第29話:広場の支配者
狂乱とも言える熱狂の最中、不自然なほど静かに群衆が割れた。
現れたのは、磨き抜かれた黒塗りの馬車と、それを護衛する銀一色の鎧を着た私兵たちだ。デヴォンの喧騒が、その一団が近づくにつれて潮が引くように静まっていく。
馬車から降り立ったのは、贅を尽くした刺繡入りの外套を纏った、恰幅のいい初老の男だった。その眼光は鋭く、商売敵を幾人も屠ってきた者特有の重圧を放っている。
「……お出ましだな。あれがこの大広場の元締め、商務会長ガランだ」
鋼鉄の牙のリーダーが、チキンを喉に詰まらせそうになりながら小声で教えた。
「おいおい、みかじめ料(ショバ代)の取り立てか? 景気のいいところにすぐ嗅ぎつけてくる。……レン、どうする?」
タカシが怯えて屋台の陰に隠れる中、レンは冷静に鉄板の火を調整した。
「……みかじめだろうが税金だろうが、俺のやり方は一つだ」
レンは万象市場から「特上和牛のサーロイン」を呼び出した。言葉で交渉する前に、胃袋を黙らせる。それがこの異世界で学んだ最も効率的な対話術だ。
調理:最高級和牛の焦がし醤油ステーキ
レンは厚切りの和牛を鉄板に乗せ、強火で一気に表面を焼き固めた。溢れ出す芳醇な牛脂の香りが、ガランの鼻腔を真っ向から突き上げる。仕上げにバターと高級醤油を回し入れ、一瞬だけ立ち上がる炎と共に、香りの爆発を相手に叩きつけた。
「……はい、会長さん。これが俺の払える『最高額の税金』だ。食ってみな」
レンは、美しくミディアムレアに焼き上がったステーキを、簡素な紙皿に乗せて差し出した。
周囲は静まり返った。支配者ガランに対し、無礼とも取れる態度で皿を突きつける若者。だが、ガランは不敵な笑みを浮かべ、素手でその肉を掴み、口へと放り込んだ。
「…………ッ」
ガランの眉間が深く寄った。噛みしめるたびに溢れる、異世界の理を超えた牛の旨味。そして、焦がした醤油の香ばしさが、彼の長年培ってきた「美食の基準」を根底から破壊していく。
「……相良レンと言ったか。なるほど、これほどの味を平然と供するとはな」
ガランは指についた脂を舐め、懐から金貨の袋を取り出すのではなく、レンに向かって掌を広げた。
「だが、勘違いするな。私は君に、みかじめ料などという端た金をせびりに来たわけではない」
「……じゃあ、何の用だ?」
「提案だ。君、この広場に正式な『店』を構えてみないか?」
レンは意外な言葉に目を瞬かせた。
「店を? 俺は旅の途中だ。琥珀の翼号があれば、どこでも商売はできる」
「移動販売の限界は、供給量にある。見てみろ、この列を。君の一皿を求めて、この街の経済が半分止まっているのだ。君が腰を据えて店を開けば、デヴォンは名実ともに大陸一の美食都市になる。土地も、建物も、私が用意しよう」
ガランの言葉は、単なる勧誘ではなく、街を挙げた投資の宣告だった。
「人手が足りないなら、周囲の美食ギルドから雇えばいい。君に客を奪われ、干上がりかけている連中が腐るほどいる。彼らは技術こそ君に及ばないが、下準備や接客、街の流通には精通している。君が彼らの『師』となり、この広場を支配してほしいのだ」
レンは琥珀とミナ、そして屋根の上で欠伸をしているゼナを見た。
確かに、今のままではポイントを稼ぐ効率に限界がある。ギルドのプロたちを「従業員」として使い、ハルナ平原のようなシステムをこのデヴォンの中心に作り上げれば、累積ポイントは天文学的な数字になるだろう。
「……ギルドの連中を雇う、か。俺のやり方は厳しいぞ?」
「彼らは飢えているのだ。金よりも、君の『味』を盗む機会にな」
ガランは満足げに頷き、一枚の黄金の鍵をレンに手渡した。
「広場の一等地、かつて王族が晩餐会に使っていた石造りの館を空けてある。そこを君の城にしろ。返事は、その館に火を入れる音で聞かせてもらう」
支配者は再び馬車に乗り込み、去っていった。
残されたのは、黄金の鍵と、さらなる野望に包まれた大広場の熱気。
「……レン様、どうしますか?」
「決まってるだろ、ミナ。……せっかくの招待だ。美食ギルドのプライド高い奴らに、本当の『厨房の地獄』と『最高の喜び』ってやつを教えてやろうぜ」




