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マグニさんに拾われてから三か月が経とうとしている。森から吹く風がだんだんぬるくなってきているので夏本番も近づいているのだろう。ようやくマグニさんに対する「師匠」っていう呼び方にも慣れてきたのだが、月日が経つのは本当に早いと思う。七歳児が何をという話なのだが。
この間アイクたちに、正式に私が師匠に弟子入りしたことを伝えた。今までは居候というかぼんやりした立ち位置で、伝えようにも伝えられなかったし、そもそも以前までの私は伝えようとも思ってなかった。しかしかあさまのことに関して彼らにはとても助けられたわけだから、伝える義理があると思ったのだ。……あと彼らは私のことを友達と思ってくれているみたいだし、私もその気持ちに答えたいというのもある。ともかくこのまま黙っているのはどうにも落ち着かなかったのだ。
話したところ、アイクとケイにはとても羨ましがられ、セリオはほっとしたような顔をし、テナはいつもどおりののほほん顔で拍手をしてくれた。反応は様々だったが、喜ばれていることはわかった。
マグニさん――師匠は、私が意識を飛ばした一件から立ち直ってから、もっと優しく、そして厳しくなった。以前よりもっと私の世話を焼いて知らないことを教えてくれるのだが、それと同じかそれ以上に師匠の指導が激しくなったのである。師匠曰く「弟子ということだからね、しっかり鍛えていくよ」とのこと。データさんは『飴と鞭の落差がとんでもないことになった』とぼやいていた。それは確かにそうなのだが、私の成長を見つつ私ができるぎりぎりのところを次の課題として用意してくれるので、私としてはやりがいがあってとても嬉しく思っている。ちょっと前に「日が暮れる直前まで森の中で走り回っていなさい」と言われたときは流石に面食らったが。私の魔術はまだ実用には程遠いので要は危ない敵に見つかることなく、かつ全力で動き回れるようにということだったのだが、『レーダー』を常時展開しながら走り回ることになった。ちょっと生きた心地がしなかった。
とまあ武術はこんなかんじで、体力づくりを中心に行っている。魔術のときでも徹底的に基礎から学ばされたのでとくに不満はない。
魔術の方は少しずつ進歩していると言えなくもない。各属性の最下級魔術である『玉』の威力を徐々に調整できるようになってきているし、同時にいくつか発動させて宙を漂わせることもできるようになった。師匠は三十個ぐらい浮かばせてみせたのでまだまだ道のりは遠いと思う。
師匠から借り受けた月瑞月に魔力を込める作業も毎日続けている。魔力操作の鍛錬になるし、魔力は放っておくと少しずつ大気に漏れていくので、毎日込めるだけの隙間ができるのである。月瑞月を使えばその隙間も大きくなるし、使わなければ小さい。最近は振るうたびに切先から零れる魔素を見ることができるようになった。
そう、今私は魔力操作と並行して「目」の制御も行っている。勿論眼鏡を付けたままであるが。この眼鏡は余剰魔力を抑えるだけでなく魔力の精密操作にも一役買っている。例えば米粒の選別に自分の指じゃなくてピンセットを使っている感覚というか。細かい作業をするのにとても楽なのである。まあ眼鏡がなくても制御ができるよう頑張るのが目標なのだけれど。
そして今私はリビングで、眼鏡ごしに「目」の制御をおこなう訓練の最中である。
むむん、と目に力を入れると視界がにわかに色づき始める。視界の全体が輝いたらその明度を下げ、対象に焦点を当てる。次に対象以外の明度彩度を下げ最終的には対象以外の魔素を見えなくする―――これが訓練の仕方である。
対象は月瑞月。毎日私が色んな魔力を込めているおかげで身の回りのどの物より光り輝く存在になっていた。勿論人もいれれば師匠が最たるものである。訓練を始めたころに制御を誤って師匠を見てしまい再度目を焼いてしまったのがもはや懐かしい。この一件から私の「目」の訓練のときにはしばらく師匠が付きっきりだった。
しかし今はそんなこともない。師匠は今外出中―――つまり今私は一人で訓練をしているのである。これは着々と成長できている証拠だろう。うん、ちょっと誇らしい。こうして少し考え事をしながら月瑞月を『見』ることもできるのだから、中々の進歩なんじゃないかな?
見つめる先の月瑞月は見事なマーブル模様である。空に浮かぶ虹にも見えるし、水に混ぜた絵具にも見える。しかしそのすべてが混ざり切ることはなく、それぞれがしっかりと確立し流動しながら様々な色――魔力と混ざり合っていた。
(そういえば)
まだ混ぜていない魔力があったこと。そして、『見』ながら魔力を込めたことがないことを思いだした。
やってみようか、いやしかし師匠もいないし。そう悩むも興味はつきない。
この魔力の混ざりは楽しいのだ。刀の形をした光の中で色が渦巻くさまは見ていて飽きない。いつも魔力を込めている掌がうずうずしてくる。
やっちゃう? やっちゃう?
『後悔先に立たず』
……行動しない後悔より行動した後悔だって、こないだ『ビーストさんとエルフさん』で読んだ!
*
データさんの世界での言葉に後押しされて思い切ってしまった私だが。
『後悔先に立たず』
あれは後押しではなく忠告の言葉だった。よくよく意味も考えず、聞き返さなかった私が悪かった。……目の前にぶら下がった好物に飛びついたというか、興味のあることを前に冷静じゃなかったというか。
好奇心は猫をも殺す。要は私の見通しが甘かったということなのだが。
「流石にこれは予想できないって……」
「いかがした主よ。我に問いたいことでも?」
「うんだいたい全部」
「なんと」
リビングで聞こえるのは二つの声。一方は私、もう一方は私の目の前。私よりはるかに小さい背丈で幼い顔・声を持ちながら私の目線に合わせる―――宙に浮いている小人ともいうべき存在。艶やかな黒髪は夜の湖のような滑らかさで、左は短く切りそろえられ、右は目尻を掠めるように肩口に流れている。白い人形のような肌に浮きだつ黒い睫が添えられたのは一重の鋭利な目。釣り目がちなそれは私と同じ月色の目をしている。露わになった左耳には光を受けて万色の反射を湛える丸い水晶の耳飾りが煌めいていた。
身に着けているものは不思議な服だった。前開きに見える紫色の服を左前で合わせ、腰に朱色と金色が交互に編みこまれたような平らな紐を結んでいる。紫色のそれは太ももあたりから毛糸がほつれたような、または蜘蛛の巣の網目のような、何とも言えない隙間を作っていたが、ちらちら足元を漂うことはなくきちんと裾でまとまっている。まるで下の部分だけ切り絵にしたようだ。
小人は露出度高めな裾を翻し、私の目の前で豪快な胡坐をかいた。その瞬間に足をぴったりと包む黒い――スパッツ、だろうか――が脛まで覆っているのが見えた。
ああ、データさんが今情報を伝えてくれた。この小人が着ているのは着物というそうだ。
「なにをそんなに狼狽えるか主よ。我は生まれるべくして生まれたものぞ」
「い、いや、そうはいってもね? あの、やっぱり信じられない、というか」
「我は正真正銘月瑞月。彼のものより主の手に渡った主が守り刀なり」
やっべえ宣言されてしまった。
『リリィは 現実から 逃げられない!』
やめて! データさん私を追い込まないで!
―――そう、今この場に、先程まで私が『見』ていた月瑞月はない。そして代わりにこの小人型月瑞月がいる。
状況を整理しよう。
私は好奇心の突き進むままに月瑞月を『見』ながら魔力を込めはじめた。込めたのは光で、視界の月瑞月に白っぽい金色が混じり始める。最初は周りの色に負けて見え隠れしていたが、次第にその姿は細い糸のようになり月瑞月の形に添うように流れ始める。
このとき私はなるほど、こうして魔力は流れるのかと感動していた―――が、今はこう思う。水のように混ざる四つの色と、糸のように月瑞月の形にそう糸の形をした色。どう考えても様子が違うんだからもうすこし考えろと。
私はつい、この状況で調子に乗って次の魔力――闇を込めはじめてしまった。光の魔力を注いでいるときに案外併用は可能だと感じてしまったのである。馬鹿。考え無し。
そうして込めはじめた闇の魔力は薄黒く煙のように月瑞月の中を漂い始めた。このとき私は初めて思ったのである。なんかほかの魔力と様子が違くない? と。ええい遅いわ馬鹿たれ。
ふわふわと不明確な闇の魔力は彷徨うようにして、徐に光の魔力に絡みつき、途端その姿は明確になり糸が編みこまれるように光の魔力と混ざりはじめる。
そして光の魔力と闇の魔力が完全に噛み合った瞬間―――月瑞月が輝き始めたのである。光と闇の魔力の網の中で今まで混ざり合うことのなかった四つの魔力が溶けるように混ざり始めたのを見て、私は戦慄した。あ、これあかんやつや、と。
それはもう狼狽えた。なにかへまをしてしまったのか、制御を間違えたのかはわからない。わからなさすぎてどうしていいかわからず、ただ月瑞月の前でおろおろとするばかりだった私はかなり滑稽だったと思う。
もし月瑞月が壊れたらどうしよう。でもこれ以上手出しして状況が悪化したらダメだ。だけどこれ怒られるやつだよね? 壊したらだめだよね? ていうか何が起こるのなにがどうなるの! 思考は堂々巡りを繰返していて、私は大混乱していた。
そして月瑞月の輝きが極まって思わず目を閉じ、次に目を開けたら―――この小人が宙に浮いて私を見つめており、私はさらなる混乱の境地に立たされた。
「なにが、どうして、こうなった……!」
わけがわからない。しかしこの小人が明言していること、さらに魔力を『見』ると小人が抱く魔力の様子が直前の月瑞月そっくりで、現実味が増してしまう。
「我とて驚愕した。自我あれど外界に出ること叶わず。もう幾年か待たねばならなかったのだが」
「え? 出れるものなの?」
「然り。我なるものは付喪神なるもの」
「こいつぁ驚いた! 人工生成の付喪神かい!」
「かい」
「魔導生物の最先端はまだそこに辿りついていねえはずなんだがなあ、嬢ちゃんなにもんだ?」
「だ」
「そういうおぬしは誰ぞ。これは不法侵入というやつではあるまいか?」
「え?」
「え?」
「え」
―――気が付いたら自分の横に、知らない人がいる。何が何だかわからないまま見上げると、そこには私より少し背が高いくらいの、……変な人がいた。
頭も含め全身を覆う茶色の外套はぶかぶかで、フードには何故かうさぎさんの耳のような大きい飾りがひざ下まで落ちている。それだけでも異様なのにその外套はいたるところにパッチワークが縫い付けられていて、可愛らしいんだか不気味なんだか。ほつれたぬいぐるみのようである。
……いや、実際にいるんだけれども。ぬいぐるみ。そう、奇抜な見た目をしたぬいぐるみが、外套の裾の先から。
「オイラァアインズってんだ。で、こっちはグウィングル。厳つい名前だがれっきとした女だ!」
「だ」
「おう嬢ちゃんすげェびびってんな。そーだろそーだろ、オイラみたいなもんはそうそう見れるもんでもねェからな!」
ぬいぐるみが、喋っている。外套の裾から飛び出た、蛇なのか猫なのか犬なのかわからない、ボタンの目がチャーミングなぬいぐるみが、その口をはくはくと動かして、野太い声で喋っている。
しかも全力で動く。自慢げなその言葉に合わせてそれはもう、長い体をぐいんぐいんとぶん回して。
「おおっと、このグウィングルことグーちゃんはな、喋るのが苦手なんだ。だから代わりにオイラが喋ってんのよ。容赦してやってや」
「や」
うさ耳フードを被った人はグウィングルさんというらしい。アインズというぬいぐるみが言うように――ぬいぐるみなのか? 腹話術なのか? いやでも月瑞月が目の前にいる現状ぬいぐるみが喋ってもおかしくない気がするんだけど。いや、おかしいのか?――女性らしい鈴のような声をしている。本当に鈴の音みたいに、一度響いたら溶け消えるくらいの短い言葉しか口にしていないが。
フードから除くのはちょっと眠そうな赤のたれ目と赤いくせっ毛。口元はマフラーで覆われていて顔の全貌を見ることはできない。しかし師匠やウリベルさんほど大人には見えそうになかった。
何が何だかついていけないが、とりあえずは。
「こ、こんにちは。グウィン、グルさん、アインズ、さん?」
「おう! 礼儀正しい嬢ちゃんは嫌いじゃねェぞ!」
「ぞ」
「んと、師匠―――マグニ師匠のお知り合い、でしょうか」
緊張して少し前のどもりが戻ってしまったが――最近になってようやく舌が言葉についていくようになった――要件を聞いてみる。この家は師匠の家だから、危ないものや人は入ってこないと師匠本人が言っていた。
するとグウィングルさんはそのたれ目を少し見開いて、アインズさんは不可解そうにぐるんと首を勢いよく傾げた。半周ぐらいしていないだろうか。
「嬢ちゃんオイラたちのこと聞いてねェのか?」
「か?」
「はい。まったく」
こんな目立つ人、又聞きでも忘れられないインパクトだと思う。
「あんにゃろー忘れてやがんな! ったく変なとこで抜けてるヤローだぜ」
「ぜ」
「ようし嬢ちゃん聞いて驚くな! 何を隠そうここにいるグーちゃんことグウィングルは!」
喜怒哀楽激しくその身をぶん回すアインズさん。声はとても低くて威圧感たっぷりなのに肝心の体が大変コミカルな仕草でかなりちぐはぐだ。あまりに奇天烈で戸惑ってしまう。
「君が師匠と呼ぶマグニの恋人なのだー!!」
「なのだー」
びっしぃ! と言った感じでポージングを決めた一人と一個のぬいぐるみを前にして。
私は目を点にした。
「―――」
あたまのなかがまっしろになる。
「……―――」
ここはいつから混乱の境地から混沌の渦へと転換したのだろう。
『あいつロリコンかよ』
「主よ、主が師匠は特殊性癖でも持ち合わせておるのか?」
ごめん二人とも黙ってて収集つかない。
第一章終了です!