第98話:『第一保護対象』
【第一保護対象:生存】
その文字列だけを残して、モニターが再び漆黒の闇へと沈んだ。
「……第一、って何だ?」
レオンの声が、静まり返ったコックピットの空気に重く落ちる。
アレンはすぐに答えることができなかった。答えたくても、胸の奥で渦巻く異物感が思考を阻んでいる。右腕の魔導回路ではない。もっと深い、肉体の中心そのものから這い上がるような、冷たくて熱い感覚。
「おい、アレン。聞こえてるのか」
レオンが低い声で呼びかけながら、アレンの肩を掴む。その目からは、いつもの軽さが完全に消えていた。
「さっきのログ……『第一保護対象』って表示されたぞ。それってつまり、第二がいるってことかよ」
「……ああ」
アレンはかすれた声で、レオンの言葉を引き継ぐ。
「普通に考えればな。だが、問題はそこじゃない。旧文明の遺産だか、零号機の残したデータだか知らねえが……なんでそれが、お前の身体の内部から勝手に出てきやがる。お前は一体、何なんだよ」
レオンの問いかけに、アレンは自分の右腕を見つめ返した。あのモノクロの世界で見た光景が脳裏によみがえる。冷たい研究施設。旧文明が「罪」と断じて廃棄しようとした小さな生体。そして、その小さな生体を護るように巨大な装甲を展開していた零号機。
――『保護対象――未登録』
――『優先順位――再設定』
――『保護対象の名称、取得不能』
あのとき、零号機は確かにその存在を守ろうとしていた。ならば、自分の中に刻まれているという「第一保護対象」とは、あのとき零号機が守り抜こうとした「何か」そのものなのだろうか。それとも、自分自身がその対象なのか。
その沈黙を破るように、コンソールが微かに明滅した。
『――待ってください』
アークの声だった。その合成音には、いつもの冷徹さではなく、かすかな混乱の色が混じっている。
「アーク、何か分かったのか?」
『「第一保護対象」という名称について、ひとつだけ決定的な異常があります』
アークがデータウィンドウを呼び出す。そこには先ほどの文字列が再掲されていた。
『これは、旧文明側の分類コードではありません』
「……じゃあ、誰が付けたんだ?」
『分かりません。ですが、この名称が記録されている最古のデータには――零号機のアクセス権限が設定されています』
アークの言葉に、アレンとレオンは息を呑んだ。旧文明の管理下にあったはずのシステムの中に、零号機だけが書き込むことのできた固有の領域。それが「第一保護対象」という記録の出所だった。
「零号機が、俺の中に……いや、この記録の中にそれを残したってことか?」
『おそらく。ですが、さらに奇妙なのは、その対象の「名称」データが完全に欠落している点です。コードネームだけが存在し、中身が空白になっている』
「名前が分からないのに、『第一保護対象』だけが残されてるってのか?」
レオンが眉をひそめる。
『はい。そして、その未登録の空白領域を補完しようとするエラーが、現在アレンさんの生命反応を媒体にして発生しています。つまり……』
アークが言い淀んだその時だった。
『――警告。接近する熱源を多数捕捉』
コックピットの全警報が一斉に鳴り響いた。
『冗談ではありません……! この座標に向かって、旧文明の防衛システム群が急接近しています! 先ほどのアイン・ソフとは規模が違う……!』
「なんだと……!?」
レオンが顔を険しくさせ、操縦桿を握り直す。
「アーク、数は!」
『三十……いいえ、五十以上! すべて高機動型の迎撃ユニットです! 狙いは……間違いありません。奴らの目的は、このアイン・ソフの内部ではありません』
アークの音声が、緊迫したトーンに変わる。
『彼らが照準を合わせているのは……アレンさんの身体の内部、先ほど展開された「未確認データ」の波長そのものです!』
アレンは言葉を失った。自分を殺すためではない。自分の中に残された「何か」を消すために、五十を超える迎撃ユニットが迫っている。
つまり――旧文明が遺した意思は、まだ死んでいない。
そして何より、零号機が守ろうとした記録は、今もなお誰かにとって「消すべきもの」なのだ。
「……そういうことかよ」
アレンは低く呟いた。
「俺を狙ってるんじゃない。俺の中に残った……あの記録を消しに来るんだ」
地平線の彼方から、無数の赤と藍色の光の筋が、まるで獲物を狩る群れのようにこちらへ迫ってくる。
「くそっ……! 休ませるヒマもねえってか!」
レオンが歯を鳴らし、メインエンジンに点火する。
「アレン、動けるか! またあの右腕が暴走するようなら、無理やり気絶させてでも――」
「……大丈夫だ」
アレンは立ち上がり、自分の右腕をしっかりと握りしめた。その掌の奥で、藍色の光が静かに、しかし力強く脈打つ。
名前の由来も、「第一保護対象」という言葉の本当の意味も、まだ闇の中だ。だが、ここで敵の軍勢に押しつぶされ、記録ごとすべてを奪われるわけにはいかない。
「レオン、行くぞ」
アレンの瞳に、迷いのない光が戻っていた。
「……ちっ、頼むぜ。主人公様よ」
レオンが不敵に笑い、アイン・ソフの全出力回路を解放する。
無数の迎撃ユニットが、一直線にこちらへ迫ってくる。
その瞬間、アークが小さく息を呑んだ。
『……待ってください』
「どうした?」
『迎撃ユニットの識別信号を解析しています』
一瞬の沈黙。
そして――
『……あり得ません』
「何がだ」
『この部隊の指揮権限が……零号機に設定されています』
「……何?」
アレンの右腕が、激しく脈打った。
敵として迫ってきた五十以上の機体。
そのすべてが――かつて零号機の命令を受けていた。
(……なら、こいつらは何のために俺を消そうとしている?)
――その答えは、まだ分からない。
ただ一つだけ。
アレンには、確かなことが分かった。
零号機は、まだ終わっていない。
(第98話:『第一保護対象』・完)
次回、第99話『反転する命令』へ続く




