【番外編】人生クソゲー
ブラック企業を解雇され、伊豆スマートシティの裏で働く男の悲惨な境遇
越谷庸介は、自分の人生を呪っていた。
柿枝政権が『ヘブン』の運用を大々的に発表したあの秋。第一志望だった優良企業から、「今後の経営方針の抜本的見直しのため」という紙切れ一枚で、あっさりと内定を取り消された。
その後、這うような努力で潜り込んだのは、大物政治家、高井戸家系列の『株式会社ハイウエル』という情報システム会社だった。だが、そこは地獄だった。来る日も来る日も深夜残業と休日出勤。モニターの光に照らされた越谷の顔は常に土気色で、目の下には消えないドス黒い隈が刻まれていた。
その死にそうな形相から、いつしか先輩社員たちからは『デスさま』などという不名誉な渾名で呼ばれるようになっていた。
(もう辞めよう……。こんな都会のIT奴隷は辞めて、田舎でのんびり農業でもして暮らしたい……)
そう本気で考えていた矢先、会社から突然の「全SE解雇」の通達が出た。なんでも会社が情報通信業から『完全総合栄養食』の製造業へと大幅に舵を切るため、不要なシステム部門を丸ごとリストラするというのだ。
「……ふざけんな。人生はクソゲーだ」
それが、越谷の口癖になった。
途方に暮れ、ハローワークの帰りに駅前で配られていたチラシが、彼の目に留まった。
『株式会社CPS社員募集! ITと全自動農業を融合させた新世代のシステム開発! 衣食住の完全保障あり!』
これだ、と思った。
ITの知識を活かしつつ、夢だった農業に携われる。トントン拍子で採用が決まり、東京での短い研修を終えた直後、彼は目隠しをされるような厳戒態勢で『転勤先』へと運ばれた。
連れてこられたのは、高い壁に囲まれた伊豆スマートシティだった。火山性ガスのために封鎖され『忘れ去られた土地』となった伊豆半島。
そこで彼を待っていたのは、特権階級どもが食べる『最高級の温室メロン』の全自動農業機器を、二十四時間三百六十五日、二交代制で保守し続けるという地獄の奴隷労働だった。
住まいはカプセルホテルのような狭い穴倉。衣服は支給される作業服のみ。そして食事は、あのハイウエルが製造しているという銀色のパッケージの『栄養バー』だけが山のように配給された。だが、越谷には一つだけ、譲れないこだわりがあった。
「こんな棒切ればっかり食ってられるか。食の喜びを失ったら、人間終わりだ」
彼は配給の栄養バーを一辺倒にせず、形が悪くて廃棄される規格外のメロンや、プラントの隅でこっそり育てた野菜を使い、狭い居住区で細々と自炊をして腹を満たしていたのだ。
――それが、彼の命運を分けた。
配給の栄養バーには、CPSの労働者から思考力と反抗心を奪うための『微量の向精神薬』が混入されていたのだ。自炊のおかげで洗脳成分の摂取量が少なかった越谷だけは、周囲の同僚たちが異常なほど従順な笑顔で働き続ける中、徐々にこの環境の異常性に気づき始めていた。
「なぁ、おかしいと思わないか? 俺たち、もう何ヶ月も太陽の光を見ていない。それに、上の奴らから聞こえるあの下品な笑い声は何なんだ? 俺たちはアイツらの奴隷じゃねぇんだ!」
休憩室で、越谷はついに同僚に愚痴をこぼしてしまった。
洗脳されきった同僚の瞳孔の開いた笑顔が、ゆっくりと彼に向いた。
「何を言っているんだい? 僕たちはCPSの誇り高きプロスタッフだよ。会社のために働くのは、最高の喜びじゃないか」
翌日のシフト明け。越谷の狭いカプセルルームの前に、黒服の警備員たちが立っていた。
「越谷庸介さん、君は現在の労働環境に不満があるそうですね。会社は君の意思を尊重し、君を最優先でヘブンへと移行させることを決定した。栄転おめでとう」
「は……? いや、待て、俺はそんなこと希望して――」
抗議の言葉を最後まで言わせる事なく、スタンガンが彼の首筋に押し当てられた。
薄れゆく意識の中で、越谷は同僚たちが「彼、ヘブンに行けてよかったね」「本人の希望が通ったんだね」と無邪気に笑い合う声を遠くで聞いた。
(ああ……やっぱり、この世界はクソゲーだ……)
江東区の処置センターへ送られ、冷たい手術台の上で意識を抜かれるその瞬間。激務と過労でボロボロだった越谷の人生は、暗闇の中へとプツリと途絶えた。
――はずだった。
「……ここは、どこだ? 俺は死んだのか?」
上も下もない。真っ白で、どこまでも続く空間。
かつて激務で過労死寸前だった越谷は、黒くて丸い球体に綴じ込まれた最後の記憶から、ここにいるまでの事を覚えていない。何が起きているのかわからず、戸惑うように震えていた。
すると、空間の中心に眩い光を纏った美しい女神が姿を現し、慈愛に満ちた声で語りかけた。
『いいえ、ここは次なる世界への待合室。あなたの肉体は滅びましたが、あなたの魂は救われました』
「じゃあ、俺はどうなるんだ? 元の世界へ戻れるのか?」
『いいえ、それはできません。ですが、悲観することはありません。新しい世界へ転生させてあげましょう』
女神が腕をさっと振ると、空間に無数の扉が出現した。
ある扉の奥には剣と魔法が支配するファンタジーの世界が、またある扉の奥には宇宙を駆け巡るロボットが戦う景色が広がっている。
『さあ、選びなさい。あなたがかつて夢見た世界です。自らの望む新しい世界で、もう一度、新しい命として生き直すのです』
「う、嘘だろ……これって、まさかのテンプレ!」
『ええ。あなたたちの世界では、確かこれを『異世界転生』と呼んでいましたね。さあ、行ってらっしゃい。今度こそ、良き生を全うするのですよ』
越谷は「せっかくだから、俺は赤の扉を選ぶぜ」と歓喜の声を上げ、赤色の扉へと飛び込んでいった。
(了)
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ぜひ本編『天国の嘘』、スピンオフもよろしくお願いします。




