてきた。らしき場所とはあれだ、見られちゃ行けないお方が鎮座してるあそこだ。
「ね、要くん、ここさー、来ちゃって言うのもあれだけどさー、ここ、ダメなとこだよね」
「え、何が?」
あ、この子知らない子だ。
伝説には興味のない子のようだ。ここは、かなり有名なスポットのはずだが。
「要くん、道を戻ろうか。ここいけてないとこだわ。ダメなとこだわ」
カップルがいない。
それもそのはず、ここは確かカップルで来ると別れると言う、有名な場所だ。
かのお方がラブラブカップルに嫉妬して、天罰を与える所である。
どうやら小河原は全く知らないらしい。桜並木は調べても、この池は調べていなかったようだ。
「ね、動物園行こ。混んでるかもしれないけど、桜より空いてると思う」
「そうだね。その方が楽しそう」
ほんっとうに知らないらしい。
かわいそうになってくるので、敢えてそれは言うまいと道を変えた。
桜と一緒に写真も撮りたかったのだが、それは他の場所でもいけるだろう。
とりあえずここから離れてあげたい。そんな心知らずと小河原はご機嫌だ。目が合うと照れながら笑顔を返す。
可愛いな。おい。なのでそっと手を繋いでみる。びくりとされたが我慢してほしい。これから、またあの人混みの中に突っ込むのだから。
「行くよ。離れないでね」
「うん!」
立場は逆だろうが、残念ながら小河原は自ら手を繋いで理音をリードする余裕はない。
ここは自分が、とその手をぐいぐい引いて人混みをかき分ける。やっと通りの入り口に面して、理音は引いた手をやめた。ここで写真が撮れるかと思ったのだ。
「要くん、誰かに写真撮ってもらお」
「え!?」
驚愕の照れ声を無視し、さっさと人に頼んでスマフォを渡し、小河原の元に戻ってくる。
「はい、チーズ!」
「え!?え!?」
がっちり腕に絡まって撮ってもらうと、礼をしてから確認する。
写真が撮るのが早かったか、赤面が早かったか。
「お、勝ってる」
「え、何が?」
「ちゃんと撮れてるよ。要くんに送るね」
有無を言わさず、理音は小河原に写真を送った。
赤面になる手前か、今は真っ赤だが写真はまだ赤くない。ただ理音に急に腕を掴まれて、どこか硬直した顔だった。
笑う云々の前に驚いて焦って、どうしていいかわからない。の表情だった。
そこが初々しく可愛いので、許す。
しかし、送った写真に小河原は顔を隠して俯いた。
「いらない?」
さすがに無理やりすぎたかと反省したら、小河原は再びリンゴだった。
嬉々としたのを隠したかったようで、顔を下から見上げれば照れに照れて、急いで顔を背けた。
「や、そんなんじゃない。嬉しくて!」
照れ隠しができないとよそを向くのだ。そんな所もまた可愛い。
あれはこれだな、よいではないか、よいではないか、のおっさん気分である。
「よし、動物園行こー。混んでるけど行こー!」
「うん!」




