職級
「ヒロキ様、お水をどうぞ」
「おう」
最後の造魔を倒した弘樹が剣を鞘に収め、荒い息を吐きながら地面に転がる造魔の上に勢い良く腰掛けると、すぐに駆け寄ってきたミユが水筒らしき皮の袋を渡してくれた。
受け取った弘樹が額から流れる汗を拭いながら袋の口を縛っていた紐を解いて口を付け一口飲むと、水筒の中身は冷たい水で満たされていて腹の底から運動後の火照った身体を冷やしてくれる感触が心地よい。
喉の渇きに命じられるままに二口三口と勢い良く水を飲み込んだ弘樹は、そこでようやくほっと息を吐いた。尻の下に転がる造魔は先ほどまでの戦いが嘘のようにピクリとも動かないままだ。
「手を怪我されてますね。すぐに手当てします」
水を飲むこちらを笑顔で見守っていたミユが、何かに気が付いたのか唐突にそう告げてその場に膝を付くと自分のポーチを広げ始めた。傍らでテキパキと手際よく治療の準備を始めたらしい少女にされるがまま、右手の篭手を外された弘樹が汗の滲む自分の掌を見てみると、確かにいつの間にか皮が赤くべろんと剥けてしまっている。
今の戦いで攻撃を喰らった覚えはないので、恐らくこれは造魔の剣撃による物ではなく、単に自分が慣れない剣を扱ったせいだろう。
学園長に貰ったこの剣の柄には滑り止めの為だろうかザラザラとした皮革のような物が巻かれておりグリップも良くて扱いやすかったのだが、握り慣れないそれを何度も振り回していたせいか少しずつ掌の皮膚が剥けてきてしまったのだ。
戦いの最中は夢中で気が付かなかったが、こうして一息吐いている今は運動後の汗が傷口にヒリヒリと滲みる痛覚が徐々に冷えつつある身体に不快感を齎している。
「くそっ、なーにが守護霊石だ。普通に怪我してるじゃねえか」
「これは多分、致命傷にならないような小さな物だから発動しないんだと思います」
思わず吐き捨てた弘樹の言葉に手当ての準備を始めていたミユがそう訂正するが、そういえば小さな攻撃には効果がないとか何とかシンシアが言っていた気がする。
流石に手のひらの皮がちょっと剥けたくらいで発動していたら大変か、と先ほど受けた守護霊石とやらの説明を思い出していた弘樹は、ふと眼前の少女が手当ての準備をしているのを見ながらある事に気が付いた。
「しかしお前、篭手を付けてたのに良く怪我に気が付いたな」
「あ、その、ヒロキ様の掌からちょっとだけ血の匂いがしたんです」
「血の? におい?」
「私達のような猫人は人間の方よりちょっと鼻がいいと言われているので」
言われて弘樹も篭手を嗅いでみるが、長らく倉庫か何処かに入れっ放しになっていたのだろうか、ちょっと埃っぽい臭いがするだけで血の臭いなんて全く感じられない。
特に鼻を近付けた訳でもなく、ちょっと皮が剥けただけで大量に出血した訳でもないのに、あっさりこちらの怪我の有無を見抜くのはやはりこの少女は自分とは身体の構造が根本から違うという事なのだろうか。
こうして見ている感じでは外見上、ミユの小さく整った可愛らしい鼻は犬や猫のようなそれではなく普通の人間と特に違いは無さそうに見えるのだが。
流石は獣人なんて呼ばれるだけの事はあるのかもしれない、などと考えていると、ミユはポーチから取り出した何かの瓶を開き、弘樹の掌に掛け始めた。液体が触れる冷やりとした感触と同時、チリチリとした痛みが掌に走り弘樹は思わず眉を顰める。
「痛ぢぢ、染みるぞそれ」
「ご、ごめんなさい。でもその、消毒しないと戦技が使えないので」
「すきる?」
「えと、出血はあまりないみたいなのでこのまま傷口を塞ぎますね」
そう告げたミユは小さな両手で怪我をした弘樹の掌をまるで巣から落ちた雛鳥でも拾うような丁寧さで包むようにそっと握り、水色の瞳をそっと閉じると何事か意識を集中させ始めた。
一体何をするつもりなのか、目を閉じたまま動かない少女に弘樹が問いかけようとしたその瞬間
「治癒」
ミユが一言呟くように唱えると同時、眩い緑色の不思議な光が少女の掌から溢れて弘樹の手を包み込む。やがてその光が手の中で小さくなっていくと同時、弘樹は自分の掌にじんわりと暖かさを感じていた。
例えるなら春の日差しのような、ぽかぽかとした柔らかい熱が手の奥から脈打つように湧き上がってくるその感覚が広がる中で、自分の掌にヒリヒリと感じていた痛みが段々と治まってきた弘樹は思わず目を丸くする。
やがて隙間から零れ出ていた緑色の光が完全に消え去り水色の視線をゆっくりと開いたミユは、こちらを窺うような上目遣いを向けながら優しく包んでいた弘樹の手をそっと離した。
「どう、でしょうか?」
少女に問われるがまま己の掌をしげしげと眺めてみると、つい今し方まで完全に赤く剥けていた筈の掌の皮が元通りに塞がっている。
正確に言えば剥がれた皮はまだくっ付いてはいたが、その下に新しい皮膚がしっかりと出来上がっていて滲んでいた血も完全に止まっていた。
「嘘だろ!? 治ってるぞ!?」
「良かった。肉体の持つ再生能力を早めて塞いでいるんです」
「すげえ! どうなってんだこれ!?」
先ほどまで汗が滲んだだけでヒリヒリとしていた傷が完全に塞がっている様にはただただ驚くしかなく、弘樹は歓声を上げながら何度か手を握ったり開いたりを繰り返して感触を確かめる。
剣を握って鞘から抜いてみても握る感触には全く違和感もなく、それどころか激しい運動の後だというのにミユに治療された掌だけは妙に疲れを感じていない。
「痛みはどうですか?」
「もう痛くない。というか、何となく疲れも取れた気がする」
「筋肉の損傷による疲労ならこれでもある程度緩和できますので」
「これ最強じゃねえか!」
こんな簡単に怪我から疲労まで治せるなんて最早医者要らずの凄まじく便利な能力である。これならどんな大怪我をしても大丈夫なのか、と思ったのだが
「い、いえそんなこと……これで治せるのは手が触れられる範囲の小さな怪我だけなんです」
ミユは弘樹の言葉を聞いて恥ずかしそうに、それでいてちょっと困ったように首を振った。手を翳すだけでどんな怪我でも治せるなんて流石にそんなに美味しい話というのは無いらしい。
とはいえ小さな怪我でもヒリヒリ痛いのは不愉快だし、それが疲労と共に治るとしたらこんなに役に立つ能力はないだろう。
「一応、またお怪我しないように予防として包帯だけ巻いておきますね」
治療のお陰でもう既に治っているのだが、皮が剥けていた部分にテーピングまでする念の入れようは手厚いというよりむしろちょっと気恥ずかしくなるほどで。
倒れた造魔の上にどっかと座っているこちらの横でちょこんと膝を付いてせっせと包帯を巻いてくれる小さな少女の姿を見ていた弘樹は思わず呟いていた。
「お前、中々に役に立つ奴だな」
主がぽつりと溢した言葉に包帯を巻く手を止めたミユは心底驚いたような表情を浮かべて顔を上げ、萌黄色の瞳が輝く垂れ目をまん丸にしながら
「ほ、本当ですか?」
と確かめる。別に誰もこんな事で嘘を吐いたりはしないだろうに、まるで思ってもみなかったと言わんばかりの顔でこちらを見上げる少女の真っ直ぐな視線とばっちり目が合った弘樹は自分の中の正直な感想を口にする。
「当たり前だろ。怪我を治せる上に疲れまで取れるって滅茶苦茶便利じゃねえか」
こんな魔物だの剣だの魔法だのが当たり前に存在するらしい世界ではこうして怪我を手当てしてくれる存在がいるというだけで心強いことこの上ない。
どう見ても自分より幼く気弱そうな少女は見た目こそ愛らしいもののとても戦えるようには見えず、正直言うと戦力としては全く期待していなかったのだが、まさかここまで役に立つ存在だとは思っていなかった。
弘樹の台詞にパッと表情を明るくしたミユはちょっとだけ頬を赤らめると同時、少し面映ゆそうに目を伏せるとこちらの掌に包帯を巻く作業を続けながら
「あ、ありがとうございます。 その、私が役に立たないのでガッカリさせてしまったかと思って」
そう自分で言っていてちょっと自信を無くしてきたのか顔を俯け始めていた控え目な少女に、暇に飽かせた弘樹は包帯が巻かれているのとは反対の腕で眼前で揺れるふわふわの猫耳を弄りつつ
「まぁ俺もこういう試験だとは思ってなかったからな。だが十分役に立ってるから問題ない」
「は、はい!」
弘樹の言葉に嬉しそうに返事をしたミユは主の腕の包帯を巻き終えると、手元のポシェットから小さな花柄のハンカチを取り出し、それで甲斐甲斐しくこちらの額や顎の周りに滲む汗を丁寧に拭い始める。
その手付きはまるで王侯か貴族にでも仕えているような恭しさで、特に何か頼んだ訳でもないのにハンカチで汗を拭くのみならず戦いの最中に付いたであろう制服の砂埃まで払われた弘樹は、少女に世話されるがままに任せているとなんだか自分が急に偉くなったような少々むずがゆい気分だった。
しかし、可愛い女の子にあれこれ世話を焼かれているのは男として嫌な気分のはずもなし。こちらが休んでいる間に主の周囲であくせくと動き回るミユもそれが自分の仕事だと信じて疑わないようで、そんな働き者の少女に向けて何か言おうかとも思った弘樹はとりあえず好きにやらせておく事にして一先ず向こうから歩いてきた学園長とシンシアに視線を向けた。
「いやいや、驚いたわい」
杖を片手に芝生の生い茂る訓練場を庭先を散歩でもするかのようなのんびりさで歩いてきた学園長が笑顔で話しかけて来る。横のシンシアは倒れた造魔から例の魔鉱瓶を抜き取って回収しているらしく、地面に転がる鎧の内側から紫色の欠片の詰まった瓶を引き抜いて回っている。
「初心者だというから儂もそのつもりじゃったが、まさかここまで戦えるとはのう」
何故か少し嬉しそうな学園長の言葉に、手元の水筒からもう一口だけ飲んだ弘樹は軽くなったそれを傍らのミユに返すとぼんやりと今の戦いを振り返っていた。
昔から運動の類は決して嫌いではなかったが、しかし別に何かしらの心得があったりする訳でもないのに自分がこれほどまでに戦えるとは、というかここまで剣が使えるとは思っていなかった。
そして実際問題、今の戦いにしてもかなりキツイ戦闘だったような気もするが、しかしこうして終えてみれば若干の疲労感こそあるがもう動けないというほどバテてもいない。
「ヒロキ様、本当にこれまで剣の訓練とかしたことないんですか?」
「ない。全くない。さっき言っただろうが」
これまでごく平凡な生活を送ってきた身であり本物の剣はおろか剣道すらやった事がなく、更に言えば他に特に武道などの訓練をしていた訳でもない。
こういった方向には完全な素人のはずなのだが、扱い方も分からぬまま見様見真似で適当に振ってみただけで結構やれる物だ。
しかし、そんな弘樹の言葉を聞いてミユは水色の目を真ん丸にして薄金色の耳をぴんと立てると心底驚いたように声を上げた。
「えぇ!? でもヒロキ様はまだ職級契約されていませんよね? それであんなに戦えるんですか?」
「クラス? なんだクラスって」
「おぉ、そうじゃな。職級契約も済ませておかねばなるまいて」
すっかり忘れていた、と言わんばかりにポンと手を打った学園長に弘樹が説明を求める目を向けると、それを察したのか言葉を続けたのはすぐ横に立つミユだった。
「えと、職級というのは簡単に言うと小隊における役割のことです」
そこで一端言葉を切ったミユは、水色の視線を彷徨わせ少し言葉を選ぶように話を続ける。
「使徒様と契約して戒律という約束を守る限り、各自の役割に応じた加護を受けられるんですよ。例えば前衛の職級なら力が強くなったり、後衛の職級なら魔力が増えたり」
「儂等のような人間は魔物や他の種族に比べ脆弱で魔力を扱える者など一握りじゃ。その力を底上げできるのが職級契約なんじゃよ」
クラス、パーティ、戒律。知らない単語が次々と出てきて、何が何だか分からない弘樹が目を白黒させている姿を見たのか、学園長が助け舟を出すようにミユの説明を引き継いで解説する。
二人の説明を聞いてもイマイチなんだか良く分からないが要するに『力を底上げ』ということはどうやらそのクラス契約とやらをすると何かが強くなったりするという事なのだろうか。
そんな魔法みたいな話があるのだろうか、とも思わないでもなかったが、しかしここは元居たのとは違う世界。血で名前を書くだけで魔物を操れるようになったりするのだからそれくらいのことは起こってもおかしくないのかもしれない。
「そのパーティってのは?」
「小隊は冥宮の探索をする為のチームです。例えば今の造魔との戦いだと、私とヒロキ様が一緒に行動するパーティですね」
「探索者はパーティと呼ばれる小さな部隊単位で行動するのが慣例での。その中で職級という役割に応じて協力し合うことで強大な魔物に立ち向かうことが出来るでな」
「なるほどな、つまり俺はこれからそのチーム内での役割とやらを決めるってことか。例えばミユは何の役割なんだ?」
「私は癒療士です。誰かを治療したり癒すのが役割ですね」
だから俺の怪我を治したりもできるという事なのだろうか、なんとなく話が読めてきた気がした弘樹は一歩先を読んだつもりで
「じゃ俺の役割は魔物使いか?」
これまでの話の流れからそういう事かと思って聞いた弘樹の言葉に、学園長はあっさりと首を横に振った。
「魔物使いは加護であって職級ではないのじゃが……まぁ細かい説明はともあれ、まずは実践と行こうかの」
学園長が振り返ると造魔の死体から魔鉱瓶を回収し終えたらしいシンシアが、懐から平べったい銀色の何かを取り出してこちらに歩いてくる。
「ほら、これが神具だ」
ぽんと何の気も無しに渡されたそれは、弘樹の掌より少し小さいだけの一枚のメダルだった。一本の茶色い紐が輪になって通してある辺りこれをオリンピックのメダルよろしく首にでも掛けられるようになっているのだろうか。
手の中で弄んでみるとずっしりとした重厚で冷たく硬い感触が指先に伝わり、同時に銀色に鈍く輝くメダルの表面に何かを象ったゆるやかな凹凸が付けられているのが目に入る。
天を突かんばかりに反り立ち伸びた二本の太く大きな角、ごつごつとした筋肉が盛り上がった肩と太い首、ずんぐりとした大きな頭に何を考えているのか良く分からないつぶらな瞳。
「なんだよこれ。牛か?」
「戦使徒ノーグの象徴である雄牛のメダルだ。神具と呼ばれていて職級契約の媒体として使われる」
「それを使って職級契約を結ぶのじゃ。今の身のこなしを見る限り、これでお主が職級契約を結べばそれだけでかなりの力を発揮できるじゃろう」
まぁ力を底上げするだなんだという話をしていたので職級契約とやらで俺が損をするようなことはないだろうが、しかし先ほどから話を聞いていた弘樹には一つだけどうしても気になっていたことがあった。
「その職級契約ってのは役割だって言ってたな。これで何の役割になるんだ俺は」
そう、自分の役割を決められるらしいその職級契約とやらで、自分はこれから何の役割をやらされることになるのか?という部分である。
とはいえこちらとしてもどんな役割があるのかさえ知らないのだが、しかしそれでも何をさせられるのかも分からずに契約とやらをさせられるなんて事態は極力避けたいのが本音だった。
そんな弘樹の問いに学園長がにこやかな笑顔を浮かべたまま楽しそうに告げたのは
「もちろん戦士じゃよ。お主にはピッタリじゃろう?」
「戦士ぃ!?」
予想外の一言だった。未だに職級というのがどういう物なのかを把握出来ていないので、戦士とは一体どういう役割なのかという部分すら全く分からないのだが、しかしそれでも戦士なんて聞くだけでむさくるしいことこの上ないイメージである。
まぁこれまで戦士とやらを見た事がある訳でもないのだが、しかし何となく泥だらけで汗臭そうで弱っちい印象しかないのは何故だろうか。
「なんだ不満か?」
こちらの不平を聞いてシンシアがその端正な眉をピクリと動かすも、弘樹はそんな事を気にも留めずに文句を言い続ける。
「なんかダサいな。どうせならもっと強くてカッコ良さそうなのは無いのかよ」
「確かに戦士は四使徒が持つ基本職の一つではあるが、決して弱い訳ではない。そもそも職級と強さは必ずしも一致しないからな」
「ふーん。じゃ例えばミユが言ってた癒療士だったか? あれは?」
「癒療士は学技士から派生する上級職です」
弘樹の問いに答えたのはすぐ横で控えていたミユだった。学技士、とかいうのがどういった物なのかも気になるが弘樹の注意を引いたのはむしろその後。
「なんだよ上級職って」
そう、戦士が基本職とやらになるらしい一方で、ミユの癒療士は上級職とやらになるらしい点だった。
『基本』に対して『上級』とは聞けば聞くほどなんだか強そうで、戦士とかいう安っぽい印象の職級に乗り気でなかった弘樹は興味津々で問いかける。
が、こちらの問いを聞いたシンシアは能面のような無表情を僅かに曇らせ、しまったと言わんばかりに小さく舌打ちをすると渋々口を開いた。
「基本職をある程度修めるか、予め上級職の知識や経験を有する場合にのみ認められる特殊な職級だ」
「おぉ強そうじゃねえか! 俺も上級職ってのがいい!」
上級職とかいうのが具体的に何なのかは全く知らないが、先ほどのミユが掌の怪我を治療したように、上級というからにはきっと豪勢な物に違いない、そう勝手に考えていた弘樹にシンシアはあっさりと頭を振る。
「無理だ。何も知らない者が上級職になるなど使徒が認めない。通常は職級ごとの試験に合格するか基本職で経験と実績を積むかが必要になるし――――」
「おいミユ、上級職ってどんなのがあるんだ」
「話を聞いているのかお前」
つらつらと理由を並べているシンシアの説明などまるで聞かぬ振りで傍らのミユに問いかけると、猫耳の少女はチラとシンシアの方を伺いながらも主の問い掛けに困ったように口を開いた。
「えと、基本職の種類によるんですけど。ヒロキ様が剣を使われるのであれば、例えば戦士の上級職にあたる騎士とか魔法剣士とかでしょうか?」
「騎士!? 魔法剣士!? カッコいい! それがいい! それに決めたぞ!」
「バカ者」
「あ痛てっ」
騎士や魔法剣士がどういう職級なのかはさっぱり不明だが、もう名前からしてカッコいいし何より強そうなのは間違いない。
高らかに宣言した弘樹の後頭部にゴチンと拳骨が下り、怒りに任せて振り返るとそこにはあきれ返った顔をしたシンシアがこちらを冷たい目で見下ろしていた。
「騎士や魔法剣士になるには使徒の認定が必要で、それには相当の経験や実績が必要だ。何の実績も経験もないお前が成れる訳ないだろう」
「そんなもんやってみなきゃ分かんねえだろ」
「ほっほっほ。いやいや、探索士としてより強い力を求めるその向上心は見上げた心がけじゃな。感心感心」
一歩も退かない弘樹に苦々しい顔を向けるシンシアとが今にも一触即発の雰囲気で睨み合う中、まるで場違いなほど朗らかな声を掛けて来たのは学園長だった。
険悪なやり取りを分かっているのかいないのか、のほほんとした態度で嬉しそうに頷く老人は少々歪な形の髭を撫で付けながら言葉を続ける。
「しかしヒロキ君。確かに騎士や魔法剣士などの上級職は強力な職級加護を受けられる物も多いが、同時に戒律と呼ばれる制約も多いのは知っておるかの?」
「かいりつ?」
「うむ。その職級として契約するならば必ず守らなければならぬ決まりごとじゃな」
決まり事、というからにはルールか何かを定められるという話だろうか?
ルールだの決まりだの、あれこれと小五月蝿いのが嫌いな性質である弘樹が、またぞろ面倒な話かと身構える中、学園長はすぐ横に立つシンシアを示しながら話を続ける。
「例えば今のシンシア先生は重鎧を身に付けておるが、これは騎士の職級に課された戒律による物じゃ。携える武器も剣か槍と決められておるでな」
「は? 騎士なのかこれ?」
「……仮にも教師に対して『これ』とは何だお前」
弘樹の素っ頓狂な声に呆れた反応のシンシアはもう叱る気も起きないのかその整った眉根を寄せ苦言を呈するだけで、どうやらコイツが騎士であることは間違いないらしかった。
確かに言われてみれば全身を白銀の鎧にしっかりと身を包んだその姿は堅牢にして優美、まさに騎士と呼ぶに相応しい出で立ちであり、弘樹が何となくイメージしていた騎士に近い。
なるほど、この女が建物の中でも外でも鎧を着用し続けているのはコスプレや酔狂ではなく、そういう因果なルールを背負っているからだったのか、と一人納得した弘樹の中でふと一つの疑問が湧き上がる。
「ちなみにその鎧を着ないとどうなるんだ? 死ぬのか?」
「戒律を破った状態では職級の加護を受けられない。まぁ有り体に言えば、職級契約の恩恵を受けられず本来の力を発揮できないということだ」
なんだつまらん、と弘樹は内心で舌打ちをする。もしとんでもない事が起こるなら、そのうち隙を見て鎧の留め金でも外してやろうと思っていたのだが。
というか、コイツにさっきの仕返しをするなら何らかの理由で鎧を脱いでいるタイミングで襲えば良いという話ではなかろうか。今度風呂に入っている所に襲撃でも掛けてやろうかと当人に知られたら即座に剣で斬られそうな事を考えていた弘樹は、そういえば自分のすぐ後ろに控えている獣耳少女も件の上級職とやらだったと思い出して振り返った。
「おいミユ、それならお前にもそういう感じの決まりがあるのか?」
「あ、はい。私は癒療士なので金属や皮革、骨などの素材を使った装備は使えないんです」
確かに今ミユが着ている制服も修道服のような出で立ちで、シンシアの白銀に輝く全身鎧はもちろん、身体の要所を革や金属でガッチリと強化している弘樹の制服と比べても何ともひ弱そうな印象である。
先ほどミユが持ち出した石製のナイフにしても、戒律とやらのせいで金属を使った装備を全く使えないとすれば、少女があんな石器を武器として持ち出したのにも納得できるという物だった。
「まだお主はこの世界に来たばかりで、まだまだ知らぬ事も多いじゃろう。戒律であれこれと縛りを付けてしまうよりも、色々な物を試して経験してから決めた方が良いと思っての」
「じゃあさっき言ってた戦士だったか? その職級なら面倒なルールはないって事でいいんだな?」
「うむ。戦士職級は装備に関する戒律はないぞい」
あれこれ考えるのも億劫になってきていた弘樹の問いに、穏やかな笑顔で頷いた学園長の言葉に他意は無さそうで、ここは一先ず職級契約とやらがどんな物なのかを掴む意味でも言うとおりにしておいた方がいいかもしれない。
「ふん、まぁいい。なんかもうルールとか面倒くさいし戦士にしてやる。だが気に入らなかったら速攻で辞めるからな」
「好きにしろ。職級は後からも変えられる」
弘樹の横柄な物言いに怒る気も失せたといった表情であっさりと首肯したシンシアは、さっさとしろと言わんばかりの目で
「まずはそのメダルを首から掛けろ。そして両手に包み込むように持ち、今から言う契約の文言を唱えるんだ」
言われた通りに紐を首に掛けた弘樹は、シンシアが手本として唱える契約の言葉をそのまま復唱していく。
「戦使徒ノーグよ、我が呼び掛けに応え戦士として力を与え賜え」
所々詰まりながらもシンシアに言われた通りに契約の言葉を唱えていくと、掌の中のメダルが微かながら独りでに震え始めた気がした。
「我が祈りは剣に、我が望みは盾に、我が誇りは鎧に捧ぐ」
メダルを握る指の間から薄っすらと光が漏れ始めて驚いた弘樹が手を開こうとするも、それを手で制したシンシアは澱みなく契約の言葉を唱え続ける。
「何人より前に立ち、何者よりも多くの敵を打ち倒す事を誓う。我が名は――――」
何が起きているのか、どうなっているのかが良く分からないまま言われた通りの言葉を唱え終えた弘樹が、眼前に立つ鎧女に説明を求める視線を向けると、シンシアはただ一言。
「名前を言え」
まさかそれが契約の言葉という訳ではないだろう、一瞬戸惑った弘樹はおずおずと自分の名前を口にする。
「……武藤弘樹?」
何故疑問系なのか、と自分で自分の言葉に突っ込みを入れる間もなく、弘樹が名前を唱えた次の瞬間。掌の中のメダルが一際大きく震えたかと思うと、そこから青白く輝く半透明の何かが空中に飛び出してきた。




