第1話「氷の檻に咲く白蓮」
登場人物紹介
◇白玲玉
名家である白家の庶子として生まれたが、古の伝承にある「龍脈と共振する稀有な力」を持って生まれた青年だ。
その特異な性質を不吉なものとして疎まれ、地下の書斎に閉じ込められて育った。
自分を「無価値な虫けら」だと思い込んでおり、臆病で控えめな性格だ。
しかし、その芯には凛とした強さと、他者を慈しむ清らかな霊力を秘めている。
皇帝の身代わり花嫁として入宮し、運命が大きく動き出す。
◇蒼龍帝
広大な帝国を統べる若き皇帝だ。
龍の血を引き、その身に強大な魔力を宿している。
冷酷非情な統治者として恐れられているが、それは瘴気に侵されゆく帝国を守るための孤独な決意の裏返しでもある。
αとしての圧倒的な威圧感を放つが、唯一の共鳴者である玲玉に対しては、狂おしいほどの独占欲と深い愛情を見せる。
冷たい地下の空気が、肌を刺す。
そこは太陽の光さえ届かない、石造りの地下室だった。
白玲玉は、古びた書物の表紙をなでながら、低く重たい天井を見上げた。
幼い頃からこの部屋が彼の世界のすべてだった。
αとβが支配するこの帝国において、玲玉は異質な存在だった。
かつてΩと呼ばれ、今は龍脈共鳴者という仰々しい名で忌み嫌われるその性質は、玲玉から自由を奪った。
彼が深く祈れば、周囲の草木は異常なほどに青々と茂り、感情を昂ぶらせて涙を流せば、枯れ果てた池に水が満ちる。
その正体不明の力を、白家の当主である父は「化け物の力」と呼び、玲玉を地下に封じ込めた。
「玲玉、そこにいるか」
重い石の扉が開き、松明の明かりが差し込む。
現れたのは、腹違いの兄だった。
兄は低俗なものを見るように鼻を鳴らし、足元に豪華な衣装を投げ捨てた。
「明日、入宮の儀がある。皇帝陛下が、白家から妃を出すよう命じられた。本来ならば妹が行くはずだったが、あんな恐ろしい男のもとへ行かせるわけにはいかない」
玲玉は伏せていた目をゆっくりと上げた。
「私に……どうしろと言うのですか」
「女装して、身代わりになれ。どうせお前のような役立たず、宮廷の隅で誰にも気づかれずに朽ち果てるのがお似合いだ。陛下は冷酷な方だ。もしお前の正体がバレて殺されたとしても、白家には関わりのないことだ」
玲玉の指先が、冷たくかじかんだ。
拒否権などないことは分かっている。
自分はこの家にとって、都合のいい道具に過ぎない。
「わかりました。……それが、私の役目だと言うのなら」
玲玉の声は細く、震えていた。
兄が去った後、彼は再び静寂に包まれた。
薄暗い明かりの中で、投げ捨てられた衣装の絹が、皮肉なほど美しく光っている。
◆ ◆ ◆
翌朝、玲玉の体はきつい帯で締め上げられ、幾重にも重なる薄衣で包まれた。
長い髪は美しく結われ、顔には化粧が施される。
鏡の中にいたのは、自分であって自分ではない、美しくも悲しい偽物の花嫁だった。
◆ ◆ ◆
揺れる輿に揺られながら、玲玉は自らの運命を想った。
噂に聞く蒼龍帝は、血も涙もない暴君だと言う。
気に入らなければその場で首をはね、龍の炎で焼き尽くす。
そんな場所へ、自分のような出来損ないが行って何ができるだろうか。
◆ ◆ ◆
宮殿の門をくぐると、空気の質が変わった。
重厚で、それでいてひりつくような緊張感が漂っている。
玲玉は視線を落とし、ただひたすらに自分の気配を消そうと努めた。
自分はただの影だ。
誰の目にも留まらず、ただ静かに消えていく存在なのだと、自分に言い聞かせた。
◆ ◆ ◆
案内されたのは、後宮の奥深くにある広大な広間だった。
龍の彫刻が施された柱が立ち並び、床には目の覚めるような赤い絨毯が敷かれている。
「白家の娘、前へ」
威厳のある声が響いた。
玲玉は心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖に耐え、畳んだ膝を床につけてひざまずき、頭を垂れた。
「……お顔を、上げてください」
その声は、想像していたものよりもずっと深く、そして静かだった。
玲玉は震えながら、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先にいたのは、玉座に座る一人の男だった。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪に、燃えるような金の瞳。
その男、蒼龍帝から放たれる圧倒的な覇気に、玲玉の息が止まった。
周囲に控える臣下たちが一様に顔をしかめるほどの、強大な霊力の圧。
それが、玲玉の肌をなでる。
龍帝はゆっくりと立ち上がり、玲玉の方へと歩み寄ってきた。
一歩、また一歩。
その足音が死神のカウントダウンのように聞こえる。
玲玉は恐怖に目を閉じ、これからの運命を覚悟した。
偽物だと罵られ、地下の牢獄へ送られるのか、それともこの場で命を落とすのか。
しかし、期待していた衝撃は来なかった。
代わりに、温かな、驚くほど大きな手が、玲玉の顎を優しく持ち上げた。
「……白家の娘ではないな」
龍帝の言葉に、周囲が騒然となった。
白家の使者たちが真っ青になって震え出す中、玲玉は絶望に包まれて龍帝の瞳を見つめ返した。
だが、その金の瞳に宿っていたのは、怒りではなかった。
それは、深い渇きを癒やされた者が見せる、狂おしいほどの情熱と歓喜だった。
「朕が千年待ち続けた、龍脈の共鳴者。ようやく見つけたぞ」
龍帝の声が、玲玉の耳元で甘く響いた。
その瞬間、玲玉の中に眠っていた霊力が、龍帝の魔力と共鳴して激しく脈打った。
かつて感じたことのない、熱く、切ない衝撃が体中を駆け抜ける。
玲玉は、自分が何者なのか、そしてこれから何が始まるのかも分からぬまま、その圧倒的な光の中に飲み込まれていった。




