第二章 共犯者の手綱
そんなエブリバディゴーズに、妙に気に入られた騎手がいた。
半田という男だった。
かつては将来を期待された騎手だったが、数年前の落馬事故で大けがを負った。復帰はしたものの、以前のような騎乗はできなくなった。
大きなレースからは声がかからず、今では調教の手伝いや条件戦への騎乗で、どうにか生活している。
競馬場の片隅で、誰にも気づかれずに年を取っていく。
半田自身、そんな人生を受け入れかけていた。
初めてエブリバディゴーズに乗った日、彼は馬の目を見て妙な気持ちになった。
似ている。
何が似ているのかは分からない。ただ、そこには自分と同じような、どこにも行けない者の目があった。
「お前も、ここが嫌なのか」
半田が首筋を撫でると、馬は小さく鼻を鳴らした。
もちろん、馬が人間の言葉を話すわけではない。
それでも半田には、何かが伝わってくる気がした。
ここではないどこかへ行きたい。
歓声も、ファンファーレも、順位表もいらない。
ただ、まっすぐ走りたい。
「そうか。俺もだよ」
半田は小さく笑った。
彼はそれから、エブリバディゴーズに無理な矯正をしなくなった。
馬が外を気にすれば、少し待つ。コースの端に寄ろうとすれば、力ずくで引き戻すのではなく、馬の様子を確かめる。
もちろん、危険な動きは止めなければならない。騎手として、それだけは譲れなかった。
だが、馬をただ従わせることが正しいとも思えなくなっていた。
「おい、半田! あの馬を何とかしろ!」
調教を見ていた亀崎が怒鳴った。
「何とかって、どうすればいいんですか」
「普通に走らせろと言っているんだ!」
「普通に走らせるのが、一番難しい馬なんですよ」
亀崎は頭を抱えた。
その日の夕方、半田は石浜のところへ行った。
「先生。あいつ、いつか本気で逃げますよ」
「いいじゃないですか」
石浜は、馬房の向こうに目をやった。
エブリバディゴーズは、柵の隙間から遠くを眺めていた。
「逃げ切れると思いますか」
「さあ。でも、逃げたいと思っている馬に、逃げるなと言い続けるのも酷でしょう」
「競馬は勝負ですよ」
「そうですね。だからこそ、勝負の外に何があるのか、彼には見てほしいんです」
石浜は少し笑った。
「半田君。君も見たいでしょう?」
半田は答えなかった。
見たいのかもしれない。
自分もまだ、どこかへ行けるのだろうか。
そんなことを考えながら、半田は馬房の扉に手をかけた。




