その名は団長殺しの聖女・6
「なにが、……ですか?」
「あの時俺を助けてくれたのは、ミヤ様じゃなかったのか?」
濃青の瞳が、食い入るようにいずみを見つめる。
(……思い出した。この瞳、あのときの)
召喚される、ほんの直前。どことも知れぬ空間で見た、敵に囲まれた兵士の瞳と同じもの。
「イズミ、……君は昔、兵士を助けたことはないか?」
「うそ、だって、あれはもっと若い戦士だったはず」
「俺はあの時十八だった。自分の強さに調子に乗り、仲間と敵陣を突破していった」
だが、地の利はあちらにあった。いつの間にかアーレスたちは岸壁に追い詰められ、絶体絶命だった。
仲間がひとりふたりと倒れ、背後に残った仲間をかばいながら、アーレスは無我夢中で剣をふるった。だが、崖下から現れる伏兵にまでは気づかなかったのだ。
そのとき、天から声が響いた。
『危ないっ。うしろ』
その声に、アーレスは咄嗟に振り向き、仲間とともに九死に一生を得た。
天におぼろげに浮かんだ女性の影は、輪郭もはっきりは見えなかったが、黒い髪に、黒い瞳だけが見て取れた。そして、アーレスの呼びかけには答えず、その姿をすぐに消してしまったのだ。
「聖女……」
王都に現れ、さまざまな施策で国を立て直しているという聖女は、黒髪に黒目の女性だという。
アーレスは迷わず彼女をミヤ様だと思った。そして、救われた命をミヤさまのために使おうと誓った。
だが彼は今、そのときと同じ声を彼の妻から聞いたのだ。あのときと同じように心臓が震える。
「俺の聖女は、……イズミだったのか」
いずみもにわかには信じられない。
だけど、こうして言っていることが合致している以上は、認めざるを得ない。
「あのあと、すぐにオスカー様の声に呼び出されて……次の瞬間には神殿にいたんです。でもまさか……だってそんな……」
だけど、世界さえ超えてきたのだ。どの時間軸に落ちるのかも選択次第だったのかもしれない。
見つめ合うふたりの邪魔をするように、間の抜けた声で入ってきたのはフレデリックだ。
「団長ー! 窓から落ちたドレス持ってきましたけど」
「え? ドレス?」
「バカ、フレデリック。それは……」
それはカラフルな刺繍が施されたドレスだった。そしてその刺繍飾りには見覚えがある。アーレスから贈られて、今まさにつけている髪飾りと同じ模様だ。
「……見られては仕方ないか。これは君への贈り物だ。その、姉上に妻にドレスのひとつも贈らない男なんて夫じゃないとまで言われて……その、だが君に似合うものと思うと、俺にはどうしてもその刺繍以外に思いつかなくてな」
「じゃあ、もしかしてさっきの女性って、リリカ村の職人っすか?」
フレデリックは職人を知っているようだ。
「ああ。イズミのドレスに刺繍をいれてもらう仕事を頼んでいた。母上と姉上にも協力してもらって、まずドレスを揃えてもらってな。それから刺繍を頼んでいたんだ。今日は仕上がりを見せてもらって……」
そして彼は、顔を真っ赤にさせる。
「その、……気に入ってもらえるだろうか」
「……嬉しいです」
いずみはフレデリックにそそのかされて、浮気を疑ったことを後悔した。
こんなに自分のことを考えてくれる人を、いずみは知らない。他に知らなくてもいい。いずみにとって、アーレスはただ一人の人だ。
「ただ見せるだけにしちゃ、時間長くなかったですか?」
目を皿のようにして見つめるフレデリックを、アーレスはじろりとにらむ。
「刺繍を追加で頼んでいたんだ。大体、お前は訓練の時間じゃないのか」
「だ、団長こそ」
「この時間はルーファスに任せてある。さっさといけっ」
「はっ、はいぃ」
フレデリックが慌てて出ていき、部屋にはいずみとアーレスふたりが残される。
アーレスはいずみをソファに座らせ、その上にドレスを乗せる。
「似合うと……思う。これも」
重ねて渡されたのは、布で出来たチョーカーだ。
ドレスの裾にあしらわれたのと同じ刺繍が施されており、裏側にはこの世界の文字で刺繍がされている。
【愛しい妻・いずみへ捧ぐ】
捧げられた愛の文句が、ほんの数分前に作られたものなのだといずみにも分かった。
「あまりにドレスがよくできたので、急に心配になったんだ。他の男から言い寄られるんではないかとな。それで、……つい、こんな刺繍を頼んでしまった」
「わ、私……、恥ずかしいです。フレデリック様の言うことを真に受けて嫉妬なんかして。……職場にまでやってきちゃうなんて」
「いや、どうやって渡そうかとこれから一週間は悩むところだったから。……まあ、予定とは狂ったがいい。早く君の喜ぶ顔が見れる」
そう言うと、アーレスはいずみに優しくキスをした。
「喜んでくれるだろう?」
胸がはやる。この人が好きだと。大好きだとこの世界中に宣言したい。
「もちろんです。大好きです、アーレス様っ」
団長室のソファで抱き合うふたりを、こっそりとみているのはフレデリックとエイダだ。
「うわあ、あの堅物の団長がメロメロだ」
「うん。びっくりだよねー」
「でも、今の団長、いいよな。なんか人間味があって」
「そうね。イズミ様も親しみやすくて。……お似合いのふたりじゃない?」
顔を見合わせて、これ以上は邪魔しませんとばかりにふたりは団長室から離れた。
いずみがその部屋を出てきたのはそれから三十分は後だったが、中で何があったか、聞かないのはエイダの精いっぱいの気配りだった。
それから、数週間後。
オスカーによって主催された夜会で、いずみは流行り病の原因を突き止めた功績をたたえられた。
アーレスから贈られたドレスを身に着けたいずみはひときわ目立っていた。
それは、宝石に比べればキラキラはしていないが、刺繍が独特であり、色使いもカラフルだ。
黒髪によく映える髪飾りも、白い肌を彩るチョーカーも、いずみによく似あっていて、貴婦人の間ではどこで作られたものなのかと大きな話題に上る。アルドリッジ侯爵夫人のグレイスが勿体ぶったように情報を小出しにし、貴婦人たちに囲まれている。
「さて。この場で君に今回の功績を讃え、再び聖女の称号を授けようと思うのだがどうかな」
にこやかにほほ笑むオスカーに、イズミは首を振った。
「聖女って与えられてなるものではないと思うんです。私はただのいずみでいいです。アーレス様の妻のいずみで十分ですもの」
けれど、助けられた人々は、彼女のことを聖女と呼んだ。
ショウガを使った新しい料理をはやらせ、ミヤ様とは違った力でこの世界の危機を救った聖女は、堅物だった騎士団長アーレス・バンフィールドを首ったけにしたことから、〝団長殺しの聖女〟というとんでもない二つ名でセルティア王国の歴史書にしっかりと刻まれるのである。
【Fin.】