軽い気持ちで浮気をしたらとんでもないことになった女の話~兎味~
「ごめんね。貴方に悪いところはなかったけど、単純に彼の方が良いのよ」
最愛の彼女に、そう言われたのは突然のことだった。
「一体……なにを……」
「貴方が張り切って用意してくれたクリスマスディナー。覚えてる? そこで大きなビルが見えたでしょ? クリスマスの前日、私達あそこの最上階に泊まっていたのよ」
くすくすと、彼女は笑う。
「俺じゃ、予約さえ取れないような……。し、しかも、半年以上も前からそいつと……」
「そ。私達そんな昔から一緒なの。貴方が可哀そうだからいままで一緒に居てあげたけど……飽きちゃった」
膝が、崩れ落ちる。
何を言っているか、理解出来ない。
理解したく、ない。
それでも……否が応でもそれを目視せざるを得なかった。
美しい彼女の隣に居るのは、自分なんかよりはるかに魅力的な男だった。
常にクールな表情で、笑うこともない。
モデルどころか乙女ゲーの攻略キャラのような、そんな容姿。
身に着けている服装も、自分とは何もかもが違う。
あまり詳しいことはわからないが、それでも全身がブランドで染まっていて、そして成金のように嫌味じゃない。
ハイブランドを正しく着こなし、その上で似合っていた。
「ね? わかるでしょ? 貴方とは全然違うの。当然――夜の方もね」
ギリィと、何かが聞こえる。
それが、自分の歯ぎしりであるとわかったのは、彼女の高笑いを聞いてからだった。
「あははははは! 本当にごめんね? でもしょうがないじゃない。釣り合わないんだもの。そりゃ、貴方は結構良い人だったから、結婚しても良いと思ってたわよ? 彼に出会う前までは、だけど」
屈辱のあまり、床を叩いていた。
ダン! と強くなっても、彼女に驚きや恐怖はない。
たとえここで自分が暴徒と化したとしても、彼が守ってくれると信じているからだろう。
「……さない。……ぜっ……い……」
「え? 何かしら?」
「絶対に、許さない! 見返してやる!」
あらん限りの力を籠め、彼女を睨む。
昨日まで、最愛であった彼女を。
「あら? 無駄だと思うけど、止める気はないわ。そこまで想われるってのは気分が良いもの。精々頑張って私を取り戻して――」
「絶対に、お前よりも良い男を抱いてやるからな!」
「そうそう。良い男を――えっ?」
彼女は、きょとんとした顔を見せる。
意味が、わからなかった。
自分より良い女ならわかる。
良い男になって取り戻すというのも、理解出来る。
でも、彼は今、なんて言った?
「見返してやる。良い男を抱いて、見返してやる!」
叫び、男は立ち去った。
涙を流すこともなく、屈辱に苦悩することもなく。
まるで少年漫画の主人公みたいな熱血顔で――。
わけが、わからなかった。
「……私の、耳がおかしくなったの?」
首を傾げ、彼を見る。
自分を守ってくれた、最愛の彼。
そんな彼が――笑っていた。
「へぇ……おもしれぇじゃねぇか」
理想のハイスペ男子と思っていた男が、なんか少年漫画のライバルみたいなノリでわけわからないことを口走っている。
しかも、彼女が彼の笑った顔を見たのはこれが初めて。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、このまま彼と付き合っていて良いのだろうかと、彼女は危機感を抱いた。
あまりにも理解出来ず不気味だったからだろう。
次の日から、彼女は自分の元カレのことを一切口に出さなくなった。
そして、まるで辛い記憶を消すかのように彼の金を湯水のごとく使いだした。
元々散財癖があったのに、それが更に悪化していた。
まるで貴族のような生活を過ごしながらも、彼女の心に小さな棘が残る。
普通こういった嫌なことを忘れようとするのって、浮気された方なんじゃない?
そんな疑問が、頭から離れなかった。
とんでもない金食い虫となったのに、彼は一度たりとも文句を言わなかった。
どれほど金を使われようと、どれだけ我儘を言おうとも彼は不満一つ口にしない。
それを最初愛されていたからと思っていたが、今は少しだけ違う。
だって――彼女が彼の笑顔を見たのは、あの時だけだったのだから。
そうこうして数か月――。
雪化粧を飾った街の中、元カレを見つけた。
宣言通り努力したのだろう。
彼は別人のようになっていた。
いや……努力というか、鍛えたというか……。
少年漫画のように走り去ったあの頃の彼はいない。
そこに居たのは、ハリウッド映画から飛び出したような、そんなナイスガイだった。
筋肉質ではあるが、ボディビルダーとも違う。
かといって普通の体型かと言われたらそうでもなくて、全体的に分厚い。
後、明らかに手足が長い。
めちゃくちゃ長く太い。
もはやガタイは完全に外国人のそれである。
服装も全体的にセンスが良い。
ブランドじゃないが、ラフによく似合っている。
いや、ラフ過ぎるというかストリートでファイターしそうというか……。
なんにせよ、彼女は思った。
「変わりすぎだろ……」
骨格が違うのはズルい。
ニチアサ魔法少女の変身前後より差があるのはちょっとおかしい。
そして、自分でも何故かわからないがアレが元カレであると察したならば、もう一つ悩みが生まれる。
声をかけるかどうかだ。
その姿を見るまでは『そんな頑張って私に惚れられようとしてるなんて可愛いじゃん』なんて余裕ぶっこいてお話してあげようかとも思った。
本当に彼以上になれたなら、復縁してあげても良いなんて傲慢なことも考えていた。
思っていたのだが……ちょっと、方向性が違う。
たとえあれが石油王になっていたとしても、乗り換えるのに躊躇いを覚える。
いや、もはや過去アレと付き合っていたことが既に黒歴史に等しい。
そう――見なかったことにすれば良い。
あの日常がバイオレンスになりそうなアレとは関わる必要はない。
それが正解。
わかっているのだが……放置するには、あまりにもインパクトが強すぎた。
あいつ一人の所為で雪化粧をされた美しい街並みが格闘ゲームのオープニングみたいになってやがる。
気持ち的には、『8:2』くらいの割合で帰りたい。
なかったことにした。
だから、このままUターンして忘れるのが正しいのだに、好奇心が邪魔をする。
これが好奇心なんとやらって奴だろうか。
そう思っているところで――。
「おい! どういうことだよ!」
聞き覚えのある声が聞こえ、彼女は顔を上げる。
そこには、元カレに怒声を浴びせる彼の姿があった。
――え? どういうこと? 修羅場?
一瞬自分を取り合っていると思いときめくが、すぐに違うと気づく。
彼はそういうタイプじゃないし、元カレに至っては恋愛以前にどうしてそんなワープ進化をしたのか不明状態。
なら、どうして彼は怒って叫んでいるのだろう。
元から、感情を露わにするようなタイプじゃなかったはずなのに……。
「お前は言っただろうが! 良い男を抱くって! ならば俺を抱くべきだろうが!?」
言葉の意味が、よくわからなかった。
でも、とても真剣な顔をしていた。
嘘みたいな言葉なのに。
「俺はお前よりも良い男って言ったぞ。つまり、お前じゃ駄目だ」
「どうしてだよ……。俺は……だってお前に一番近いのは……」
「俺は上を目指した。ステージを上がった。お前はどうだ?」
お前の場合ステージはステージでもバトルステージだろうが。
そう突っ込みたいのを彼女は堪えた。
悔しそうに、彼は元カレを睨む。
対し、元カレの視線は憐憫に近い。
そして、それが彼に苦辱を与えていた。
というかその苦辱がよさそうにちょっと喘いでるっぽくなっていた。
「んぁっ。お、俺だって……努力すれば……」
「すれば? 今していない癖にか? それに……悪いが、努力したとしてもお前を抱く気はない」
「なんでだよ!? 俺たちはあいつと繋がった、いわば穴兄弟。間接キスをした仲じゃないか!」
勝手に間接キスの間接の部分にされていた。
「……俺はさ、別にあんたも、あいつも恨んでいるわけじゃないんだ。俺はもう、次のステージにいる。それだけの話なんだ」
元カレはばさっと音を立ててコートを羽織り、背を向けた。
なんで一度着ていたコートをわざわざ脱いだのかちょっとよくわからないけど。
背を向け立ち去る元カレと対比するよう、彼はその場で敗者のように蹲っていた。
そのシーンだけ見ればまるで映画における『恋人との別れのワンシーン』のようだったから、とりあえずスマホで撮影しておいた。
ぱしゃりという音に気づき、彼がこちらを見た。
「お前……お前が……」
一瞬、あらんかぎりの憎しみを向けてきた彼だが、すぐさま思い直すよう首を横に振った。
「すまない。恨むのはお門違いだった。俺が至らなかったのが悪いだけなのに……」
「いや、至るとかそういう話ではないと思いますね」
「……気を使わなくても良い。俺は負けたんだ。男として……人として……」
「格闘なら負けたと思いますがそれ以外は別に……少なくとも、アレがモデル雑誌の表紙を飾ることはないでしょうし」
「お前あいつが表紙になった雑誌とか永久保存で百冊買うに決まってるだろ!」
「格闘技ファンは買うかもしれませんねぇ……」
正直、彼女は何もかもがどうでも良くなっていた。
「……すまない。俺は、やるべきことが出来た。立ち止まっていられないんだ。例え相手にされなくても、俺はもう自分を偽れない。わかれ――」
「あ、はい。わかりました」
カエル化現象とかあるらしいが、その比じゃない。
急速フリージングの勢いで、彼女の気持ちは冷めていた。
「マンションも、車も、金もやる。俺の我儘で振り回したんだ。そのくらいは――」
「いえ、これまで十分貰い過ぎたので大丈夫です。全部お返しします。明日には退出しますんで、気にしないでください」
「そうか……。施しはいらんと。お前も、良い女だな。流石あいつと付き合っていただけはある……」
金遣いが荒かった自覚はある。
我儘で迷惑かけた自負はある。
自分が酷い女であるのは、客観的に事実である。
だから、どんな罵詈雑言を浴びせられようと、例え殴られても怒る気はなかったのだが、その一言だけは、どうしても許せなかった。
ビンタの音が、気持ちいいくらいに夜空に響いた。
「ということがありましたね。別に傷ついた自覚はありませんし、何か変わったということもありません。話し方が敬語になってしまいはしましたが……」
そう、彼女はカウンセリングの先生に伝えた。
自分の経験した、あるがままを。
終始目を丸くしていた。
ついでに妄想かと疑われた。
偶然撮っていた写真が役に立った。
背中しか映ってないが、それだけで十分な説得力があった。
男の背中というか、アベン〇ャーズにいそうな背中だった。
「……うん。君自身は、傷ついた実感はないと」
「いえ、だって普通、傷つける側じゃないですか? 男って浮気されたらすごくダメージでかいんですよね?」
「まあ、一概にはそうだね」
「だから私は傷つけた側のはずなんですよ。それなのに、あまり罪悪感はなくて……人でなしだからでしょうか?」
「いや、たぶん……そういう細かい理由じゃないと思うし……うん。話を戻そう。たぶん、君はとても傷ついた。でも、複雑な傷つき方をしたから、自覚がないだけ。それが厄介なんだ」
「でも、私、傷ついて良いんでしょうか……」
「誰だって傷つく権利も、それを癒す権利もあるよ。というか……話が本当なら、彼らは別に傷ついてないと思うし……」
「まあ、うん。元元カレは手遅れだし、元カレも今頃どうなってるか怖い……。アメリカンな感じの格闘家か、二丁目のママさんか……」
「そういうわけだから、君は十分に傷ついて、そして癒せば良い。否定しなくても良いんだよ。傷つくことも、罪悪感もね」
悪いことをした自覚があったからだろうか。
その言葉は、すーっと、心にしみ込んだ。
「……ありがとうございます」
診察時間も終わり、ぺこりと頭を下げ彼女は立ち上がる。
そして部屋を出る前に、もう一度先生の方に顔を向けた。
「私、今日思い切って相談して良かったです。先生みたいな素晴らしくて、そして普通の恰好の人に逢えて。普通のすばらしさを、今一度再確認しました」
そう言って微笑んで、再び頭を下げて彼女は部屋の外に出る。
笑顔で見送り一人となった後……医師はぼりぼりと頭を掻いた。
「こりゃ強い薬にした方が良いな」
困った顔で呟いてから医師――セクシーバニー姿をしたパリピサングラス男は立ち上がった。
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