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第十話 嘘つき(後編)

前話の続きです。

お楽しみ頂けると幸いですが、感想を頂けるともっと幸いです。



「アユム……?」


呼ぶ声が森に吸い込まれて消える。三六〇度、ノゾミが周囲を見渡してもアユムの姿は何処にもない。


「アユム!」


もう一度、ノゾミは叫んだ。だが、何も無い。何も返ってこない。ノゾミ自身の声だけが虚しく反響する。

音の無い世界。それを認識した途端に世界が崩壊する。葉は瑞々しさを失ってハリボテに。樹の幹はまるで子供が塗り潰した絵の様に平面的に。現実が絵に。絵は線に。線は点に収縮し、世界が黒で塗りつぶされた。

世界が壊れていった。空虚がノゾミを蝕む。

誰もいない。

何も無い。

ノゾミは不意に胸の痛みを覚えた。何かが、何かが失われてしまった様で息が詰まる。呼吸が苦しい。息が苦しい。生き苦しい。


「苦しいかい?」


突如としてノゾミに声が掛けられ、ノゾミは顔を上げた。

見慣れたブレザー。少し明るい栗毛色の髪に大きめで釣り上がり気味の一重の眼。ノゾミがよく知っている人物。


「お前は……!」

「誰か、なんて事を聞くのは無駄だって事は君なら知ってるだろう? そこまで愚かじゃないと僕は信じてるよ」


「希」はノゾミに向かってそう言うと小さく笑った。

――落ち着け。冷静に考えろ。

胸元を強くつかみ、そう頭の中で繰り返す。ついさっきまで森の中にいた。そこからどこかに一瞬で移動するなんて有り得ない。ならばこれは幻だ。誰かが「僕」を惑わそうとしているんだ。


「確かにここは幻だよ。君が見ている僕の姿も幻だ。でも僕という存在は紛れも無くここに在る」

「違う。お前は俺じゃない。俺はここにいる。お前なんて実際に存在するはずがない」

「いや、僕は確かに存在しているよ」


希はそう言い切ると、うずくまるノゾミの周りを回り始める。


「君と僕は同じ存在かも知れないけど、同時に別の存在だ。君だって切り離して考えてるだろう? 現実世界の僕とこの世界の僕、それらは別物だと」

「確かにそうだ。だが実際にそんな事があるはずがない」

「どうしてそんな事が無いと言い切れる?」

「それは……」


言葉に詰まるノゾミ。希はノゾミの返答を待たずに言葉を続けた。


「元は同一の存在であっても、認識の数だけ存在は、世界はそこにある。君が認識する僕、伊吹さんが認識する僕、佑樹が認識する僕、母さんが認識する僕……たくさんの僕がたくさんの世界で存在している。普段たくさんの僕が同時に見えないのは、ただ単に元が同一の存在が同時に存在する事をその世界が容認できないから。ただそれだけに過ぎないんだ」

「ならこの世界は……」

「この世界だってムリだよ? でも今この場所は君が見ている幻だ。そしてここは複数の僕が在る事を許容される場所でもある。だけど本質はそこじゃない。ここは君が想像し、創造した現実なんだ」

「こんな場所を俺が作ったっていうのか? こんな俺とお前以外誰もいない、こんな場所を……」

「そうだよ。正確には僕『たち』だけどね、まあそれはいいや。『藍沢・希』の本質として、他者の存在を必要としていない。それどころか疎ましいとさえ思ってる」

「バカにするなよ。そんなわけあるか。確かに周りの人間を疎ましいと思うことはある。だがそれは一時的な感情だ。そんな気持ちを抱くことは誰にだってあるだろう? 本気でそんな事を考えてなんてない。第一、誰にも頼らず生きていくなんて不可能だ」

「君の言う通り最初は一時的な気持ちだった。色んな人に助けられて僕も母さんも生きてきたのは知ってるからね。感謝の気持ちを忘れない様に、常に自分に言い聞かせて暮らしてきたし、母さんが頑張ってる姿もずっと見てきた。だから母さんを始めとして色んな人に本当に感謝してるし、だからこそ少しでも恩を返そうとバイトだって始めた」

「ああそうだ」

「でも、だ。僕は思った。僕はどうしてこんな生き方をしてるんだろうって。その疑問はとても罪深いことだ。そんな事を考えた自分を恥じて、口には出さずにそっと自分の中だけに仕舞っておいた。だけど、それは抱いてはいけない疑問だったんだ。疑問は疑念に変わり、取り巻く環境への猜疑に変わる」

「やめろ。それ以上言うな」

「感謝の気持ちは誰に向けたものだ? 誰のために僕は働いている? 自分が感謝しないといけないのか? 物心ついた時から苦労させられて、今の境遇を作ったのは自分じゃない、周囲の自分以外の人間じゃないのか?」

「やめろ」

「どうして自分が両親の尻拭いを手伝わないといけない? 自分の人生は何処にある? 『お母さんの為を想って偉いね。』そんな褒め言葉で僕は何を得られた? 頑張って勉強して、良い高校に入学して良い大学に入って良い会社に入って、そこで僕は何を得られる? 周囲が求めるレールの上に乗っけられて、それに抗う勇気も無くて、そこから降りる事で失われるものに恐怖して、いつまでも不特定の他人の掌の上で生きていかなくちゃならない」

「やめろぉぉぉっ!!」


ノゾミは耳を塞いだ。体を丸めてうずくまり、全てを拒絶する様に、小さな子どもの様に絶叫した。


「だから僕らは拒絶するんだ。自分を取り戻すために。誰にも左右されない、誰のものでもない僕らになるんだ。ここに僕らしかいないのは、そんな僕らの想いの発露なんだよ」


希はノゾミに近づいてしゃがみ込むと、頭に手を遣り優しくノゾミの頭を撫でる。


「ここには誰もいない。僕らしかいないんだ。当たり前の話だけど誰よりも君を理解している。故に君を縛らない。君を拘束しないし、指図も無意識の強制も無い。居心地の良い世界だろ? だから君はここにいれば良い」


掛けられた声は優しかった。頭を撫でる手も暖かかった。

優しい言葉を信じたい。けれどもノゾミはその言葉を信じない。信じられない。

何故ならば、希は嘘つきだから。ずっと周囲を騙して生きてきた嘘つきだから。

優しい息子を演じて母親を騙してきた。賢い真面目な生徒を演じて教師を騙してきた。当たり障りの無い笑顔を浮かべた差し障りの無い存在を演じて友人を騙してきた。

そして自らをそういう存在だと自分自身を騙してきた。

コイツは嘘つきだ。俺を騙そうとしている。耳障りの良い言葉を並べ、俺をコイツが望む方へと連れて行こうとしている。

ノゾミは乗せられた手を掴んだ。ノゾミが手を取った事で希は笑顔を浮かべ、ノゾミの手を引いて立ち上がる。

ノゾミもまた立ち上がり、顔を伏せたまま体だけ希と二人で向き合う。


「ココには何も無いけど、外よりはマシだよ」


――甘い言葉を吐き続けるコイツは何だ?


「なんたって僕らが僕らでいられるんだからね」


――嘘を吐き続けるコイツは何だ?


「それじゃ、行こうか?」


――コイツは


「敵だ」

「え?」


希の頭に突き付けた拳銃。その引き金をノゾミはためらいなく引いた。

飛び出したのは弾丸。軽い音を立てて希の頭を撃ち抜く。

笑顔を貼りつけたまま倒れていく希。その頭からは何も零れ落ちない。


「だってお前は嘘なんだからな」


世界にヒビが走る。黒一面の壁にガラスの様に線が走っていく。壁が崩れる。天井が崩落する。幻が終わり、また現実が始まる。


「誰かの思惑に乗ってなんて、誰がしてやるもんか」


崩れていく世界に向かってノゾミは吐き捨てる。そして小声で呟いた。


「俺は俺が創造する」


そして世界が溢れた。




いつの間にか閉じていた眼を開くと、ノゾミの視界に入ってきたのは元の森。枝葉は瑞々しさを取り戻し、涼し気な風が囁くような葉擦れを起こす。


「あ、あれ?」


声に反応して振り向けばアユムがキョトンとしてキョロキョロと見回している。

小さく息を吐き出すと、ノゾミはアユムを無視して足元にうずくまる人物を見下ろした。


「アンタが本物のエルフィーだったんだな」


感情を混じえずに確信した事実を述べるノゾミをうずくまる影――ミレイは、血を流し続ける左目を押さえて睨みつけた。


「どうして……!」

「さあな? 見せる幻を間違えたんじゃないか?」


小馬鹿にするようにノゾミは小さく哂う。見下されたミレイは整った、真っ赤に染まった顔を憤怒に歪ませると後ろに跳躍。残った右目が零れ落ちてしまいそうな程に眼を見開いて体を震わせる。


「よくも私の美しい顔に傷を……」

「顔に穴が開いて良かったな。醜いモノが流れ出てもっとキレイになってるぜ? 何なら鏡を貸してやろうか?」

「仮にも女の人なんだからそれはひどいんじゃない?」

「そうか?」


状況を理解したらしいアユムがノゾミの隣に並び、それに適当に相槌を打ちながら手の中の銃を弄ぶ。足元にはユンが、そしてノゾミの頭の上にはいつしかアルルが座っていた。


「お前は、お前だけは絶対に許さんぞ……」

「そりゃこっちのセリフだ。よくもまああんだけ性質の悪い幻を見せてくれたもんだよ」

「全くだよ! せっかく忘れてたのにさ。……この代償は大きいよ?」

「ほざけ!!」


半眼でミレイを見据えるとアユムは剣を腰構えに構えた。

ミレイが怒声とともに手を空に掲げる。瞬間、付近の空間がわずかに歪む。そこから現れるのは、先ほどアユムが切り捨てたはずの小さな妖精たち。その数は十や二十では終わらない。

神経を逆なでするクスクスという白痴の笑い声を上げ、空へと舞い上がる。クルクルと円を描くように飛び回り、そして――


「殺せぇっ!!」


ミレイの絶叫と同時に氷の雨が降り注いだ。

幻覚を見せられる前とは比べ物にならない数の槍が落ちてくる。更には一つ一つの槍が一回り大きく、頑強。アルルとユンがシールドを展開し、ぶつかった衝撃に激しくシールドが揺れる。ぶつかり砕け散った氷が耳障りな程にけたたしい音を立てて地面に落ちていく。

このままではシールドが持たないと判断したノゾミが後退。一方でアユムは前進。かする程度の物は無視して、致命傷になりそうな物だけを切り落とし、また肩に飛び乗ったユンのシールドで防いでミレイに肉薄する。


「はああああぁぁぁっ!」


雄叫びと共に光一閃。鋭く横薙ぎに振り抜かれたそれをミレイはかろうじて避け、だが避けきれず胸元に一筋の傷が走り、秀麗な顔を更に醜く歪ませた。


「貴様ァァァッ!」


しかし苛烈な攻勢をアユムは止めない。

――怒り狂ってるな

アユムの姿を見てノゾミは率直にそう感じた。

アユムもまた憤怒と喜悦に顔を歪ませていた。怒りは見せられた幻に対して。歓喜は怨敵を切り刻める事に対して。ノゾミと同じ様にアユムも幻を見せられたのは間違いない。

ノゾミが見たのは自らの姿。ならばアユムが見たのは何だったのか。怒りをアユムが見せる事は少ない。少なくともノゾミは初めて見た。

未だノゾミとアユムは知り合って一ヶ月程度。互いのバックグラウンドを知り得ないし、無理に知ろうとも思わない。

だが、見せられたものが何であれ、アユムの不快さは理解できる。

なぜなら――


「俺も同じくらい怒り狂いたい気分だからな」


誰にともなく小声でつぶやくと同時にノゾミの周囲が歪む。それは先程大量のエルフィーが現れた時と現象は同じ。しかし何かが決定的に違った。

魔力が溢れる。世界が魔で満たされる。その源泉でノゾミは体を大きく震わせた。


「グ…グ、ガ……」


誰かに踊らされるのは自分が弱いから。抗う力が無いから。それを是としていた「希」がノゾミは腹立たしい。

ノゾミは足を止めて自らに埋没する。アルルの盾もすでに限界。ガンガンと打ち鳴らされるシールドにヒビが入る。ノゾミも小さなエルフィーたちの攻撃にさらされて小さな傷を無数に作っていく。

もっと、もっと力を。ノゾミは渇望する。誰にも負けない力を。

耐え難い痛みが内からノゾミを蝕む。それは身の丈に合わない魔力故か、持ち得ない自らの姿をソウゾウする矛盾故か。

強く、あれ。想いが現実を凌駕しろ。

ただ、願う。真摯に願う。ひたすらに願う。

そして願いは自らを塗り替える。


「ノゾミ、くん……?」


背後からの光に、攻勢を仕掛けながらもアユムは振り返って言葉を失った。

発光源はノゾミの正面。ノゾミの目の前でシールドを展開して魔法の氷槍を防いでいたアルルから。

光の洪水の中でアルルの体が変化する。ノゾミの頭に乗る程度の小さな体躯。だが光に包まれ、奔流が消え去った後に現れたのは大人の女性と同程度のサイズ。輝く銀色の髪はそのままに成長した姿は、流れの中で身を任せるかのようにフワリと浮き上がる。そして、魔法の洪水をこれまでの壊れそうな程に不安定なものではなく、強固な壁で全てを受け止める。

アルルは優しげに眼を細めるとそっと両手でノゾミの顔を包み込んだ。

ノゾミとアルルの影が重なる。口付けるように、優しく、優しく。

その瞬間、一際激しく光が広がっていった。


「ああ……」


光が収まっていき、ノゾミの口から満足気なため息が漏れた。そこにアルルの姿は無い。立っているのはノゾミだけ。


「何だと……」


だが代わりに現れた物に、アユムは愚か、ミレイでさえも足を止めた。先ほどまでのアユムの剣戟も、それをいなすミレイの防御も止み、目の前に広がる世界から眼を離せない。


「貴様は……貴様は一体……」


ガチガチとミレイの歯が音を立てる。感じる威圧に恐怖を禁じ得ない。

ノゾミを囲むように展開されたのは、夥しいまでの銃。拳銃から狙撃銃、果てはバズーカと思しきものまでありとあらゆる種類の銃が空を覆い隠す。そしてその一つ一つから凄まじい魔力が溢れて示威している。

ノゾミが空を見上げた。そこで捉えたのは、銃と同じ様に覆い尽くさんばかりのミレイが召喚したエルフィーたち。視界の中にそれらを全て収める。

空が閃光で埋め尽くされた。

全ての銃から発射された光弾。そして実弾。何の前触れもなく発射されたそれらは寸分の狂いなくエルフィーたちを貫く。


「なっ!」


ただの一瞬。瞬きすら許さない程の刹那。それだけの時間で百近いエルフィーたちは全て消え去った。後にはキラキラと陽光に反射する粒子のみ。それすらも瞬く間であり、すなわち、何も残らない。三人を除いて。

有り得ない。ミレイは眼を見開き、呆然とノゾミの姿を見た。

言葉も出ない。自身が召喚したエルフィーたちがいた場所を眺めるしかできないミレイを、ノゾミは冷たく見据えるだけ。


「さて、これで邪魔はいなくなったね」


アユムが嗤う。手の中にある光の剣が少しだけ強く輝き、剣としての本懐を遂げるのを今か今かと待っている。


「ま、まだよ! まだ私は貴様たちなんかにっ!」


黒髪を振り乱してミレイが絶叫する。高速で何かを唱える。あがきとも思えるその行為。しかしノゾミもアユムもそれを妨害するでも無く、アユムは気怠げに、ノゾミは拳銃を肩に担いだ姿勢で待っていた。

ミレイの姿が変化する。長かった黒髪がショートカットに、面長だった顔が丸顔に。空色のマントに紅いチュニック。少なくともノゾミにはアユムの姿に見えた。


「ノゾミくん」


本物のアユムと同じ声で、同じ口調でミレイはノゾミに話しかける。

これも幻。幻像。ため息混じりにノゾミはつぶやく。自分にはアユムに見える。なら、アユムには誰に見えているんだろうな?

氷の槍を宙に携えてアユムがノゾミに近寄ってくる。その仕草までアユムそのもの。


「これでも私を殺せるかな?」

「ああ」


ミレイの問いにあっさりとノゾミは首肯した。


「え?」


驚きの声を聞きながら、ノゾミはあっさりと銃弾を放った。

銃弾は頭を撃ち抜き、同時に首から剣が生える。作り物の笑顔を貼り付けたまま、アユムの姿をしたミレイは光へと還っていく。

そして隣には本物のアユム。

足元には碧色の宝石が転がり、それをノゾミは拾い上げる。


「これで全部で四つ、か」

「何なんだろうね?」

「さあな。意味があるんならその内分かるだろ」

「考えても分かんないものは分かんないしね。ところでさ」

「なんだ?」


宝石をポケットに仕舞うノゾミに、アユムは少しためらい、そして問いかけた。


「最後、ミレイさんの姿って誰に見えた?」


一瞬だけノゾミは答えに詰まった。そしてそれを誤魔化すように、逆にアユムに尋ね返す。


「そういうアユムは?」

「私? 私は…自分自身だよ? 自分を刺すなんて何かヤな気分だったけどね」


で?と改めてアユムはノゾミに問い直し、今度はノゾミも淀みなく、少しだけ笑いながら応えてみせた。


「俺も同じだよ」




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