第7話:規格外の特待生
「……本当に、これを行くのか?」
いつも通り油と鉄の匂いに満ちた工房の作業台で、僕は一枚の書状を見つめていた。
それは『手紙』と呼ぶにはあまりに禍々しく、重々しい、黒金の金属板で装飾された封書だった。
表面に刻まれた差出人の紋章は、三つ。
王立魔導学園、国家魔導管理局、そして――聖教国大教会監査部。
「行くのか、じゃねえよ。断れば次の瞬間には国家反逆罪で首が飛ぶ。それは入学許可書じゃねえ、ただの『強制連行の令状』だ」
鉄の仮面を外した素顔のまま、クロムさんは安物のウイスキーを煽りながらフッと鼻で笑った。
僕の真鍮の右手が大教会の法具を粉砕したあの日から、わずか三日。世界という巨大なシステムは、僕という『バグ』を検知し、即座に回収するためのプログラムを起動させたのだ。
「……怖いか? アレン」
「、怖いです。僕はただ、時計を直して、ここでクロムさんと……」
「だったら、なおさら行って、その右腕を乗りこなして見せろ」
クロムさんは僕の頭をごつんと拳で叩くと、不敵な笑みを浮かべた。
「国家最高峰の防壁が、向こうから勝手に心臓部を開いて見せてくれるんだ。最高の学習環境じゃねえか。行って、内側からハッキングして、システムごとバグらせてこい」
その不器用で、圧倒的に傲慢な師匠の言葉が、僕の震える背中を強く、強く押し上げてくれた。
王都の最高峰にそびえ立つ、白亜の巨塔。
それが、王国のすべてのエリートが集う『王立魔導学園』だった。
「おい、見ろよ、あれ……」
「嘘だろ? 伝統ある我が学園の門を、あんな薄汚い格好で……」
大理石の回廊を進む僕の周囲から、隠そうともしない蔑みの視線と囁き声が突き刺さる。
そこにいるのは、一握りの血統と才能を許された貴族の子息たち。まばゆいシルクの法衣をまとい、家紋が刻まれた最高級の魔導杖を手に、完成された魔法理論を優雅に語り合うエリートたち。
対する僕は、油の染みた作業着。むき出しの、真鍮と歯車の右腕。
魔法詠唱の基礎すらまともに知らない、地方の工房育ちの落ちこぼれ。
周囲の洗練された空気の中で、僕は完全に、排除されるべき『異物』だった。
僕は右胸の前に真鍮の右手を抱きしめ、周囲の冷たい視線から逃げるように、新入生の「適性測定」が行われる大講堂へと足を進めた。
大講堂の壇上には、圧倒的な威容を放つ『塊』が鎮座していた。
神代級測定水晶――『ステラ・コア』。
学園創設以来数百年にわたり、一度も壊れたことがなく、触れた者の魔力量、純度、回路の安定率を完璧に言語化して出力する、この国の魔法体系の「絶対の基準」だ。
壇上の席には、国家魔導管理局の監視官たちが、冷酷な目で僕の動きを凝視している。
彼らの目的は一つ。僕の能力を数値化し、国家の制御下に置けるかどうかを見極めること。
エリート学生たちが次々と高数値を叩き出し、場内が歓声に湧く中、ついに僕の名前が呼ばれた。
「次――アレン。壇上へ」
静まり返る講堂。
嘲笑と、不気味なものを見るような視線の中、僕はゆっくりと階段を上った。
「おい、右腕が機械だぞ」
「魔力回路が死んでいるから機械に頼っているのか? 哀れだな」
監視官の一人が、冷淡に告げる。
「その右手を水晶に触れさせろ。お前の『すべて』が暴かれる」
僕は生唾を飲み込み、緊張で硬直した真鍮の右手を、ゆっくりと、青く輝く神代の水晶へと伸ばした。
実家の地下室。暗闇。僕を拒絶した世界。
色んな思いが脳裏を駆け巡る中、カチ、と歯車が鳴り、指先が水晶に触れた。
――その、瞬間だった。
『ピシ……』
静寂に包まれた大講堂に、ひどく不穏な、細い亀裂の音が響いた。
「……え?」
監視官が目を見開く。
次の瞬間、水晶の表面に浮かび上がるはずの聖なる魔導文字が、見たこともない血のような赤色に変色し、狂ったように点滅を始めた。
[ERROR] [OVERFLOW] [UNKNOWN SIGNAL] [NULL]
「な、なんだこれは!? 魔力波形が読み取れない!? 術式が、書き換わって……!?」
教官たちが悲鳴のような声を上げる。
僕の右腕は、魔法を放っているのではなかった。
触れた瞬間、僕の右腕の内部回路(クロム・アルベリヒの傑作)が、測定器の根底にある神代の術式――その『プログラム』そのものを脆弱性と認識し、自動的に**「解析・最適化」**を開始してしまったのだ。
システムの容量を遥かに超える超高効率の処理が、双方向で暴走する。
過負荷を検知した学園全体の魔力供給魔法陣が、ゴ、オオオォォッ! と恐怖を上げるように激しく逆流を始めた。
大講堂のシャンデリアが激しく揺れ、壁面の魔導灯が次々と破裂していく。
「数値が、上がりすぎて計測不能――術式が崩壊する! 離れろ、そのガキから離れろ――!!」
監視官が絶叫した直後。
――ド、ォォォォォォンッ!!!
数百年の歴史の中で一度も揺らいだことのない神代級測定器『ステラ・コア』が、内側から耐えきれずに、凄まじい大爆音と共に粉々に爆散した。
吹き荒れる魔力の暴風。
爆煙が立ち込める大講堂のなかで、数百人のエリートたちが地面に這いつくばり、ただ呆然と、その中心に立つ僕を見上げていた。
「ひ、ひう……化け物だ……! 悪魔の呪いだ……!」
一人の学生が、恐怖に顔を歪めて腰を抜かす。凡人たちの、圧倒的な拒絶。
「ありえない……神代の防壁を内側から破砕しただと……!? 理論上、この世界にそんな魔法は存在しないはずだ……!」
高名な魔導学者でもある教官が、自身の常識の崩壊にガタガタと震えている。優秀な者たちの、理論の敗北。
だが、その煙の向こう側から、ゆっくりと僕に近づいてくる足音が一つあった。
「……美しい」
凛とした、鈴を転がすような声だった。
現れたのは、誰もが息を呑むような美貌を持った、金髪の少女。
学園トップの超天才にして、この国の最高権力の一翼を担う公爵家の令嬢、エレノア・ローゼンベルクだった。
彼女の紫色の瞳には、周囲のような恐怖も嫌悪もなかった。
そこにあったのは、未知の深淵を覗き込んだ子供のような、爛々とした「狂気的な知的好奇心」だった。
「あなた、本当に人間? ……ねえ、その右腕、どういう理論で動いているの? 私の知るどんな魔術式とも違う。あなた今、世界のコードを直接書き換えたでしょう?」
ゾクりと、背筋が凍るような高揚感が彼女の笑顔から溢れていた。
世界に怯えられる僕の「異常」を、本質で理解し、そこに魅了されてしまう――彼女自身もまた、別のベクトルでの「圧倒的な異物(天才)」だった。
その頃、大講堂の最上階にある隠し部屋では。
マジックミラー越しに惨劇を見下ろしていた学園長と、国家魔導管理局の高官が、通信魔導端末に向けて冷酷な声を落としていた。
「……報告の通りだ。あれは既存の魔法体系、ひいては世界の秩序を根底から腐らせるバグそのものだ。制御できるなら『国家の革命』になるが……御せぬと判断した場合は、即座に処分せよ」
静まり返った壇上。
煙が薄れていく中、僕は、粉々になって床に散らばったきらびやかな水晶の破片を、ただじっと見つめていた。
周囲からの畏怖の視線も、天才令嬢の狂気的な賞賛も、僕の耳には届かない。
僕は、自分の真鍮の右手を、どこか切なげに、悲しそうに抱きしめる。
「……なんでだ?」
ぽつりと、掠れた声がこぼれた。
「壊したくなんて、なかったのに」
僕はただ、自分の腕を認められたかっただけだ。壊れた時計を直したかっただけだ。
けれど、本人のそのささやかな平穏への願いとは裏腹に。
世界をハッキングし、既存のシステムを書き換えてしまう災厄の歯車は、もう、誰にも止められない速度で回り始めていた。
(第7話・了 / 次回「第8話:異端技師の初授業」へ続く)




