アイデア
「でもでも、猫人も魔力を使って生きてますから、私も魔物の分類に入ると思います」
「え? お前がその魔物なのか?」
「ええと、改まってそう言われるとちょっと変な気もしますけど、世界協約で定められた人間を動物と魔物に分けたら、猫人は魔物に入ると思いますよ?」
「ふーん……」
なんだか良く分からないが、とりあえずコイツは魔物になるらしいという事だけを理解して曖昧に頷いた弘樹はさっぱり分からん、と半ば諦めの境地で一つ欠伸をすると、机の上に乗せた足を怠そうに動かした。
獣人だとか魔物だとか魔力だとか、言ってる事が全部滅茶苦茶、普段ならこんな事を言っている連中を見たら寝ぼけているか幻覚を見ているか妄想に苛まれているかのどれかだと思うのだが。
しかし先ほど存分に弄くり回したあの毛むくじゃらの耳の感触は確かに身体の一部であって決して作り物等ではなかったし、あの人形を操った時の光も確かに目の前に存在していて。
「でも、何だかちょっと私にも信じられない気分です」
「何がだよ」
何処か嬉しそうに語るミユは、何故かほんの少しワクワクしているようにも見えて、不思議に思った弘樹が聞き返すと
「いえ、こうしてお話しているお相手が異界から来た人だなんて」
「お前、あのボケたジジイの話を全面的に信用してるのか?」
「この探索士学園の学園長先生ですから、嘘は言わないと思いますよ?」
「無理矢理拉致しておいて、学園に入れとか試験を受けろとか言い出すような怪しいジジイを信用なんて出来るか」
「学園長先生が拉致した訳ではないと思うんですけど……」
別の世界、か。少女の言葉を聞き流しながら、弘樹はここが故郷とは違う世界なのだという事をまだ信じられない思いとは裏腹に、やや納得し甘受しつつある己の感覚も自覚しつつあった。
理屈で考えれば確かに信じられないのだが、しかしあの名前を書いた時に浮かび上がった不思議な青い光、そして指先に浮かび上がった謎の模様、独りでに動く人形、獣のような耳と尻尾を持つ少女……どれもこれも、今までの人生で見た事も聞いた事もない物ばかりで、いっそ別の世界だと考えてしまった方が納得できる部分があまりに多すぎる。
「向こうの世界に試験とかは無かったんですか?」
「あったが、字も読めないのに試験を受けろとか言われてもな」
「でも、チャンスがあるだけ羨ましいです。私みたいにチャンスすら貰えない人に比べたら、ずっと恵まれていると思います」
「いきなり連れて来られてチャンスだとか言われても迷惑でしかねえぞ」
そもそも本来ならば俺がこんな所で試験なんて受ける必要もなければ謂れもないのだ。
コイツはこんな怪しい学園に本気で通いたがっているらしいが、随分と奇特な奴もいた物である。
そんなに通いたいのなら代わりにこいつが通ってくれないだろうか、と鼻をほじりながら考えていた弘樹はふとそこで、現状の問題を一挙に解決する一つの画期的なアイデアを思いついて飛び跳ねるように起き上がった。
「いいこと思いついた!」
「な、なんですか?」
何の前触れもなく急に大きな声を上げた弘樹に驚いたのか、耳をピンと立ててこちらを向くミユは目を見開いて硬直している。そんなキョトンとした表情を見せている少女に向けて、弘樹は自分の思いついた最高の案を滔々と語り始めた。
「お前、この学園に通いたいんだよな?」
「はい。そうですけど……」
「俺はもう半ば強制的にではあるが、これからこの学園に通わされる事になるらしい。だが金を受け取るのにこれから試験とやらを受けなきゃならん」
自信満々に語る弘樹の話を聞きながら曖昧に頷いた少女は、しかしまだそれが一体この先の話とどのように関係しているのか意味が分からないといった風で目をパチクリさせるばかり。
曇りのない水色の瞳がじっとこちらに向けられている中、弘樹は少女にどう説明するべきか頭の中で一瞬考えてから言葉を続ける。
「しかし俺は試験なんて受けたくないし、そもそもあの変な文字も読めない。だから合格点なんて絶対に無理だ」
そう、この訳の分からん世界の中で一先ず生きていくのに金は絶対に必要だが、その金を手に入れる為の試験に合格する事が絶対に出来ないというこの状況。
この矛盾をどうにか解決する方法は目下のところ一つしかなかった。そして、その方法を取る為の道具は全てこちらの手の内にあるのだ。
「だがお前はこの学園に通う為に来たんだろ? なら、当然試験とかも出来るよな?」
「え、と。推薦状を受け取った人が試験を受けなきゃいけないって話は初めて聞いたので、出来るかどうかは……」
「字が読めない俺よりは出来るだろ」
「まぁ、そうかもしれないです」
「よし。なら決定」
ポンと膝を打ち、これで話は決まったとばかりに立ち上がった弘樹は、まだ話を読めていないミユの戸惑う水色の瞳に向けてビシッと指を指すと
「お前、俺と契約しろ」と高らかに宣言した。ぱちくり、と少女の透明な瞳が瞬きをして、たっぷり数秒間の無言が二人を包む。
パチパチと暖炉の炎が小さく爆ぜる音だけが聞こえる中で、先に動かぬ両者の静寂を破ったのはミユの方だった。
「……へ?」
こちらの言っている意味が全く意味が分かっていないのか、少女が可愛らしく首を傾げるのを見た弘樹は、鈍い奴めと溜め息を吐くと硬直するミユの方へと歩み寄って更に言葉を続ける。
「俺が魔物使いで、お前は魔物なんだろ?」
「それはそうですけど、契約ってまさか」
「さっきの指でやる奴だよ、魔物使いの契約だ」
「えぇえええええっ!?」
ようやく話を理解したらしい少女の仰天混じりの悲鳴が部屋の中に響き渡り、ソファから焦ったように立ち上がったミユは脳をフル回転させて弘樹の言葉の意味とその先を想像しようとしているらしかった。
先ほどの少女の説明の通りなら、猫人とやらも魔物に分類されるらしい。であるならば、魔物使いである自分は猫人であるミユと契約を結べるはずなのだ。
話を聞いて何故か顔を赤くした少女があわあわと口を開け閉めしている様を眺める弘樹は、自分の計画が完璧な物である事を内心で確信していた。
「さっき学園長も言ってただろ。魔物使いは魔物を手足のように操るって」
「は、はい。確かにそんな話はありましたけど」
「つまり契約をすればお前は俺の手足って事になる。試験を受ける際に手足を使うのは当然だろ。明日の試験はお前が受けて、合格した俺は金を受け取り学園に入学する。その上でお前も俺の魔物という事で一緒に学園へ通えばいい」
そう、俺が文字を読めない書けないというならば、書ける奴に試験をやらせればいいだけなのだ。この学園に入学したい奴なら試験も懸命に受かろうとするだろうし、上手いこと合格すれば俺は何もしなくても金が入る。
仮に合格しなかったとしても俺の手足となって動く奴が一人いれば新たな生活も楽になるだろうし、何一つ損のない我ながら完璧なアイデアであった。
「そ、そんな事出来るんですか?」
ミユは弘樹の言葉を聞いて驚いたように目を丸くする。まぁ実のところを言えば本当にミユを連れて学園に入学できるかどうかは不明瞭であったが、しかし仮にダメだと言われても先に契約をしてしまえばこちらのもの、入学後はミユを連れて強引に通ってやればいいと弘樹は思っていた。
こんな見知らぬ場所にいきなり連れてこられて、何の補助もなく生活なぞ出来る訳がないじゃないか、こんな世界に拉致した学園には俺が安全に生活できるよう配慮をする義務があるのだ。
この世界の常識や生活様式が分からない俺が学園での生活でトラブルを起こさないように、色々と補助をしてくれる人が必要なのは当然だろう、とでも言えばまず間違いなくどうにかなると踏んでいた。
もし仮にそれでもダメだと言われたら……まぁその時はその時だ。最悪の場合には、これが俺の世界での礼儀作法だったと言って授業中に教室で奇声を上げて暴れたり、つまらない授業の前には必ず教卓の上に小便をしてやったりすれば、その内向こうからミユを一緒に連れて通ってくれと泣きながら頼んでくるに違いない。
「別にお前一人、俺の横で一緒に授業を受けてても誰の迷惑になる訳でもないだろ。何の問題もないから安心しろ」
「それは……そうかもしれないですけど」
自信満々に断言した弘樹の提案を見てもまだ少し迷いがあるのか、やや不安そうに目を伏せた少女は逡巡するように俯いて言葉を濁す。
まぁいきなり契約をしろと持ち掛けても迷うのは当然。むしろ即座に断られない時点でかなりの芽がありそうだと弘樹は判断していた。
この少女はどういう訳か学園に入学する事は叶わなかったようだが、それでも相当に本気でこの学園に通いたいとまだ思っているらしい。であるならば、学園に確実に通えるこの方法はかなり魅力的な提案のはずだった。
「どうだ? これならお前も普通に学園に通えるし、俺は試験を合格できる。俺もお前も損をしない、素晴らしい取引だとは思わないか?」
「……本当に、貴方と契約したら学園に通わせて貰えるんですか?」
「おう、俺と一緒に授業を受ければいいだけだ。俺の魔物なら誰も文句は付けられないからな」
というか、正直に言えば弘樹は授業なんて受けるつもりは殆どなかった。字も読めないのに授業なんて受けてもどうせ意味なんて分かりはしないだろうし、教師の話なんて適当に聞き流してさっさと元の世界に帰る方法を探さなければならない。
ミユが授業を聞きたいというのなら、昼寝でもしている俺の横で存分に聞いていればいいだろう。そんな弘樹の胸中を知ってか知らずか、ミユは決死の表情で顔を上げると水色の瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。
「分かり、ました」
まさに覚悟を決めた顔だった。これから戦にでも出かけるのかと言いたくなる程の決意に満ちた目で弘樹に歩み寄ったミユはぺこりと頭を下げる。
「私、このまま故郷に帰るなんて出来ません。私と契約して下さい!」
果たして。こちらの提案に乗ったミユを見てニヤリと笑った弘樹は、己の判断は間違っていなかったと胸中で確信していた。
これで試験を合格できる可能性が高まるし、この訳の分からない世界で協力者が得られる訳である。