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21 ー女の子ー

 溺れる時に深さは関係ない。


 どうすれば足を地面につけられるか考えていると息ができなくなって、水を飲みそうになった。それでも浮けたのは、スカートを履いていたおかげかもしれない。


 ばたついた足が浮いて、背泳ぎのような格好になって、すぐに体勢を変えられた。

 足は届かない。思ったより深い。けれど頭は出すことができて、何とか大きく息をした。


 髪の毛から滴る水が口に入ってくる。それを拭うと、嘲笑するカラスは声高に鳴いた。


 何を言っているか、わからなくてもいい。


 これで終わると思うなよ。


 理音は大きく腕を振ると、女の子たちに水をぶっかけてやったのだ。

 嘲笑が叫び声になり、ざまみろと思うよりも、もっと水をかけてやりたくなった。

 なのでやった。それも何度も。


 女の子が泣き出しそうな顔で水を避けようとする。けれど女官たちが四阿から落ちないようにあまり下がらないため、水は女の子にがっつり被せられた。


 このまま突き落としてやりたいわ。

 仲裁が入ったので、やるのはやめたが。


 呼ばれた男、フォーエンは、珍しくも激しい惨劇に呆れ顔を見せていた。

 四阿は水浸しだ。後で思ったがタブレットをリュックの中、しかも机の下に隠して本当によかったと思った。水難は避けられた。


 避けられなかった女たち、ことに女の子は、フォーエンの姿を見るとすがるように訴えを始めた。


 あの女が水をかけてきたんですー、が妥当であろう。知ったことではない。


 岸に上がるのに足がつかないので、木枠を持って勢いよく上がる。

 地面はぼたぼた垂れた池の水で、ぐっしょり濡れた。

 かきあげた髪は生臭く、絞るようにしてやると、地面がどんどん濡れていく。スカートも絞った。もうあちこち生臭い。


 その間も、女の子は演じるようにさめざめ泣いている。

 うっとうしい。


 さっさとお湯でももらおうと四阿から出ようとしたが、女官たちが道を塞いでいて進めない。このまま突っ切ってやろうかと考える。

 フォーエンは、泣いて止まらない女の子に何かを言った。慰めているのだろう。女の子は更に泣いた。女官たちが口々に何かを言う。文句であろう。

 それを聞き終えたか、フォーエンは彼女たちにここから出るように指示した。指差していたので、橋を渡れと命令したのだろう。

 後ろ姿で見えないが、女の子は震えながらフォーエンにすがっている。まだすがりたいらしい。

 その様が、まずいなという感情をわかせた。


 妹かと思ったら、恋人か奥さんかもしれない。婚約者とか、そういう類の子だろう。謝る気はないが、フォーエンが理音を囲っているようにしていたら、彼女が腹を立てるのは当然だ。


 謝る気は全くないが。


 女の子がぐすぐすと橋を渡っていくと、代わりにツワが急いでタオルを持ってくる。

 呪文は心配の言葉だろう。おろおろと狼狽してくれた。


「や、大丈夫。やり返したし」

 むしろ、もっとやり返したかったけれど。

 フォーエンが来なければ、引きづり下ろしてたかもしれない。こいつが来なければやっていた。


 頭に乗せたタオルをそのままにして、このむしゃくしゃをどうしてやろうかと思った矢先、弾けたのはフォーエンの笑いだった。

 あろうことか、腹を抑えて笑い出した。

 まるで我慢していた笑いを堪え切れなくなったかのように、苦しそうに笑うのだ。


「おい」

 さすがにそれは、こちらもキレる。

 キレていいだろう。


 びしょ濡れになった人の顔を見て大笑いするとは、いっそこの男を突き落としてやろうか算段した。

 しかし、笑い顔のくせにそろりと手を伸ばしてきた。

 痛んだ頰を擦り、頭を撫でると、タオルで頰を優しく拭った。


「は?」

 優しい呪文は、憂いの顔に変えた。

 さすられた頰が痛い。どうやら血が出ているらしく、それを拭っているのだ。

 先ほど何かで頰を叩かれたせいだろう。


 いや、顔が近いよ。


 急いでツワが橋を渡るように促してくる。リュックとブルーシートを手にしたのは、まさかのフォーエンだ。持ってきてくれるらしい。

「いいよ。持ってく」

 ブルーシートを奪い取って畳むと、リュックもよこせと手を差し出した。それになぜか顔を真顔にする。

「フォーエン。いいよ。私が持ってく」

 リュックをよこせとジェスチャーしているのだが、反応がない。

 意味がわからないかとベルトを引こうとしたら、ひらりと避けられてしまった。


 いや、なぜ避ける。


 女性たちが、その代わりに受け取る。

 ブルーシートもまた奪われて、理音は促されるまま、湯殿に連れていかれた。


 洗っても、髪の毛が生臭い。

 こちらのシャンプーはあまり泡立たないので、洗った気がしない。そのせいか匂いも消えない気がした。

 ツワがこすらないようにと、櫛で丁寧に絡んだ髪をすいてくれる。それから香油を塗って、生臭さを消した。


 頰はかすった跡がついていた。

 何で叩かれたのか。

 多分、女の子が持っていた扇のようなものだと思うが、いきなりぶっ叩いてくるとは。

 そして、とどめの突き落としである。

 偉そうな女のやることは過激だ。

 無論、次はない。やられる前にやるわ。


 基本気の強い性格に部類されると自負している理音は、女の子の顔はしっかりと覚えた。 

 ついでに、後ろにいた女官たちの顔も忘れたりしない。

 やられた恨みは必ず返してやるわ。と心に誓う。

 しっかりやり返したくせに、まだ怒りは収まらない。


 例え、あれがフォーエンの嫉妬に対するいじめだとしても、だ。

 まあ、間違いなく嫉妬だろう。

 大舞台に立った理音を見て、どれほど恨みに思ったかはわからない。

 そうだとしたら、撮った写真の中にあの女の子がどこかに写っているのかもしれない。

 あとで確認してみるか。


 戻った先、元凶は部屋の中で、どこか遠くを見るようにして座っていた。

 部屋の中など調度品だけなのに、どこを見ているのかと思う。

 考え事をしているのか、その割に背筋がしっかり伸びているのだから、きっと幼い頃から作法など教え込まれていて、あの体勢しかとれないのだと推測する。

 その姿勢は崩さぬまま、入ってきた理音に気づくとすぐに立ち上がった。


 触れられた頰は、もう血が止まっている。ただ擦り傷になっていたので、薬を塗ってもらった。

 呪文はやはり憂いでか、どこか優しい声音だった。

 さっきは大笑いしてたくせに。


 タブレットを取り出して、ちょっと絵を描いてみる。さっきの女の子だ。適当だがわかるだろう。女官たちに囲まれて、一人だけ小柄で細身の子だった。


「ウーラン」

 フォーエンは言った。女の子の名前だ。

 やはり彼女か何かなのか?と言う絵をどう描くか迷ったが、女の子と手を繋ぐフォーエンを描いてみた。ハートを描いてわかるだろうか。

 しかし肯定も否定もなく、反応がなかった。内容が理解できなかっただろうか。

 恋人なのか、夫婦なのか、の絵を描くのは難しい。結婚式での衣装が自分にわかればよかったが、それがわからないので表現ができなかった。


 うーんと唸る。絵心が足りない。

 すると、フォーエンがタブレットを奪った。

 描かれたのは丸だけで、はっきり言おう。全くわからない。

 丸をたくさん描いて、それで一体何がわかると言うのか。


 ため息をつく。ついたのはフォーエンだ。つきたいのはこちらだ。


 すると、写真を出せと言ってきた。

 フォーエンは、タブレットで使える物の名称をどんどん覚えていく。記憶力もいいのだろう。写真とムービーの違いもわかると、写真を連呼した。


「何見るの?」

「リオン、…ウーラン」

 出したのは宴の写真だ。フォーエンは舞台下の写真を指差す。そこにウーランがいる。

「これ、私が撮ったやつだ」

 なぜなら彼女が物凄い剣呑な顔をして、こちらを睨んでいたからだ。ズームして撮っているので、鋭くこちらを見ているのがよくわかる。


「うわー、やばいね、これ。すんごく怒ってるね」

 これはご立腹である。文句の一つ二つで済むような顔ではない。

 しかし、フォーエンはそれだけではないと首を横に振った。くるりと円を描く。写真の上で左に円、右に円。

「何かあんの?」

 じっくり見てみる。広場の左側にいる招待客たち、右側にいる招待客たち。何か特徴でもあるのかと見続ける。

「女の子ばっかりだね。気づかなかったけど、みんな女の子」

 しかも、皆同じくらいの歳だ。

 二十歳前後だろうか。そして皆、女官を従えている。同じ衣装の女性たちは彼女たちに仕えている女官だろう。

「ん?つまり?もしかして、みんな婚約者とかそーゆーの?」

 もしや、ここにいる衣装の派手な女の子たちは、皆そう言うことなのだろうか。

 よくある、王様は一夫多妻制だろうか。


「まてまて、じゃあこんな感じ?」

 女の子たちを横並びに描いて、その上にフォーエンを描く。フォーエンとわかるわけないので、指差してフォーエンを連呼するわけだが、それでなんとか通じる。

「ハーレムだよね、これ。よりどりみどり?」

 もう通じているのか通じていないのかわからないが、理音は続けた。

 その中でウーランが上位なのだろうか。これだけいて、皆同じ位には思えない。

「一番お気に入りとか、そーゆうの?だからわざわざ私のとこ来たって言うかさ」

 説明ができない。後ろに女の子を描いて、フォーエンとウーランをラブラブにしてみる。

「これでどうだ」

 ちゃんと描けたと堂々と見せたら、あっさりと首を振られてしまった。

 ウーランとラブラブと言うわけではないらしい。


「あ、わかった。あれでしょ、三人くらい選んでて、どの子も好きーとか。それだ!」

 そして描いてみる。また首を振られる。

「どれも選べてOKな感じ?ひどいね。大奥だね。え、これ全部顔と名前一致すんの?何人いんの?」

 もう興味が尽きない。

 これだけ女の子が周りにいれば、この女の子たち全員に恨まれるのだろうか。それはお断りしたい。

 だから描いてみる。四阿を囲む女の子たちを。

 怒った彼女たちに、また突き落とされる可能性がある。

 一人くらいならばまだしも、あれだけ女の子たちが来れば逃げ場がない。全て池に突き落としていいなら構わずやるが、さすがにまずかろう。


 女の子に囲まれて、池に飛び込みそうな自分を描いてそれを見せると、何と吹き出してくれた。

「いや、笑い事じゃなくない?これ、ありえるってことでしょ?」

 丁度ツワがお茶のおかわりを運んでくれたが、お腹を抑えて大笑いしないように笑っているフォーエンが、ツワに何か言った。彼女は、まあ。と言う驚き方をして、大層首を横に振ってくれた。

 描いた絵をフォーエンが見せると、なおさら焦ったように首を横に振る。

 何か訴えるようにツワが言った。隣でフォーエンは、何とかおさまりそうな笑いを手の平で隠しながら姿勢を戻し、そうして大きく首を振る。横にだ。否定してくれていると思われる。

 しかし、なぜ大笑いするかわからないのだが。


 フォーエンは描いた絵を線で消した。これはないのだと言うのだ。

 ツワが、うんうん頷いてくれる。

「やられたら、やり返すってだけなんだけどさ。ほら、右を打たれたら、左を打ち返せっていう」

 間違った言葉を連ねて、理音は頬を殴られた絵を描き、やり返す絵を描いた。


「私は、やるよ?」

 自信たっぷり言いやると、その意味わかってか、ツワがとんでもないと全否定してきた。 

 抑えてくださいと言わんばかりに、両手を使って止めようと仕草をする。横でうずくまっている男にも、止めてください。と言う。言っているであろう。

 なぜならその男は、お腹を抱えて声を殺しながら、笑いを堪えていたからだ。


 ともあれ、フォーエンは笑いを堪えながら、それはないのだと、だからやり返す必要はないのだと説いた。ただ食事中目が合うと、軽く吹き出して思い出し笑いをするので、やっていいんじゃないかと思わせられたのだが。

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