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二章開始です
いつものリビング。窓から射す夕日の光はカーペットを照らし、視界をほのかに温める。夏が近づいてきたこともあって、昼間よりも涼やかな空気が漂っていた。
「……あのよォ、嬢ちゃん」
「はい」
「言っとくがここにいるグーちゃんはつるぺったんでグラマーのグの字もないのにグーちゃんって呼ばれる幼女すれすれな少女だけどよ」
「はい」
「見た目通りの年齢じゃねェのよ。な? だからその目やめような?」
「どんな目ですか」
「この世で一番嫌われているといっても過言じゃねえ某下等生物を見るかのようなその目だよ! 嬢ちゃんみたいな年端もいかねェ子がする目じゃねェんだよ!」
「割と死線潜ってるんで」
「どういうことなの!? とりあえずやめよーなその目! そろそろ嬢ちゃんのお師匠さん悲しみで死んじゃうぞ!?」
「知りません」
「マグニ! 起きろマグニ死ぬんじゃねェェエエエ!!」
どれぐらいの時間がたったのだろう。いつのまにか師匠が帰ってきていて、リビングにいたグウィングルさんたちを見るなりなぜかとても慌てた様子で私の前に来た。
グウィングルさんは私と会っちゃまずい人みたいな反応だなあと思ったら、まさにそんな反応で私に説明し始めた。
曰く、グウィングルが何を言ったかわからないけどあまり気にしないでいい、だとか。
曰く、リリィにはまだ早いことだから忘れなさい、だとか。
―――最初こそ、私はグウィングルさんの方を疑っていた。だっていきなり家の中に現れた不審さの塊のような人で、そりゃあ過ごした時間の長い師匠の言葉の方が信頼できる。だから別に師匠に言われなくとも、グウィングルさんたちの言葉はあまり信じていなかったのだが……、師匠の丸め込むような言い方にだんだんと腹が立ってきて、思わず師匠を睨み始めていた。まさに師匠の態度が、グウィングルさんの言葉を証明しているようなものだった。
しかしそれにしては唐突に、師匠はその眉尻を下げてひどく落ち込んだような、困ったような表情をしたのが不思議である。私はとくに変な会話をした覚えはない。少し遠慮が無くなった物言いをしたかもしれないが、そんな覚えはないったらない。
師匠にもう一人恋人がいたことに関して私は結構な衝撃を覚えていた。この間会ったウリベルさんはとても綺麗で、優しくて、師匠とお似合いだと思っていたから、そんな人がいながらまさか年端もいかない少女とも関係を持っていることに愕然としたのである。欲張りなのか目移りが激しいのかはわからないが、師匠にウリベルさんはもったいないんじゃないかとも思った。
だからといって私の師匠に対する気持ちはそれほど変わらない。まあ、師匠はときどき本当に人だろうかって思うぐらい凄いことこなしちゃう人だけどまごうことなき人だと思うし、それに人って誰しも欠点があるいうことは本の中で知っている。どれだけかっこいい人でもどこかしらかっこ悪いところがあるものだ。女性のストライクゾーンが限りなく広いことだってままあるかもしれない。そして食指の動いた数だけ手を出してしまう人だって世界を探せばそれなりにいるだろう。綺麗なだけで生きていけるのは聖人だけだということも本の中に書いてあったから、みんな世の中で生きているうちは、程々に汚くなっていくのだ。だから私は師匠が恋愛事情に関して不貞を働いてしまうという欠点を持っていても、簡単に師匠に対して軽蔑の念を抱くとかいうことはない。ただその欠点が圧倒的に私にとってなによりも真っ黒に見えるというだけで、師匠に対する気持ちは変わらないのである。だから特に師匠をあんな表情にさせるような、変な言葉を言っただろうかと不思議に思った。
気が付いたら目の前にいるのが師匠からアインズさんに切り替わっていた。アインズさんの後ろの方で蹲る師匠の背中が見える。今は随分慌てた様子のアインズさんが蹲った体制のまま倒れ伏した師匠を宥めているようだ。
しかし、おかしい。私はこんなに師匠に対して冷たかっただろうか。不思議に思うも、師匠の傍に駆け寄ろうという気持ちが欠片も湧き起こらない。胸の底で煮えたぎるマグマのような熱いどろどろの燻りがそうさせるのだろうか。
「主よ。もうよいのではないか?」
声の主は私の膝の上にいた。座った私の膝の上で堂々と胡坐をかいたまま私を見上げている。師匠をちらと一瞥したその目は、近所の子供にむしられて花びら一枚しか残っていない道端の花を見るような目だった。
「あれほど哀れに落胆しておるのだ、そろそろ師匠たる尊厳を失いかねない。主の気持ちはわからんでもないが」
「気持ち?」
「癪にさわるのだろう。二股をかけるかの男の言動が」
「ちょっとオオオ嬢ちゃんだけじゃなくて付喪神の方もひどくね!?」
そうか、私は癪にさわっていた―――怒りを覚えていたのか。それで、師匠たちはあんな反応をしていたのだろうか?
「私、わかりやすかった?」
「主の目は表情の代わりに、如実な感情を写す鏡。さもありなん」
「……そっか」
それで私には怒っている自覚が芽生えなかったのだろう。師匠たちとの関わりでほぐれてきた心とは打って変わって、相変わらず私の表情筋は凍ったままであるらしい。―――いつのまにか隣に来ていたグウィングルさんの手が私の頭を一撫でしていった。
「しかしそこな男も男よな。半端に隠すより堂々たるほうが主にはよいというのに。いくらか前では大衆の面前で我関せずの振舞であったではないか」
どこか呆れた様相で、小人は言葉を吐き出した。その声を聞いて師匠は頬を床につけたままゆっくりとこちらを向く。一緒に黒髪がぺったりと床を這った。
「……あのさ、ところで君、誰なの」
「えっ」
「うぬ、そこからか」
「オイイイイ混乱しすぎだクソヤロー!!」
アインズさんの体が空中でもんどりうつ。どうやら小人と同じように飛べるようである。
状況が混沌とし始めたところで私は、「アインズさんとこの月瑞月の小人は同じ存在なのだろうか」と、いつのまにかグウィングルさんが用意してくれたお茶を飲みながら考えていた。
あ、おいしい。
*
お茶を半分ぐらい飲んだところで師匠が正気に戻り席に着いたので、事のあらましを簡単に説明した。この時点で私の中に混乱はない。あるのは状況やら自分の気持ちやら整理がつかず、混同し良くわからなくなった結果ひねり出された悟りである。
そして月瑞月が小人になったことに関してはもはや開き直ってしまうレベルだった。……もうなんか、色々起こりすぎたのである。
師匠は難しそうな顔をして顎に指を沿えた。
「ふむ―――リリィの魔力の素質から魔法の可能性は視野に入れていたがこうも早く昇華されるとは。しかし偶然の産物だし術式の固定化はまだ先……、これからは現象固定のために環境設定の一定化と魔力条件を厳密に―――」
「つまり?」
「その子が月瑞月であることは間違いない」
やっぱりですか。刀が小人に変化したことは現実であるらしい。膝の上にいる月瑞月を見下げると、月色の相貌にぶつかった。
「だから申したではないか主よ。我は月瑞月なりと」
「うん。そうみたいだ。疑ってごめん」
「疑念は当然。我も我が身の上でなければ疑ったであろう。これからも主が守り刀であらんとするのみ」
小人―――月瑞月は釣り目を弓形に和らげて笑った。私は一つ頷いて返した。
すると月瑞月はふわりと大口を開けて欠伸をして、
「すまぬ主よ。初の顕現、少々疲れた故しばし暇を取る」
「え?」
「では」
そう言うと、月瑞月の体が燐光を纏ったかと思うと、次の瞬間には刀の形をした月瑞月に戻っていた。思わず呆気にとられ、膝の上に横たわる月瑞月を見つめる。
見上げると、師匠は苦笑していた。
「どうやら姿を切り替えることができるみたいだね。これならこれからのリリィの武術鍛錬も大丈夫そうだ」
「……そうですね」
「彼、でいいのかな。今は寝てしまったようだけど、自由に動ける体を手に入れたようだからこれからのリリィの鍛錬も捗るんじゃないかな?」
そう言って笑う師匠の顔は楽しげだった。あるいは、面白そうに笑っているのだと思う。この様子だとどうやらいつもの調子を取り戻したようだった。
「それで、グウィングルさんは師匠とどのような関係なんですか」
「―――」
だが私は忘れていないですよ師匠。まだ師匠の口からしっかりとした答え聞いていません。そんな死んだ魚のような目をしたって聞くのはやめませんからね。
横目に見えるグウィングルさんの目は揺らいでいない。慌てた様子もないし、落ち着いてお茶を飲んでいる――カップにストローをさしてマフラーにくぐらせている――からこれは彼女にとって聞かれても問題ないことなのだろう。
つまりこのことに関して問題があると思っているのは師匠だけ。これはどういうことなんですかね師匠?
「先ほど、グウィングルさんとアインズさんからは、恋人関係だと聞きました。年齢も見た目通りじゃないので、都会で出没し逮捕されるような人たちの持つ変態的趣味嗜好を持ち合わせているわけでもないと」
「嬢ちゃんオイラそこまで言ってねェぞ」
てかこんなちまい嬢ちゃんにいらねェ知識教えたのは誰だゴラァ!!
外野が騒いでいるがすばやくグウィングルさんが首根っこを掴んで抑えてくれた。苦しそうだが、きっとぬいぐるみだから大したことはないだろう。
「でも師匠からはそういったことを聞いていません。師匠はウリベルさんが師匠の恋人だと言われました。ではグウィングルさんは? 二股かけて、どっちかが本命でどっちかがきーぷってやつなんですか? それとも逆?」
「キープ!? どこでそんな言葉覚えたの!?」
貴方の書斎の中にあった本からですよ師匠。小さく呟いて私は肩を竦めた。
……え、何ですってデータさん? 『子供らしくない仕草』? 今更だと思います。
「まあそんなことはどうでもいいんですが」
「えっ」
そう、どうでもいいんですよ師匠。
そう思うのは、師匠に師事を受けながら学び始めて、自分の生まれをだんだん把握していったことが原因である。把握するにいたる知識の出所は大体が家の書斎。私が脚立の上にさらに物を重ねて乗らないと届かない、本棚の高い位置にある本がどれもそういった本で、たぶん隠されたんだろうなあって感じた。私に対する配慮というか、思いやりみたいなのも知ることが出来てとても嬉しかった。
本棚の上層にあったのは、中々に複雑怪奇な関係性を魅力とする大人向け小説やエッセイの数々。師匠の書斎は広いから、師匠の好みの方向性がああいうものだとは思わないが、ああいったものを置いているということはそれなりに気に入っているのか、それとも別の理由があるからだろう。
そして知り得た知識から推測できる私の出生。
私が伯爵とかあさまの間に生まれた子どもであることは間違いないが、かあさまが伯爵家で下働きをしていたということはかあさまたちの関係は愛人関係であり認知されないものだったのだろう。だからこそあれだけ私たちを邪険にしたのだろうし。
つまり私は庶子。認知されない子供なのである。それでも伯爵にはかあさましかいなかったようだから、かあさまはまだ幸せであったのだろう。それだけが救いだ。
きっとあのまま伯爵家にいたら、あの男がどうにかして私を認知するか養子にでもしていたのだろう。データさんの知る『ゲーム』ではそんな設定だったし。……今は御免蒙るが。
そんな境遇の当事者だからだろうか。私の倫理観は少し壊れてしまったのか、一夫多妻やその逆、浮気不倫駆け落ち無理心中といったままならぬ愛の末の不徳行為に対して、憤りや違和感といったものを感じないのである。別にその行為を肯定するわけじゃない。一般的な交際と比べて圧倒的に不幸になる人が多くなるのだから、誠意を通したお付き合いが最適だろう。しかし儘ならぬ事情を抱えて、また交際当事者やその関係者が納得しているならそういう関係もいいのではないかと感じるのである。
かあさまはあれでいて幸せそうだった。伯爵に会いに行く前の日はどこかうきうきしていたし、帰ってきてからもしばらくは頬が緩んでいることが多かった。今となっては大変癪にさわることだったけれども、少なくとも、かあさまはあの関係に不満を抱いてはいなかった。身分差のある関係に諦めていた、ともいえるけれど、かあさまはあの状況の中で手に入れた幸福を大事そうにしていたようだった。
だから師匠に恋人が二人いようが、その片方が私とそんなに年の変わらなさそうな外見であろうが、師匠たちの同意の上であれば問題ないと思うのだ。
しかしそうでないのであれば別である。
「二股するなら堂々としてください。さっきの師匠、グウィングルさんとの関係を隠そうとしたじゃないですか。それグウィングルさんに失礼じゃないですか」
「り、リリィ?」
「別にいいじゃないですか、人それぞれで。私は良いと思います。昔のどこかの国では女の園が作られて、そこにいる女性はみんな王様のお嫁だったそうですし」
「え、えええ……」
師匠は困惑したように声を零した。
「リリィは……それでいいの?」
「いいです。詳しいことは見えないところでやってもらえれば結構なんで」
ただしウリベルさんとグウィングルさんに不誠実な態度をとることだけは嫌です。そして誠実な態度をとることで関係が破綻するなら、その程度の関係だったということ。争奪戦が発生したり泥沼の争いに発展したならそれは二股をした師匠のせいだ。
ということを言ったら、師匠は深く深く肩を落としてため息をつき、傍らのグウィングルさんは静かに私の頭を撫でた。
するとグウィングルさんの右手側、私の座る方とは逆の外套の裾がむくりと起き上り、もう一つのぬいぐるみが顔を出す。それはアインズさんと色違いのように見えるが胴体が短く、いうなれば腹話術のおしゃべり人形のような様相で、はくはくと動かされたその平たい口の部分には赤黒い文様が刺繍されていた。
「面白い子」
はくはく動く口から声がした。甲高い女の子の声だ。
「そして良い子」
右手のぬいぐるみの口先が私の右頬にぷにっと押し付けられる。
ちょっと驚いて瞬くと、視線の先のぬいぐるみがグウィングルさんに寄り添い、彼女の目が緩やかに細められたのが見えた。
笑っているのだろうか。
「わたしの口特別。普通に喋れない。だからこうして喋る」
くすくすと声の端々で笑いながらぬいぐるみが喋る。グウィングルさんはぬいぐるみを通して言葉を話すようだ。
ウィル、と師匠が諌めるように声を掛けた。しかしグウィングルさんは楽しそうに体を揺らす。
「マグニ、この子良い子。大丈夫」
その言葉だけで、師匠は引き下がったようで、少し乗り出していた体を戻し座りなおした。
この様子だ、グウィングルさんがいう「特別な」口はあまり公言したくないものなのだろう。しかしそれを私が知ってもいいのだろうか。
首を傾げた私に、グウィングルさんはもう一度ぬいぐるみの口を私の頬に押し付けた。




