36 ー出来事ー
「わ、痛いっ!」
自分が痛いわけではないが、ついそう言って、視線を自分の手で隠した。
見ているだけで痛い。
動物の背に乗っていた男が地面に転がると、牛のツノに突かれて体が一回転したのだ。
「リオン、ディヴァリンドエウアーロ?」
「あー、リンドエウって言うか、苦手?痛いの怖い。オーレンがリンドエウかな」
つまり嫌いか。と聞かれたわけである。
「リンドエウじゃ強いかな、見るの怖いだけで」
詳細な気持ちは難しい。絵にすることができない。嫌いよりも弱いからと言って、嫌いと弱いをつけたりして、何とか会話を試みる。
そんな拙い会話でも、フォーエンは真剣に相手をしてくれた。
無論、こいつバカだな。と言う顔はする。するのである。
明らかにお前頭悪いだろう。と言う目線を向けてくれるわけだが、言語を学ぶことについて、フォーエンは献身的に教えてくれる。
「フォーエンも、ああいうのやるの?やったことある?ディ、コンセーティオ?」
「ディ?」
「あー、デュ?」
「ダーデュ」
だめ押しである。英語で言うところの過去分詞だ。
「えーと、ダーデュコンセーティオ?」
「エオン。ヴァイン」
前にやったことがあるそうです。言葉難しい。
せめて基礎がわかれば、随分楽になるものだが。基礎の教科書がないのが痛いところだ。
あればまだ、多分もっと、スムーズに覚えられるかもしれない。わけだが。
それを言っても仕方がない。
しかし、フォーエンがああ言う競技をやることに、少し興味があった。
あんな槍を持って牛に乗れるのか。この女顔で。
女顔は失礼だが、想像できない。
フォーエンは確かに剣を持っている。持ってはいるが、実際使うことがあるのかどうか。
もしも何者かに襲われたように持っているのだろうけれど、とてもではないが戦えるように見えない。
部下たちが倒しきれなかった敵を、剣で刺して倒すと言う感じなのだろうか。
謎である。
フォーエンは顔をしかめた。
できるの?が読まれたらしい。そんな顔に出てるだろうか。
弱そうだよね。なんて言っていないので、怒らないでほしい。
「あ、ねえねえ、これおいしいよ」
テーブルの上にあったピンク色の練り物に手を伸ばし、理音は食事を楽しんだ。色の割に甘くなく、餅のような感触の食べ物だ。
フォーエンは公の場だと箸が進まないので、おいしいとつい食べなよと進めてしまう。
王様からすれば、人前でばくばく食えるか。らしい。
この間聞いてわかったことだ。
お酒は飲むけれども、物はあまり口にしない。
こんなに豪勢な食べ物が目の前にあるのに、食べてはいけないとは、何と切ないことなのか。
なのについ、食べてみなよ。と言ってしまうのは、貧乏性のなせる技か。
酒ばかりを飲んで、悪酔いしないのかも心配になる。白皙の肌に赤みはないので、顔に出るタイプではないようだが、実際どうなのだろう。
「はい、あーん」
前にやられたのでやってみる。しかし、フォーエンは静止した。
「あれ、ダメ?」
人にはやっておいて、自分はダメなのか。
ならば自分で食べると箸を戻した。戻そうとした。掴まれた腕に食いつくように顔が近づいて、そのピンクを飲み込んでいく。
引いた手の前に現れて、それを奪う。
一瞬、食われる物を勘違いしそうになった。
早鐘が打ったのは自分の胸だ。交わる視線すらあまりに近く、それが過ぎるのをスローモーションのように眺めて、席に戻った彼が口をもごつかせるまで、動くことができなかった。
我に戻って、おいしいでしょ。などと問うてみる。
この男は心臓に悪い。なまじ顔が整いすぎているから、つい視線がいってしまう。
「リオン」
「え?」
お返しにとでも言うように、箸に挟まれた物を目の前に出してきた。
先ほどよりずっと大きい果物の実だ。
よりによって、テーブルにある一番大きな物を持ってくる。
嫌がらせである。
食わなくていいものを食わせるなと言う抗議に思える。
一瞬トキめいた自分が恥ずかしい。
だったら食わなきゃいいのにと思う。
もしかしたら、戦えるの?本当に?の目に対しての嫌がらせの可能性も高い。
多分、後者だ。
フォーエンは箸を出したままだ。食えよ、と目で訴える。この野郎。
しかし、そんなことで動じる理音ではない。ばくりと食いつき、遠慮なく一口で食べてやった。これくらい楽勝である。
しかし、隣で控えているツワが咳払いをした。与えた本人は苦しそうに笑いを堪えている。
この野郎。
大口開けて食べるのは、はしたないそうです。知ったことか。なので遠慮なくいただいた。この果物おいしい。
腹の立つ男である。
さっきの笑いはどこへ行ったか、フォーエンは前を見据えていた。
大勢の人間の前で堂々と振る舞い、見地を見極める王である。
理音と年が近いなどは関係なく、若くても王なのだ。
本来であればフォーエンは遠い人間だ。
理音自身が何かをなしてここにいるのではない。
それに気づくと、一瞬で自分を思い出す。
フォーエンと自分との距離は、驚くべき遠さである。それを忘れてはならないのだ。
突然、わっと声が上がった。牛が暴れて、急いで止める者たちが集まってくる。随分興奮しているようだ。
「本当に闘牛だなー」
理音は写真を撮り忘れていたと、カメラを起動した。ここから撮る写真について、フォーエンは何も言わない。
怖い顔をしている女子たちはおいておき、やっと騒ぎが収まり、次の試合に入る闘技場をカメラに収める。
一枚、二枚。確認して、綺麗に撮れていれば保存をした。会場の飾りや観客も軽く撮っておく。それだけでも珍しい雰囲気だからだ。
写真を撮るにも少しは周りを気にして撮った。
大きく掲げるには目立つ席だからだ。そうしてこっそりと撮って、拡大しながら見る。写真で拡大した方が大きく見えるので、遠目の見えづらい場所はズームを使った。
遠くの飾りが綺麗に撮れる。飾られた布やキラキラと輝く装飾は、陽に当たって煌めいていた。
何枚も撮って満足してすぐに見直す。ぶれているのは捨てておきたいのだ。
同じ場所を撮ると、まるでだるまさんがころんだのように人が動いて、コマ割りの映像のようで面白い。
「あれ?」
おかしなものが写っている。理音はその場所を探した。
一つではない、二つ、三つ。
変だなと思うが、それが意図を持ってやっているのか、そうでないのかがわからなかった。
観客も移動して、いつまでも同じ席にいるわけではない。女の子たちはその席から外れないが、家臣らしき者たちや兵士たちは、歓談の場所で接待のように席をあちこち移動している。
だから、おかしいわけではないのかもしれないが、それでもおかしいな、と思った。
「ねえねえ、フォーエン。普通、警備してる人たちって、途中で武器変えるものなの?」
理音は剣から弓に変えた男を拡大して、重ねて見せた。男は少しずつこちらに近づいて、弓に持ち替えている。
フォーエンは咄嗟に顔を上げた。
「コウユウ!…」
呪文が怒鳴り声のようだった。途端、コウユウが何かを叫ぶ、その瞬間だった、フォーエンがいきなり理音を押し倒し、被さるように抱きしめたのだ。
「え、わ?」
それと同時、何かが座席に突き刺さる音がした。
覆い被さるフォーエンの上、見えたのは羽根の一部だ。それが矢だと気づいた時には、フォーエンが飛んできた方向を睨みつけ、剣を抜いていた。
それがまるで合図のように、何かが一斉に木霊したのだ。
声だ。
フォーエンは理音を無理に引き上げると、一気に走り出した。
どうなっているのか理解するより先に、闘技場が本当の乱闘騒ぎになっているのが視界の端に見えた。
兵士たちがそれを遮るように、舞台下へと走って行く。
前から飛んできた矢は兵士に当たり、その体を突き抜けた。
悲鳴を上げたのが自分なのか、他の人間なのかはわからない。ただ競技場は戦場のようになって、剣をかする音や悲鳴が乱れるように響いた。
フォーエンは理音の腕を握りしめたまま、競技場を後にする。走り抜いた廊下の先、一部屋に理音を押し込めると、フォーエンは踵を返した。
「フォーエン!」
「インシーニャ!」
待っていろ。
たった一言、彼は自分を置いて行ってしまった。




