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口付けは永遠に


「ひゃうっ!?」


 指先が白いキャンバスの滑らかな表面にそっと触れたその瞬間、やや鼻にかかった少女の悲鳴とも吐息ともつかぬ声が頭上から聞こえて、弘樹は思わず動きを止めた。

 ふわりと動く長い亜麻色の髪と尻尾から、僅かに甘く芳しい香りが漂ってきた気がして、せっかくの集中を削がれた弘樹は嬌声の主に抗議の視線を向ける。


「なんだよ」


「いえ、ごめんなさい。その、くすぐったくて」


「我慢しろ」


「は、はい……んっ!?」


 そう返事をしながら、その舌の根も乾かぬ内にまたも声を漏らした少女は、今や心配になるほど顔を真っ赤に染めながら懸命に何かを堪えるようにその端正な口元を結んでいた。

 指先が滑らかな皮膚の上を撫でるように進むたび、ビクリビクリと反応するミユの細い胴体は弘樹の指の感触から逃れるように右に左に揺れては逃げる。


「おい動くな。書きにくいぞ」


「す、すいません。でもっ、こんなの」


 謝っているという事はわざとではないのだろう。懸命に耐えているらしいことは顔を真っ赤にしながら唇を噛んでいる少女の表情を見れば何となく分かる。

 しかし、白く柔らかいキャンバスは弘樹の指先が触れる度にますます激しく跳ねるように揺れて、どころか書き進むごとにどんどんと腰をくねらせ艶めかしく動くようにまでなっていき、書き記そうとする弘樹の名前を乱れさせるのはどうにかならないか。

 強く押し当てればその強すぎる刺激は少女の身体を跳ねさせ、かといって弱すぎれば少女の甲高い嬌声が部屋に響く。


 もはや進退窮まった弘樹はただひたすら、何も考えず無我の境地で少女の嫋やかな胸元に己の名前を血で書き記していた。

 薄暗い部屋の中、半裸にさせた少女の身体に血で己の名前を書くなんて、何も知らない人間が見たら怪しげなカルト宗教の儀式か何かだと思われるだろうが、しかしやっている側からするとそれ以上に危ない行為である。


「おし、出来た」


 どうにかこうにか血の滲む指先で跳ねる少女の肉体に己の名前を書き終えた弘樹が呟くように声を上げると、強く瞼を閉じていたミユが恐る恐る目を開ける。

 白い肌に血で書かれた武藤弘樹の文字は薄暗い部屋の中にあってくっきりと見えて、人形に書いた時よりも数段と禍々しい雰囲気を醸し出していた。


「これでこの後は」


 言いかけた所でふと、この後の手順を思い出した弘樹がチラとミユに目をやると、もう顔色が朱を通り越して赤になりつつある少女はこちらの視線に気が付いたのか飛び上がらんばかりに身体を硬直させて俯いた。

 そう、先ほどの手順に従えばこの後、契約の相手にキスをする事になっているのだ。こんな幼い見た目の少女を裸にした挙句キスをするなんて下手をしなくても問題になりそうな気もするが、しかしこれは契約の為であって何か不埒な目的がある訳ではない。


「……あの、お願いします」


 しかしここへきて嫌がるのかと思いきや、予想外にも既に覚悟を固めているらしいミユは、今にも消えそうなほど小さな声でそう言って静かに目を閉じるとそっと顔を上げた。

 上半身裸で小さな胸を両手で隠したまま目を閉じているミユへゆっくりと歩み寄ると少女の白い肩が僅かに震えているのが見て取れて、どうにも悪い事をしているような気分になった弘樹は桜色の少女の唇を前にほんの少しだけ躊躇する。

 しかし、唇を突き出してくるミユの顔が既に書かれた血文字よりも真っ赤になっているのを見て、あまり時間を掛けるのはそれはそれで残酷なような気がしないでもなく。


「んっ」


 そっと唇を重ねた瞬間、少女の小さな可愛らしい鼻から甘い息が漏れた。

 途端、ふわりと漂う花のような甘い香りと柔らかくしっとりとした唇の瑞々しい感触が伝わってきて、やがて触れた唇の先から僅かに伝わる少女の震えが弘樹の脳髄を埋め尽くす。

 少女の裸の背中に思わず回していた腕が細く華奢な腰を抱き寄せるが、ミユはそれに特段抵抗する様子もなく小さく息を漏らすばかり。

 最初は強張っていた少女の小さく細い身体も段々と緊張が解れて来たのか少しずつ力が抜けてきて、やがて弘樹にされるがままになっていた。


 が、そのまま数秒。やがて10秒ほどが経過しても少女は一向に離れる様子がない。

 こいつ、このまま唇を離さなかったら延々とされるがままなのではないだろうか。そんな邪な考えが頭を過るも、しかし今はそれどころではないと考えを改める。

 今はミユと契約を済ませる事が最優先であり、先ほど契約で人形を相手に口付けさせられた時も触れたのは一瞬。そんなディープなやつはしていないのだから、単に契約するにはこれだけキスすれば十分だろう。


 僅かにではあるが少女が自ら唇を蠢かし始めた気配を感じつつ弘樹が唇を離すと、固く閉じられていた瞼の向こうに現れた水色の瞳とばっちり視線が絡み合う。

 息が苦しかったのか、トロンとした目でこちらを見る少女に、何故か一抹の気まずさを感じた弘樹が何も言わず一歩離れると同時、少女の胸元にから記された『武藤弘樹』の血文字が青色に光り始めた。

 それを見て驚いた様子の少女が自分の身体に確かめるように触れる中、薄暗い部屋の中に眩しく迸る青い光は周囲の机や本の山に怪しく影を作り出し、例の契約が順調に始まったらしいと見て取った弘樹がほっと肩の力を抜いたその時


「痛っ!?」


 突如、少女の悲鳴混じりの叫び声が部屋に響くや否や、ミユは何かに耐えるようにその場に蹲った

 苦しそうに両手で抑えているのは青色に光る文字が刻まれた少女の胸の辺りで、どうやらその部分に苦痛を感じているらしい。


「う、ぁあっ!?」


「おい、大丈夫か?」


 急に苦しみ始めた少女に一体何事なのかと驚いた弘樹が声を掛けるも答える余裕がないのか、ミユは苦痛の息遣いを漏らしながら何かに耐えるように歯を食い縛りながら床に倒れ込む。

 このまま死んでしまうのではないかと思ってしまうほどの痛がりように、流石に心配になった弘樹が慌てて駆け寄ると


 「身体が、燃えそうに痛いです……!」と少女は息も絶え絶えに訴えてくる。その震える声には一抹の余裕も感じられず、どうやら本気で苦しんでいるらしいと気が付いた弘樹はぞくりと血の気が引いていた。

 実際に契約とやらをやってみたのはこれで二度目。一度目はあの人形相手にやっただけで、そもそもこれがどういう物なのかも分からない弘樹からするとこれが成功しているのか失敗しているのか、正しい状態なのかどうかも分からないのだ。

 何かの手違いで魔物使いの契約とやらが失敗してしまったのかもしれないが、仮にそうだったとしてその失敗にどう対処していいのかも知らない。


 しかし手順もやり方も先ほどの人形を相手にした時と全く代わらない筈である。こんな簡単な工程で何かミスのような物をやらかしたとも思えず、可能性として考えるなら幾ら魔物とはいえ人間相手には契約が出来ないのか。

 あるいは先ほどの人形相手にははっきりと分からなかったが、もしかしてこの魔物使いとやらの契約には痛みが伴うのだろうかと考えを巡らせていた弘樹の思考を少女の更なる悲鳴が掻き消していく。


「ああぁああぁっ!?」


 いたいけな少女が端正な顔を痛みに歪めているのをどうにかしようとしても、契約を途中で止める方法も失敗した時の対処法も知らない弘樹には手の打ち様がない。

 それでも何か出来ないかと床の上で苦痛の悲鳴を溢しながら痛みに藻掻く少女に手を差し伸べると、苦痛に耐えるように瞼を固く閉じたままのミユはその掌に縋るように両手で強く強く握り締める。


 永遠にも思える時間の末、やがてミユの白く細いその肉体から浮き上がってきたのは、先ほどの不細工な人形から立ち上ったのと同じ青く透明な文字。

 空中に浮かび上がった武藤弘樹の名前がするすると伸びた青白い光の筋となって止め処なく捻れ回転し、やがてミユが握り締めている弘樹の掌へ、未だ血の滲む指先へと吸い寄せられるように絡み付いていく。

 感触はない。血の出ている指先が少女に強く握られて少し痛むだけだが、得体の知れない光に纏わり付かれるというのは決して気味の良い物ではなく、指先に巻き付いて薄っすらと消えて行った光の糸を見ながら弘樹は自然と眉間に皺を寄せていた。


 光が消えると同時、ミユが握っていた掌から力が抜ける。荒い息を吐いてぐったりしたように床に倒れて動かない少女の姿に、弘樹が思わず抱き起こすと、ミユは薄っすらと目を開けて小さく呟くように


「これで、契約できたってことなんでしょうか?」と絶え絶えな声で言う。


 血で身体に描いたはずの弘樹の名前は既に少女の身体から完全に消えており、白くきめ細い滑らかな肌には血の染み一つ残ってはいなかった。

 途中、ミユが苦しみ始めた時はどうなるかと思ったが、どうやらこれは問題なく契約に成功したらしいと判断した弘樹は、そこで深く安堵の息を吐いて頷く。


「完了したみたいだな」


「私、びっくりしました。こんなに痛いなんて思わなかったです」


 半裸のまま床の上にへたり込みちょっと涙目になっている少女の言葉は、なんだか少し嫌らしい意味に聞こえなくもなかったが、しかしまぁ終わりよければ全てよし。

 やはり先ほど契約したのはただの人形であり、痛みなんて感じていなかったという事なのだろう。


 これで二度目になる契約は相も変わらずやっている最中こそ冷や冷やさせてくれるものの無事に終わってみるとやっぱり何の実感も湧かないのだが本当にこれでいいのだろうか。

 指先に出来た傷以外には痛みもなければ特別な何かを感じる事もないが、と己の指先を改めて見てみると、名を書き記すのに使った人差し指の爪先に、先ほど人形と契約をした時にも現れた赤い血の色の不可思議な模様が浮かび上がっていた。

 赤く細かい線が何本も並ぶこの謎の紋様にはどんな意味があるのか弘樹には全く分からなかったが、しかしこれが出ていることそれ自体は先ほどの人形との契約と同じであり、成功した証拠と言えるのかもしれない。


「なんなんだろうな、この模様」


「模様、ですか?」


 どうにか身体を起こせるようになったらしいミユが起き上がって弘樹の爪に出来た赤い模様をしげしげと眺める中、弘樹は周囲の机の上で山となっている適当な書類の束で指先に残る血の跡をゴシゴシと拭き取ってみる。

 付着した血は綺麗になっても、爪に残る不思議な模様はやはり落ちるような様子はなく、それを見た弘樹はやはりこれは件の契約による物なのだろうと曖昧に理解していた。


「なんか気持ち悪いな。女じゃあるまいしなんで爪にこんな変な模様を」


 生憎と爪にベタベタと落書きをして喜ぶような趣味は持っていないのだ。しかも左手の爪の先に一本だけ変な模様が付いている、というのはどういう事なのか。

 なんかデザインも線と点だけで意味が分からないし、見た目も血の色で汚らしいし赤が目立つし、せめて少しでも落ちないか、と強めに爪の表面をゴシゴシ擦ってみても全く消える様子がない不気味なその紋様は室内で燃え続ける暖炉の火に照らされて怪しく光っていた。



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